CULTURE | 2018/09/19

アートワールドに提出された、「Throne」という名の「空座」の問い。 | 彫刻家・名和晃平【連載】ビジョナリーズ(1)

photo : Nobutada OMOTE | SANDWICH 
ビジョナリーズとは、既成のジャンルやシ...

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photo : Nobutada OMOTE | SANDWICH 

ビジョナリーズとは、既成のジャンルやシステム、方法論を超えて、人間と宇宙を司る原理に立ち返りながら、未来をイノベイトしようとしている先見者たちのことだ。流動性を増すポスト資本主義は、AIと相乗しながら、今まで人類が体験しなかった驚くべき事態を、瞬く間に我々に突きつけてくるだろう。多くの価値が、急速に失効していくのだ。そんなときに、アーティストたちのthinkingは、実に重要になる。

名和晃平は、自らを彫刻家と名乗っているが、彼が率いるクリエイティブ・プラットホーム「SANDWICH」に足を踏み入れたら、コンピュータデバイスで作業するスタッフや、山のようなニューマテリアルの素材、進行中の建築模型、実験と作品にまみれた制作現場のカオスに飲み込まれ、ここで構想されることが、今までの「アート制作」の次元とまったく異なるビジョンに基づくものだと体感できるだろう。

2018年7月。アートワールドの中枢、ルーブル美術館の最もシンボリックな場所。ガラス張りのピラミッドの下で、黄金に輝く11メートルの巨大な新作「Throne」を発表し、世界を震撼させたビジョナリー・名和晃平の思考の秘密を、後藤繁雄が解剖する。

名和晃平(なわ・こうへい)

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1975年、大阪府出身の彫刻家。先鋭的な彫刻や空間表現が特徴。日本現代アートとして初めてメトロポリタン美術館に作品が収蔵された。2018年7月よりパリで開催されている「ジャポニスム2018:響きあう魂」の一環として、ルーブル美術館のピラミッド内に「Throne」が展示されるなど、日本の現代美術界を牽引する若手作家である。

後藤繁雄(ごとう・しげお)

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1954年、大阪府出身の編集者、クリエイティブディレクター、アートプロデューサー、京都造形芸術大学教授。数々のアーティストブック、写真集を編集。また『エスクァイア日本版』『ハイファッション』『花椿』などの媒体でのアーティストインタビューは1,000人に及ぶ。現在、来春出版予定の名和晃平の作品集『metamorphosis』の編集も手がけている。

すべては、マトリックス思考から始まる

Throne
2018 
mixed media h.1040, w.480, d. 330 cm 
photo: Nobutada OMOTE | SANDWICH 

後藤:ルーブルでの展示作品「Throne」の話を聞くには、まず、あなたがどのようなビジョンと方法論によってクリエイトしてきたかという話から始めなければならないでしょう。名和晃平という「メタ彫刻家」の秘密を知るには、第一に、あなたの「マトリックス的な考え方」を議題にする必要があります。1つのアイデアを発展させたり、接続させたりすることを、ハイパーリンク的に、あるいは、トランスディメンショナルにやっていますよね。それは、どうやって始まり、どのようにして進化したのでしょう?

名和:立体的にロジックツリーを体系化して考えるのは、子どもの頃から始まったと思います。3歳ぐらいから詰将棋をやっていたのも、フォーメーション的な思考に繋がったと思います。今でも新しいシリーズが生まれる時に「この概念とこの概念の間にこれが生まれるはずだ」と、接合と新しいジャンプが、直感で見えますね。

後藤:彫刻家というと、どんなマテリアルを素材にするとか、あるいは人間のボディとの関係から始まることが多いでしょう。あるいは内側と外側の問題などが起点となり、クリエイションが成長するように思うのですが、名和晃平の場合は、そうではなかった。マトリックス的というか、フォーメーション的なものが原点にあるのが面白いですね。

初期の「Cell」をつくったときも、すでにマトリックスの1つとして誕生したんですか?

