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Twitterはいよいよ限界?もう引っ越ししかない?2023年のSNSとの付き合い方を考える
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  • 2023.01.03
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Twitterはいよいよ限界?もう引っ越ししかない?2023年のSNSとの付き合い方を考える

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【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(32)

渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott

エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者

兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:Cakes(ケイクス)ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。

イーロン・マスクによる買収でますます混乱するTwitter

2022年のソーシャルメディアに関する最大のニュースは、イーロン・マスクによるTwitter買収と言えるだろう。

マスクによるTwitter買収は最初から問題続きだった。彼は4月にTwitter株の9%を購入したことを公開したのだが、当初オファーされた取締役のポジションでは満足しなかった。Twitterはマスクによる敵対的買収を防ぐために「ポイズンピル(敵対的買収者以外の株主にあらかじめ時価より安い価格の新株予約権を付与し、買収のコストを上げる行為)」を試みたが、結果的に1株につき54.20ドル、総計約440億ドル(約6.4兆円)で買い取るというマスクのオファーを受け入れた。当時の株価より高い値段をつけてまで買い取ろうとした理由は、「(Twitterの)プラットフォームで言論の自由(free speech)を適用する」というものだった。

Twitterは4月25日に買収オファーを受け入れる決議をしたが、その後マスクは「Twitterのアカウントの5%が偽アカウントやスパムだ」という理由で買収を一時的に保留にし、公の場でTwitterについての苦情を言い、すでに合意している買収手続きを進めようとしなかった。そこでTwitterがデラウェア州に訴え、マスクはTwitterを逆提訴するという泥沼訴訟劇になりかけた。

けれども、10月の裁判が近づいたときに自分に勝ち目がないことを予測したマスクは、元のオファーどおりに買収を完了させることにした。10月28日にTwitterのオーナーとなり、CEOのパラグ・アグラワルなどの主要経営陣と社員の半数を即座に解雇した。そういったマスクの言動に反論した社員も解雇を言い渡されている。

マスクがTwitterを買収する前からユーザーの間には不安が漂っていたのだが、予想どおりにマスクはTwitterでの投票の結果でトランプ元大統領をTwitterに復帰させ、ナンシー・ペロシの夫が襲撃された件で右派による偽情報に基づいたアンチLGBTQ+ の陰謀論をツイートした(現在は消されている)。

440億ドルの出費を取り戻すための手っ取り早い方法としてマスクが導入したツイッターブルー(Twitter Blue)もユーザーの不満をつのらせた。月額7.99ドルを払えば青色認証バッジを得ることができるというもので、それによってバッジを得たユーザーが公式ユーザーのフリをするという出来事が数多く起こった。

例えば、米国の任天堂(Nintendo of America)の公式アカウントのふりをしたアカウントがマリオに中指を立てさせる、といったものだ。こういった混乱ぶりに、これまでTwitterを広告に使っていた上位企業100のうち50が広告を中止した。また、偽情報を流していたために凍結されていた右傾アカウントの数々を「言論の自由」を理由に復活させたマスクは、一方で自分に対して批判的なジャーナリストのアカウントを次々に凍結させた。

このようなことが相次いだため、2022年の11月ごろから私の周囲でも多くの人たちがTwitterからの引越し先を話し合うようになった。日本人の友人・知人の間ではマストドン、アメリカ人の友人・知人の間では11月に招待制ベータ版登録を始めたばかりのPostが人気なのだが、Twitterはマストドンを含む特定ソーシャルメディアへのリンクやハンドル名を投稿することを禁じてしまった(その数日後に禁止は解かれたようだが今後さらなる二転三転があるかもしれない)。そしてTeslaの株価まで下がり11月半ばにはTwitter購入を提案したときからほぼ半額くらいになってしまったことなども影響してか、マスクは自ら行ったTwitterでの投票結果を受けてCEOを退任することを決めた。けれども、彼がオーナーである限りは、誰がCEOになってもそう変わらないであろう。

Twitterを最悪な場所にする「怒り中毒」と「はい論破」

2009年1月にTwitterを始め、このソーシャルメディアを通じて多くの人と知り合い、実りある人間関係も培ってきた私としては、Twitterがこうなってしまったのを寂しく思っている。けれども、マスクが買収する前から次第にTwitterと距離を置くようになっていたのも事実だ。そこまでの流れを少しご説明しよう。

Twitterを始めた初期の頃の私は「ソーシャルメディアはあくまでツールでしかない。使う人によって良くも悪くもなるものだ」と信じていた。12年前の2010年10月に刊行した『ゆるく、自由に、そして有意義に – ストレスフリー・ツイッター術』(朝日出版社)も、その信念に従って書いた。けれども、完璧な「お花畑」を信じていたわけではなく、すでに「ハラスメント」「個人攻撃的なリプライ」「自己顕示欲」「ツイッター中毒(依存症)」といった問題に気づいており、それらについても忠告として書いていた。

