LIFE STYLE | 2023/03/08

「偏差値教育のない社会」で子どもはどう育つ?オランダで息子を8年育ててわかったこと

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【連載】オランダ発スロージャーナリズム(49)
子どもの教育を理由に20...

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【連載】オランダ発スロージャーナリズム(49)

子どもの教育を理由に2016年にオランダに移住した筆者。かれこれ8年経ちました。小学校1年生のタイミングで移住した長男は、中学2年生に。2歳で移住した次男は、小学校3年生になっています。

今回は、彼らの最近の様子を踏まえながら、オランダでの教育のリアルをお伝えしたいと思います。オランダが良い、日本が悪い、ということではなく、日本との教育の違いを少しでも感じてもらえたら嬉しいです。我が子を、世界で活躍できる大人にしてあげたいと思っている方、必見です。

吉田和充(ヨシダ カズミツ)

ニューロマジック アムステルダム Co-funder&CEO/Creative Director

1997年博報堂入社。キャンペーン/CM制作本数400本。イベント、商品開発、企業の海外進出業務や店舗デザインなど入社以来一貫してクリエイティブ担当。ACCグランプリなど受賞歴多数。2016年退社後、家族の教育環境を考えてオランダへ拠点を移す。日本企業のみならず、オランダ企業のクリエイティブディレクションや、日欧横断プロジェクト、Web制作やサービスデザイン業務など多数担当。保育士資格も有する。海外子育てを綴ったブログ「おとよん」は、子育てパパママのみならず学生にも大人気。
http://otoyon.com/

「人生は偏差値」の世界で育って

良い教育ってなんだろう?

そもそもの我が家の移住理由は、ここにありました。「偏差値が高い」のが、教育の目指すことなのか? いや、そもそも「偏差値が高い」と何が良いのだろうか…。「偏差値の高い大学」に入ることが、果たして意味のあることなのだろうか…?

実は、この問いにはいまだに答えが出ていません。というのも、オランダでは「偏差値がない」からです。基本的に、塾も宿題もありません。さすがに中学生になった長男は、家でもテスト勉強などをしていますが、小学生の時の2カ月弱の夏休み期間は一切宿題もなく遊んで過ごしていました。

小学校時代には、散々「中学(というか高等教育)に入ると突然、勉強量が増えるぞ!」と脅かされていました。確かに、勉強量は増えているのですが、それらもどうも「オランダの小学校と比べて」という感じのようです。

筆者は日本で子どもの人数が最も多い団塊ジュニア世代ど真ん中で、いわゆる受験戦争に巻き込まれていましたが、それから比べれば大したことないというか、ぶっちゃけ、おそらく一般的な日本の学校教育の状況と比べると、誰もがびっくりするほど、「宿題少なっ!勉強量少なっ!」と思います。オランダの教育について情報発信する日本のメディアでもたまにこうした記述が見られるので、そこはちょっと注意が必要です。つまり、オランダ人から見たら、中学(高等教育)の勉強量は、それはそれは大変なのですが、筆者からみると、ぶっちゃけ「屁でもない」感じでもあります。

あ、もちろんこれは、あくまでも学校により大きく違いますので、その点はご容赦を。

しかし、「宿題がない」「塾がない」「偏差値がない」という、この3大ない。日本だとちょっと考えられないと思うのですが、むしろオランダ人からすると「そもそも学校以外に塾がある」「子どもが塾に通っていて、夜遅く帰ってくる」「夏休みなのに宿題がある」などなどの日本の事情にびっくりされます。

筆者は、大学受験で1年間の浪人生活をしていた時、大手の予備校に通っていました。その予備校では、あるタイミングになるとテスト結果が発表されます。そして毎回、テスト結果順に席の並びが決まります。つまり、成績の良かった子が前に座り、後ろに行くほど、成績の悪い子の席が割り当てられるのです。

この時に「人生って偏差値で決まるんだな…」と思ったことを覚えています。そして、実はこの感覚は、日本企業で働いていた時も変わりませんでした。東大卒の人がトップにいて、京大卒が続き、国公立の大学卒がいて、その次に私大のトップが続き…。こうした状況、どこの会社も同じではないでしょうか? ましてや業界ごとの優劣があって、さらに業界内でも大手、準大手と続き…。まあ、これ要は偏差値ですよね?