名和:「Cell」は起点です。それが始まったのは、小さなドローイングからです。ボールペンで、細胞のような微細な粒を紡いでいくドローイングを始めたときに「Cell」が始まりました。その頃ちょうど、ルドルフ・シュタイナーの思想や、大学の哲学の授業で知った大森荘蔵の時間論、夢とうつつみたいな話に夢中になっていました。

©Kohei Nawa

後藤 : 存在と時間とか、宇宙論ですね。

名和 : そうです。天文学や物理学にも興味がありました。宇宙は、物質=エネルギーの世界、無機の世界、そこに有機的な組織や細胞が発生し呼吸し、生命活動が始まる。さらに快 / 不快が加わって、生存本能でうごめき合っていく。そして本能を超えて判断をするような思考や理性の世界、つまり存在がいかに進化していくのかという考え方が、ゲーテ、シュタイナーに集約されていく。どこから生命や精神、感情が物質の中に宿り始まるのかということを、ドローイングしながら考えていました。

後藤 : まさに起点ですね。

名和 : ドローイングは、粒の連続で膨らんでいくのですが、動物や植物の組織、あるいは鉱物の断面のような、偶然出てくる形を見ながら育てていくんです。その作業から、粒の連続で、彫刻をつくってみたいと思い、「Cell」を根本的な概念にするのがいいと気づきました。そこからさまざまなアプリケーションやルールがつくれる。例えばその1つが「PixCell」という作品であったり、液面に泡を出すと「LIQUID」というシリーズになります。

後藤:拡張や変換からマトリックスが広がっていった。

名和:そうです。さらに、泡が膨張していくと「SCUM」という、泡が「灰汁」のようになり、表面を覆います。例えば、泡が発生するという現象はどういうことか。泡同士が繋がり合って組織になる。膨らむと平面だったものが立体になり、空間に溢れ出ていく。フォーマットが解体され制御できなくなる。膨張する状態が、今という時代感覚の何かに見立てられるんじゃないか。そうやって発想が拡張していくわけです。

後藤:例えば、コミュニティとかネットワークのモデルのようにね。

名和:そうです。経済のバブルもそうだし、体で言えば、細胞が制御を失い、膨張し続けることに繋がってもいく。現象をシミュレーションしたり、形態を形成する原理を取り入れたり、「Cell」だけでも色んなことが語れるわけです。

後藤:一番最初はゲーテたちが考えたような、「ウル」つまり「原」の世界。生命と無生命の混在から、多様な分岐を経て、セル・オートマトン的な自動生成していく宇宙観に思えます。

名和:生きものを見ていると、色んな種別、形態があり、様々なエネルギーの取り込み方をしている。植物なら水と空気と光合成により体をつくる。昆虫や動物はそれを食べ、また動物同士も食べ合い、生物相は多様化していく。だから、「Cell」を主体として見ると互いにエネルギーの交換をしながら宇宙の中で存続しようとする意志を感じます。

後藤 : 生体が呼吸し、何かを取り込み、また排出を繰り返す。そんな風にマトリックスも拡張し続けている最中なわけですね。

名和 : 来春に発行する新しい作品集『metamorphosis』に、そのマトリックス一覧図を載せようと思います。

生死を超えた、エンドレスな世界に進んでいくだろう

© Damien JALET|Kohei NAWA
VESSEL 2016
ROHM Theatre Kyoto
photo : Yoshikazu INOUE  

後藤:今の名和さんの話を聞いていて思ったのは、ちょっと極端かも知れないけれど、アートの根底を支えてきたモチーフは、生と死だった。でも今の考えが面白いのは、生と死が無くエンドレスだというところですね。

名和:そうですね。流転している。

後藤:し続ける。

名和:そうですね。ベルギーの振付家ダミアン・ジャレと一緒につくった「VESSEL」が象徴的な作品ですが、死のパートを描き、生になって終わる。つまり物質的にはずっと入れ替わり続けていく。DNAというものは、シュタイナーの時代にはまだ発見されていなかった。だけどそれは別の形で予感されていて、人間の洞察や探求がどこまで行くのか、どこに行こうとしているのかというのは、すごく興味があります。

後藤:遺伝子の工学が進んでいるから、数10年内には不老不死っていうのが到達できるともリアルに言われだしている。そのときにアートが根本的に変わるかもしれません。

名和:変わりますね。人間の存在を規定してるのがコードやプログラムだということがわかり、しかもそれらは書き換えられるということもわかってしまった。今までの宗教観、死生観みたいなものは、更新せざるを得なくなるでしょう。

後藤:今までだと「彫刻と生命」というテーマは、あまりクローズアップされてきませんでした。バイオアートには興味ありますか?