実際に自分がそういった攻撃の対象の不気味さを体験したのは、それから5年後くらいだった。私のブログ「洋書ファンクラブ」で人種差別、女性蔑視、性暴力、LGBTQ+などをテーマにした洋書を紹介し、Cakesの連載コラムで米国の社会問題について書くようになり、自然な流れとしてTwitterでもそういった発言をするようになった。すると、初期の頃とは異なるフォロワーが増え、同時に見知らぬ他人から想像もしなかったような攻撃を受けるようになった。

私だけでなく、多くの人がそういった体験をしていることに気づいたので人格攻撃に対する対応方法をコラムとして書き(自著『アメリカはいつも夢見ている』に収録)、そのときに作ったフローチャートに「ツイッターは実りある対話に適したメディアではありません。攻撃的、理解の基盤が異なり過ぎて説明不可能、執拗、といった場合はTL整理のためにお返事せずにブロックしますのでご了承を」というコメントをつけて固定ツイートにした。

「ソーシャルメディアを通じて悪いことが起こるのは、使う人が悪いからだ」という初期の考え方に疑問を抱くようになったのは、FacebookとTwitterで拡散した偽情報が大きな影響を与えた2016年のアメリカ大統領選挙がきっかけだった。

その後、レベッカ・ソルニットの『それを、真の名で呼ぶならば(原題:Call Them by Their True Names)』(岩波書店)に収録されたエッセイ〈無邪気な冷笑家たち〉と〈憤怒に向き合う〉を訳しているときに、「ソーシャルメディアで起こっていることはまさにこれだ!」と思った。

たとえば、Twitterで口論が起こり相手がリプライしなくなった場合、それは「この人と対話をしても意味はない。時間の無駄だからやめよう」といった理由であることが多いと思うのだが、「はい論破」と悦に入る人がいる。この「論破」という考え方の背景にあるのがソルニットの言う「冷笑」である。彼女が言う「ニュアンスや複雑さを明確な二次元論に押し込もうとする衝動」はソーシャルメディアに蔓延しており、社会を良くするために長年地道に働いている人が積み上げたものを一瞬にして破壊する力がある。

また、〈憤怒に向き合う〉が扱っているのは「怒り」の取り扱いの難しさである。ソルニットはこう書いている。

「ソーシャルメディアでは、最新の間違いを言った人やした人に正義の拳を振り上げて快感を得るために、事実に対してはいい加減な注意しか払わない」

「もっとも怒っている人たちはしばしば、もっとも騙されやすい人たちであり、怒りの炎を煽るものであれば、いちいち吟味せずに喜んで飛びつく」

「怒りを誘発するコンテンツは成功する可能性が高く、記憶にも残りやすい」

Twitterでフォロワーを爆発的に増やしている人たちをソルニットの視点で観察すると、「冷笑」「怒り」が大きな誘引の要素になっていることがわかる。問題発言をしている人のツイートを見つけ出して批判つきの引用リツイート(コメントつきRT)で論争を起こすのを趣味にしているような人も、連日目につくようになってしまった。

私自身も、社会で起きている不平等について声を上げたときに、賛同のリツイートが多いと自分を認められたような気持ちになって嬉しくなる。だがそれを再現したい欲求にかられる依存性もある「危ない感覚」なのだということを、ソルニットのおかげで自覚するようになった。

虐殺が起きても気にしないが、ユーザーが減ると騒ぎ出すFacebook

ソーシャルメディアについてさらに考えるようになったのは、ソーシャルメディアを使ったマーケティングについて早期からビジネス書を書いてきたわが夫(David Meerman Scott)との毎日のディスカッションも影響している。そのひとつが、Facebookのアルゴリズムの危険性についてだ。

2022年9月に発売された『The Chaos Machine:The Inside Story of How Social Media Rewired Our Minds And Our World(ケイオス・マシン:ソーシャルメディアがいかにして私たちの意識と社会の回路をつなぎ変えたのかという内部事情)』というノンフィクションは、アルゴリズムの危険性を知っているつもりだった私にも衝撃的だった。

ピューリッツァー賞候補にもなったニューヨーク・タイムズ紙のジャーナリストMax Fisherが徹底的に取材して書いたこの本を読んだことで、「ソーシャルメディアを通じて悪いことが起こるのは、使う人が悪いからだ」という初期の私の信念は完全に吹っ飛んだ。

ソーシャルメディアでは心温まる投稿や楽しい投稿にも共感が集まるが、利用者がそれよりも長時間とどまり、拡散する動機となるのは「怒り」というネガティブな感情を掻き立てる投稿である。その中でも人は「moral outrage(道徳的憤慨)」に強く惹きつけられる。