ただ、この強烈な違和感というか、ただの落ちこぼれの反感ですが、予備校で毎回後ろの席に座っていた経験は、「偏差値で人生が決まる」ことへの拒否感というか、違和感に繋がったように思います。

一転、偏差値のない世界にやってきて

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ではオランダではどんな教育が行われているのか。日本のように広い意味での教育過程はあるものの、それはかなり広く、各学校の裁量と言うか、学校ごとの教育方針に任されています。宗教的な違いもあったりするので、地域や学校ごとに任されている裁量権的なものは、かなり大きいです。ということで、かなりバラバラです。学校により、かなり違うのです。なので、ここで挙げることはあくまでも、一つの例と思ってください。

現在、次男の通う小学校の科目は、オランダ語(読み書き)、ニュース解読、算数、社会?(歴史や地理、その他の事実を調べたり、理解したり)、その他、みんなでのお話の会、演劇、ジム(運動)など、いわゆる勉強以外の時間がかなり充実しています。

またクラス編成が、そもそも2学年同じクラスの異学年学級です。さらに、実は同じ学年でも、年齢のバラつきが結構あります。うちの次男のように最初から1学年遅らせていたり(といっても、日本とオランダでは入学時期に半年のズレがあるので同じ学年なのですが)、途中で1学年遅らせる、つまり留年する子もまあまあいます。逆に、学年をスキップする子がいたりもします、また、うちの次男もそうなのですが、科目により2学年、あるいは3学年くらい飛ばしてしまう子もいますし、その資格があるのに「友達と離れるのがイヤ」などの理由で、そうしたスキップクラスを受けない子もいます。

教育のことと、直接関係ないことではありますが、先生も含めて、人種、宗教さらにLGBTQ+的なダイバーシティも、とっても豊かでして、それこそ社会の縮図です。

次男の1学年下の女子は、お母さんが二人。その妹とは、お母さんが違うので全く似ていないのですが、ちゃんとした姉妹です。学校も、他の保護者も当の子どもたちも、その家族のことを全く違和感なく受け入れています。次男の担任の先生も、LGBTのGですが、保護者も子どもたちも全く違和感ありません。それどころか、素晴らしい先生です。

ちなみに、オランダの学校(あるいはうちの子どもたちが通う学校)では「先生は社会のことをもっとも知らない人」という認知のされ方です。これは、先生のことを非難しているのではなく、「先生は聖人君子でもなければ、社会のことをなんでも知っている超人ではない」という前提で教育カリキュラムが設定されるということです。この認識があるのと、ないのでは全ての前提が変わります。なので、社会との繋がりを大事にする学校の授業では、社会科見学が異様に多かったり、「生徒の保護者が自分の仕事を紹介する」なんていう授業が頻繁にあったりします。先生は生徒の背中をそっと押してあげるコーチ、サポーターのプロですよね、という認識です。

以上は、いわゆる「教育」とは直接は関係ありませんが、こうした環境も意外と大事かな?と思います。そして、日本で言う小学校5年生くらいから英語の授業が始まります。中学2年生の長男は、いつの間にか英語も喋れるようになっています。

少し横道にそれましたが、小学校の全ての科目、学科には偏差値的な指標がありません。「Googleで調べればわかることは課題にならない」というと分かりやすいでしょうか?暗記で対応できるテスト問題がほぼなくて、例えば

・シリア難民とウクライナ難民のどちらを助けるべきか?それはなぜか?

・「治水」によって国を作ってきたオランダの歴史において、何が最も大事な治水事業だったのか?どうしてそう思うのか?