名和:高校や大学でも生物の授業は大好きだったんですけれど、実は解剖の実験とか、ちょっと怖くて(笑)。「Cell」と言って剥製を使っているのに、直接触るのは苦手です。手触りが残りすぎるんですよ。

後藤:触覚的や形態的なフェティッシュが強いから、大丈夫だと思ったんですが(笑)。

名和:それが強すぎるんですよ。

後藤:遮断。やっぱり膜をつくることで。

名和:そうですね。「PixCell」や「PRISM」は、だから触覚性の麻痺が1つの重要なテーマでもあります。見えるけれど触れない存在にすることが、1つの方法論です。

自らのプログラムで創る

後藤:生体と真反対の質問ですが、これからAIとロボットが融合してヒューマノイド系の人間の形をしたロボットが当たり前に出現する。当然それが、彫刻の中に入ってきたりするでしょう? そのことへの関心は?

名和:面白いと思います。先日もロボット開発の見学に行ったり、ロボットを開発している方と話したりもしました。でもまだ莫大なコストがかかるので、もう少し一般的になればやりやすいでしょうね。結局のところ、AIもプログラムじゃないですか。どういう思考パターンによって、思考を発展させるかというロジックの積み重ねです。それによって、複雑な自立的な思考をさせようということだと思うんですが、それはアーティストが、作品をつくるときの考え方に非常に似てると思います。アーティストは、自立的な思考をします。でも作品をつくるときに、一般に広まったアプリケーションを使っていたら、同じようなものしかできない。でも、全然違うプログラムを自分で書いたり、自分でアプリケーション自体を持っていたら、それはオリジナリティのあるものになる。

後藤:今は例えばフェイスブックでもいいんですけど、SNSみたいな便利な道具がつくられる。それを公開し、たくさんの人が使えばデフォルトになるっていう考え方です。美術史も同じですね。

名和:コンピュータのアプリケーション開発を見ていても、初期はハードウェアにソフトが所属し、限られた狭い範囲の中で遊びなさいと決まっていて、その窮屈さをみんなが感じながら遊ぶ状況だった。今は、まずソフトをばらまいて、適当にみんなに遊ばせる。その中でアーティストみたいな人が面白い使い方や変わったやり方を見つけると、それをどんどんサポートすることで、ソフトのプログラムに反映させる。

後藤:最適化させる。

名和:そのほうが発展するのが速いということがわかった。だから、アーティストの役目が、そういうところに使われている部分はあると思うんですよ。だから僕は、1つのソフトに依存したアーティストになるのは危険だと思っています。ソフトの開発側になってしまうのは。

資本主義の渦の中でのアーティストの役割は?

©Kohei Nawa

後藤:一方では、名和晃平がSANDWICHというクリエイティブ・プラットホームをつくり、非常に産業的に適応したことも積極的にやっているっていうふうに思っている人もたくさんいると思うんです。だけど実は根本的な思想として、例えば、「SCUM」などが典型的な作品ですが、きわめて「反資本主義的」な考え方が根本にある。重要なのは、名和晃平が、アーティストの役割というものは、その安全なデフォルトを生成するための役割ではないと思っていることですね。

名和:少しずれていることが大事だと思っています。完全に、逸脱しているのがいちばん面白いと思われがちですが、最近の状況は、アートマーケットがそういうものすら巧妙に取り込むシステムになっている逆転構造がある。逸脱もすぐに取り込まれる。

少年と神獣
1998
mixed media
©Kohei Nawa

 後藤:最初に「SCUM」に気がついたのはどうしてですか? 非常に重要な作品だと思うんですが。あの制御しないがん細胞みたいな。

名和:学生時代に、「少年と神獣」と題した作品をつくりました。それは水分を閉じ込めた水粘土の身体を持つ少年と、首を切り落とされ中身が空洞に見える獣のオブジェから成り立っています。これは、剥製と似た構造です。大学院に入り、その後「神獣が死んだ日」という作品では、巨大な神獣が横たわっていて、大きな傷ができている。動物は怪我をしたら、毛皮がボコっと抜け、毛皮の中に生々しい血の池みたいな穴が開くじゃないですか。それを強調したような作品です。実はそれが、最近の「VESSEL」にもつながっています。

後藤:傷口。

アニマズモ
2000
©Kohei Nawa

名和:そうです。その作品は続きがあり、最終的には傷口からワーッと泡状に制御できないボリュームが溢れ出している。それが大学院の卒業作品「アニマズモ」でした。

後藤:アニミズムと関連しているのですか?

名和:怪獣みたいなタイトルですね(笑)。アニミズムやアニマということに興味がありましたす。人間が制御できない泡状の有機的なボリュームを象徴して、「SCUM」が生まれたのですが、その当時は造形屋でバイトをしており、テーマパーク、ひいては世の中の商業的な空間の生まれ方に対して、批判的に見ていたんです。一美術家の作品制作とは違って、コスト管理が厳密で、安く速くつくらなければいけない。綺麗につくりすぎると怒られるけれど、見た目はよくないといけない。つまりハリボテです。表面だけでできていて、中身は虚ろなもの。それを見て人々は、夢の世界に浸ろうとする。それって何なんだろうと、社会が全部そんなふうにできているように見えていたんです。資本主義はものを大量につくって、大量に消費する世界です。「SCUM」は、無限に膨張し続ける虚ろなボリュームが、この都市にあるということを、彫刻にしたかったんです。資本主義が急激に発展しすぎ、バランスの悪い欲望のシステムの中に我々はいます。この100年の文明の発展の中で、到達することができた良いもの、良い技術もたくさんありますが、消費のために生み出されたものが溢れる都市や、その消費システムやサイクルがどうしてもひどいものに感じます。

エステティックのバランスをどうとるのか

ixCell_Saturation#4
2011
mixed media 
dimensions variable
courtesy of SCAI THE BATHHOUSE
photo: Seiji TOYONAGA|SANDWICH
Installation view, "KOHEI NAWA-SYNTHESIS", Museum of contemporary Art Tokyo, Tokyo, Japan, 2011

後藤 : それはクリティカルな出発点という意味でも、重要な話だと思うのです。そこから名和さんは、どんなフェイズに向かったのですか?

名和 : 細胞のドローイング「B.P.D」で掴んだ感覚をよりアクチュアルなマテリアルの様態へとシフトすることを考えて、泡の実験を始めました。洗面所やお風呂に水を張って、毎日ぷくぷくと泡を出して観察していました。洗剤を入れたり、牛乳を入れたり。水に界面活性剤や粘り気のあるものを混ぜたら、表面だけに泡が出てきて、それは京都のギャラリーマロニエ画廊で発表しました。最初は「Spring」というタイトルだったんです。

後藤:泉? デュシャンみたいですね。

名和:はい、泉。水と染料で水を真っ白に染めて、下に蛍光灯を入れ、全面発光の画面に泡が出てくるようにしたところ、泡の影が凄く綺麗になったんです。これはコンピュータの画面に、文字やイメージが出てくる感覚に似ていると思いました。ただ、コントロールがすごく難しくて。このようなマテリアルとの実験からたくさんのことを学びました。例えば、都市に生まれる刺激を泡だとします。その刺激がいい状態で、最適化されている状態が人々にとっては美しくて気持ちが良い。しかし、刺激が多すぎると感覚が満たされ、麻痺してきて、ぶよぶよと膨張していく。その飽和状態を超えていくと「SCUM」みたいな状態に達する。スープを煮たときの灰汁のように。

後藤:モンスター化であり、ミューテーションですね。でも確かにそれは、ある種の異物化に向かう過程だけれど、でも「反芸術」的な逸脱には至らない。美学的で、欲望を誘引するような、寸止め感を大切にしていませんか?

名和:それは、僕の美学なのかもしれませんね。泡を出すとか、吹きつけるとか、僕がやっていることは、やろうと思えば誰でもできると思うけれど、それを、この状態が良いという状態にするのは、すごく難しい。

後藤:だから、美とかは言わないけれど、ある種の普遍性っていうか。例えば変化していても、ずっと見続けていられるようなポイントを求めていると思います。

名和:視触覚的なバランスはあると思います。視覚が勝ったり、触覚が勝ったり、その中間であったり、どれかが麻痺していたりする。形態形成がまだ進みそうなくらいが好きですね。このまま進むと、どうなるのだろう。少し先が感じられる状態を完成とすることが多いです。

「王座」をめぐるクリティカルな思考

Throne
2011
h.3000 w.905 d.1435 mm
mixed media
photo : Nobutada OMOTE | SANDWICH
courtesy of SCAI THE BATHHOUSE
Installation view, "KOHEI NAWA-SYNTHESIS", Museum of contemporary Art Tokyo, Tokyo, Japan, 2011 

後藤:さて今までの流れから、いよいよ「Throne」について伺います。「Throne」とは「王座」を意味します。それは権力の象徴であり、欲望のシステムの頂点にあるものです。今まで話してきた流れで言えば、「Throne」は、名和晃平のマトリックス的方法論の成果であると同時に、支配を支える価値やシステムに対するクリティカルな解でもあると思われます。まず、どのように構想されたのでしょう?