といったような問題が出ます。

とはいえ、学年末のテストや、進路を決めるためのテストはあります。もちろんその結果は大事ですが、日本の入試のような一発勝負のテストではなく、進学先は普段の成績や先生の推薦、親や本人の希望などによって総合的に決まります。

もっとも、この進学先もちょっと複雑。なんせ偏差値がないのですから。簡単にいうと、本人の将来の希望や進みたい方向に合わせたチョイスをする、という感じでしょうか。一応本人のレベルで選ぶものの、スポーツ好きの子はスポーツに力を入れた学校をチョイスする感じです。人気の学校には抽選があり、レベルと意思と希望と適性がなんとなく擦り合わされるものの、あとは運みたいな部分もあったりで、ほんと複雑なのです。合わなければ留年も転校もあったりします。

結局、オランダの教育は「どういう生き方をしたいのか?」ということの置き換えかな?とも思っています。

うちの子どもたちは、おそらくもう日本の大学には入れないように思います。帰国子女枠なんかであれば可能性があるかもしれませんが、日本の教育課程を終えた上で、入試を受けて大学、高校なんかに入る、という道はすでにない感じがします。そもそも日本の教育課程を終えてませんし、ぶっちゃけ日本語も怪しい。漢字とか大変です。

「日本の大学受験は暗記ゲー」とよく言われる中で、それが良いのか悪いのかしばしば論争が起きますが、自分はそれを判断する材料がないのでよくわかりません。が、一つ言えるのは、我が家の子どもたちは全く適応できないだろうな、ということです。

一方で筆者自身の経験として、日本の偏差値教育のトップオブトップの東大の理三(大学入試のトップレベルと言われる東大医学部)なんかに入る人は、本当の天才だということを知っています。

教育は社会の縮図

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ただ、こちらに来て感じるのは「教育は社会の一部」、あるいはもっと分かりやすく言えば「社会の縮図」だろうな、ということ。

オランダの教育がかなり自由に思えるのは、そもそも社会がそれを求めているし、社会が自由だから(もちろんオランダ国内でも全く自由ではない、という不満の声もあります)。逆に言うと、日本が偏差値教育に基づいていて、暗記力がある程度までは重視される教育なのは、社会がそれを求めているからであって、まあ、社会の縮図なんだろうな、と思うのです。

なので、少し違和感があるのは、オランダの教育だけを「ポッ」とそのまま日本に持ってくること。もちろんアメリカ式でも、イギリス式でもインド式でも同じです。どこかの国の教育だけをそのまま持ってくることには、ちょっと違和感というか、危機感を感じます。日本の社会が求めていることを完全に放棄して、他の社会で必要とされるものだけを教育すると、その教育を受けた子どもたちは、日本では適応できなくなるのではないかな?と思うからです。

英語が話せる、ディベートができる、論理的な思考ができる、ということはもちろん良いのですが、それ以前に、もし日本で生活をするのであれば、日本の社会が求めていることをしっかり学び、その上で他の国のことを知ったり、学んだりすることが必要ではないか?と思うのです。

まあ、結局はどんな世界で、どんな生き方をしたいのか?そのための選択肢を幅広く知ったり、何かのきっかけを産んだりする、そのための基礎が教育ではないか?と思うのです。

そういえば、うちの子どもたちが通う小学校の校長先生は「子どもたちが大人になったときの楽しみを見つけること。それが小学校教育の目的だ」と言ってました。

そう考えると、少なくともオランダにおいては、例えば「良い大学に入って、良い企業に勤める」という人生が良いのか? 悪いのか?ということ自体、さっぱり分かりません。日本でもさすがに終身雇用は減ってきていると思いますし、転職することも市民権を得て久しい。でもいずれのタイミングでも、いわゆる「良い大学」を出ていると、有利であるというのはリアルかと思います。そういう意味では、やっぱり良い大学を出ることは、いまだに大事というか、アドバンテージにはなるだろうな、とは思ったり。でも、オランダではこの理屈は合わなさそう、とかとか。

やっぱり教育って、社会の縮図なんですよね。

よく、教育関係者的な人が、海外の教育のことを物知り顔に語ったり、さも日本の教育が世界から遅れている的な文脈で語っているのを聞きますが、それらはあんまりあてにならないかな?と思って見ています。

もちろん、今はグローバル化が進んでいたり、自分の子どもが世界に出ていかなくても、勝手に世界の方が日本に入ってくる時代ではあるのですが。でも、やっぱりなおさら、日本らしい教育って必要だな、と常々思います。教育は社会の縮図であり、その人のアイデンティティを作るものですからね。

ひょっとして、こういうことを知ることこそが、日本人が世界で活躍するために必要なことなのかもしれません。あ、でもこんなこと言っていながら、世界で活躍できてないのはオマエだろ!というツッコミはなしでお願いします…。


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