名和:まず、ここに至る様々なプロジェクトの経緯があります。3Dをやりだした頃に、グラフィック的に処理される2Dのピクセルという概念に対して、僕はボクセルという概念のほうに興味を持ちました。それは中身が詰まった情報なんです。現在、コンピュータネットワークには、3Dのオブジェクトが日々増殖しているのに気がついたんです。SNSで写真がアップされるとピクセルデータが、増殖していくのと同じように、3Dのボリュームも仮想のボリュームとして、増殖し続けています。その3Dの「虚ろなボリューム」を積み重ねた造形をやってみようと思ったのが始まりです。ちょうどSANDWICHの立ち上げの時期にミュージシャンの「ゆず」のプロデューサーの方から、ステージデザインの依頼が来たんです。5万人が入る会場でした。そこで、「消費のために生み出された虚無的なボリュームとして『SCUM』というコンセプトでいきたい」と伝えたら、「任せます」と言ってくれて。

後藤:非常に批評性が強いアイディアですよね。

名和:そうですね。それで、建築家の永山祐子さんが、ステージのデザインをして、僕はその両側に巨大な白いボリュームをつくった。断片的な不定形のボリュームを積み重ねて形状を生み出しました。「ゆず」のステージが完成したあともその造形作業は続き、やがて細長い塔のようなものになり、下のほうに、椅子みたいに見える形が偶然できたんです。それを見た時に、大友克洋さんの『AKIRA』の、表紙を思い出しました。

後藤:アキラが玉座に座っているシーンですね。

名和:そうです。ちょうどその数カ月前に頃、3Dボディスキャンを初めてするチャンスがあり、知り合いの甥っ子さんで3歳ぐらいの男の子をスキャンさせてもらい、そのデータをイスのような部分に座らせてみました。

後藤:突然『AKIRA』の世界と接続したんですね。

名和 : それで「Throne」というタイトルが浮かびました。過剰な玉座感と、子どものギャップが面白くて2011年の震災直後に制作を始めて、同年のMOT(東京都現代美術館)の個展では、「Throne」を3メートルの大きさで発表しました。一旦、そこで「Throne」という作品は止まっていたのですが、文化庁の2020のための文化プログラム検討委員会に呼ばれて、アーティスト側から色んな提案もしてほしいと依頼された時に、また発展させようと思いました。日本の祭りをリサーチし、江戸末期の山車など、極端な造形性を帯びたものがあり、それらをヒントに「Throne」のスタディをさらに推し進めることになります。

後藤:造形は、非常に昆虫的っていうか、外骨格的です。反復が多用されていますね。

名和:シンメトリックな造形の構成も特徴の1つです。生き物の身体もそうですね。

後藤:万物照応、コレスポンデンスですね。

名和:文化庁での提案の3年後、今度はGINZA SIXの蔦屋書店に金箔の「Throne」がコレクションされ、その半年後にはルーブル美術館のピラミッドに巨大な「Throne」を展示することが決まります。

AIの時代の、空座としての「Throne」

後藤:僕がすごく面白いと思うのは、見方によって美学的に見えるところと、反美学的なところが入り混じっている具合です。美しいと同時に、人間が生み出したがん細胞的な部分が感じられます。

名和:ルーブルのピラミッドは、建築家のイオ・ミン・ペイ氏が設計しましたが、エジプトのピラミッドは権力の象徴みたいに見えますよね。むろん、ルーブル美術館も権威の塊です。

後藤:ピラミッド構造っていうコトバさえあるし。

名和:はい。ピラミッドの遺跡を見てもわかるように、何千年も前から権力や権威みたいなものは存在してきたし、今の時代もそれらは形を変え、存在している。おそらく未来においてもなくならないだろう。このまま加速度的にコンピュータが進化して、そのコンピュータの計算結果に全人類が従うようになるのではないか。

後藤:AIが「Throne」の座にいることになる。

名和:それで、ルーブルの「Throne」は、誰も座っていない空位の玉座にしました。

後藤:空座ですよね。

名和:「裸の王様」という言葉がありますが、ルーブルの「Throne」は「透明の王様」です。人間が、国家や政治の形でやっていることは、ますます茶番劇みたいになっていますよね。一方で、AIにしても例えば、ものすごく優れたAIが2つあって、それぞれの答えが違うときにどっちについていくのか問われたりする。

後藤:ほとんど古代社会の「ご神託」ですよね。

名和:そうそう。結局それで戦争が起きたり。新たな宗教の時代に戻る可能性は十分あり得るし、歴史を繰り返していくようにも見える。

後藤:ダミアン・ジャレとの「VESSEL」儀式性は、ある意味で、既存の宗教を逸脱しようという強いパッションを感じたんです。「Throne」の造形は、よりダイレクトに宗教的なものを感じさせますが。

名和:そのような造形をあえてつくろうとする意識もありました。AIがネット上に漂う造形のパーツを集めて、人々に畏敬の念を抱かせようとする造形をつくり上げたらどんなものになるのか。そういう視点もありました。

後藤:未来への「解」みたいなことですね。

名和:そう言ってもいいですね。仏像の後ろの光背や祭りの造形が合わさり、しかしキリスト教でも、神道でも、仏教でも、イスラム教でもなく、何にも所属しない造形。古代のようでもあり、未来でもある。それが今のこのタイミングで、ルーブルのピラミッドに現れるのは面白いんじゃないかと思いました。

後藤:AIと共働して生み出される人工世界ですよね。しかし、一方で宇宙の中には、対極のものとして、植物のプログラムみたいな、自己生成しつづける造形がありますね。

名和:そうなんです。今回パリのプロジェクトでは、ルーブルと同時期に、長谷川祐子さんがキュレーションするロスチャイルド館で、「Foam」という泡が増殖し続ける作品を発表したんです。生まれては消え、また生まれ続ける。生命というはかない存在を対比として表現したかった。「Throne」と「Foam」、どちらも重要です。

後藤:その2つは、未来に向けた予見ですね。

名和:「SCUM」は資本主義と密接に関係していると思います。例えば、「やめられない、とまらない」スナック菓子。ああいうものは、スポンジ状で軽くて中、ボリュームだけあって、化学物質で舌に刺激を与え、脳に快感を与える。極論すれば、少ない資材でいかに快感を消費させるかという、すごく資本主義的なものだと思うんですよね。それは、食べ物の話だけじゃなくて、例えば映画がDVDになって安いパッケージで売られるのと同じで、いかに少ないコストで大量に消費させて利益を得るか、みたいなロジックでものがつくられていくという表れです。そのロジックで生まれたものがどうやって歴史に残るのか? アートでも、今の時代だとつくれないようなものが残っています。江戸時代の美術や中世のヨーロッパの美術を見ていても、今の時代につくることが難しいものがたくさんある。

後藤:みんなカールみたいな現代美術作品になっている。

名和:そうそう。カール、大好きです(笑)。刺激の量感に置き換えられたものばかりになっていく。

後藤:10年後、50年後ってどうしていると思いますか?

名和:わからないですね。でも常につくり続けていたいですね。

後藤:名和晃平において、初めの話に戻りますが、重要なのはマトリックスがあることですね。

名和:自分でパズルをつくって、自分で解いているみたいな感覚はあります。解けたパズルも面白いし、解けないのも面白い。永遠にやっているんでしょう。資本主義に対抗するアーティスト魂みたいなのは、大切だと思います。ジェフ・クーンズダミアン・ハーストたちが、資本主義のど真ん中でやりきっていることも、あれはあれで、真っ当なやり方だと思います。

後藤:虚像をやりきるということですね。

名和:でも、その対立構造から、出ないといけないでしょうね。それから、この4~5年、自分の中で大きな動きとしては建築のプロジェクトに携わっていることです。アートとはまったく異なるスタンスを得ることができるところにモチベーションがあります。アートと建築と都市の3つの関係の中でクリエイションをするのはとても可能性を感じますね。

後藤:自分の家をつくりたいという気持ちはないですか?

名和:今のところ、ないんですよね。

後藤:そこが面白いな。

名和:家の設計には興味がありますが、家を所有するということにあまりこだわっていないのかもしれません。今欲しいのは、ラボみたいなものです。

後藤:科学やテクノロジーということですか。

名和:開発したり、実現するのに、自力では限界があるといつも感じているからでしょうか。技術的に乗り越えられると、質的に洗練できること、まだまだたくさんあると思います。変革しなくてはならないことばかり。

Throne
2018
mixed media h.1040, w.480, d. 330 cm 
photo: Nobutada OMOTE | SANDWICH