Facebookはそれを熟知しているので、そういったコンテンツがより多く出てくるようなアルゴリズムを作っているのだ。憤慨を引き起こすようなニュースや情報をクリックして読むと、アルゴリズムは同じようなコンテンツをどんどん見せるようになる。その中には偽情報や陰謀論も多いのだが、Facebookはそれらを排除することはない。利用者はクリックすることで、もっと極端なコンテンツを読むようになり、どんどん泥沼にはまりこんでいく。極端なコメントで怒りを煽る人は人気者になれるので、それを狙う人も出てくる。そして、同じ信念を持つ人とだけ繋がって、憤慨を募らせ、団結していく。そういう仕組みなのだ。

そのメカニズム自体は知っていたが、ミャンマーとスリランカで起こった暴動とジェノサイドで大きな役割を果たしたのがFacebookだということは知らなかった。

ミャンマーでFacebookとYouTubeを活用したのは、少数民族のイスラム教徒ロヒンギャ族に対するヘイトを拡散しているカリスマ的な仏僧ウィラス(Wirathu)である。ウィラスはミャンマー各地を旅しながらヘイトを拡散する一方で、ソーシャルメディアのフォロワーを増やしている。

2014年には「イスラム教徒の喫茶店オーナー2人が仏教徒の女性をレイプした」という偽りの投稿をした。ウィラスは、店主と店の名前も公表し、イスラム教徒が仏教徒に対して反乱を起こそうとしているという陰謀論を広めるとともに、それを防ぐ先制攻撃として政府にイスラム教徒とモスクを攻撃するよう呼びかけた。

ウィラスの投稿は拡散され、それを信じた仏教徒らが隣人であるイスラム教徒を攻撃する暴動を起こした。暴動が広まる中で、ミャンマー政府高官がコンサルティング会社のデロイトを通じてFacebookにコンタクトしようとしたのだが、Facebookは政府にもデロイトにも返事すらしなかった。そこで政府は暴動が起こっているマンダレーでFacebookをブロックし、それによって暴動は静まった。呆れてしまうのは、その翌日にFacebookが初めて政府にコンタクトしたことだ。しかも、暴動についてではない。「なぜFacebookをブロックしたのか?」という問い合わせだった。

スリランカでの例もミャンマーのケースに似ている。海外での肉体労働でお金を貯めたイスラム教徒の兄弟がスリランカのアンパラ(Ampara)という小さな村で念願のレストランを開いた。

Facebookでは「アンパラに住むイスラム教徒の薬剤師が所持していた、男性を不妊にさせる薬2万3000錠を警察が没収した」という噂が流れており、その夜、多数民族のシンハラ人の客が「カレーの中に何かが入っている」と騒ぎ始めた。少数民族語のタミールを話す兄弟はシンハラ語での質問が理解できず「わかりません」「はい。私たちが入れました?」と答えた。それを告白だと受け止めたシンハラ人は彼を殴って店を破壊し、近くのモスクに火を付けた。

これまでであれば暴動はそこでストップしていただろうが、言葉がわからないイスラム教徒の「はい。私たちが入れました?」というビデオはFacebookグループを通じてまたたく間に広まり、「すべてのイスラム教徒を殺せ。幼児も例外にするな」というジェノサイドを呼びかけるコメントが何百も投稿された。

地元の人権グループはそれらをすべて調査してFacebookに対応を求めたのだが、その訴えかけは完璧に無視された。暴動を恐れたスリランカ政府も対応を求めたがFacebookは何もしなかった。緊張が高まる中で、イスラム教徒との交通トラブルの揉め事で重症を負っていたシンハラ人のトラック運転手が死亡し、それがイスラム教徒によるシンハラ人抹殺計画であるという噂がFacebookからWhatsApp、Twitter、YouTubeで拡散されていった。そこで募った怒りと憎しみによる暴動で数多くのイスラム教徒が暴力をふるわれ、家を焼かれ、殺される暴動が3日続いた。

スリランカ政府もついにFacebookをブロックしたのだが、Facebookはスリランカでの利用がゼロになってはじめてポリシー・ディレクターを送り込んだ。ミャンマーの事例と同様に、Facebookは数多くの人が殺されても平然としていられるのに、利用者が減ると慌てるのである。

Facebook(Meta)を代表とするシリコンバレーの価値観では、お金をもたらすようなアルゴリズムこそが正義なのだ。たとえその結果、無実の人々がレイプされ、惨殺されたとしても。そして、それに憤慨する私たちも、虐殺に手を貸したソーシャルメディアで富を築いた起業家たちを「成功者」としてヒーロー扱いする心理がある。

そういった数々の現象にうんざりしてしまったのが2022年だった。

自分の庭だけでも「花や実のなる畑」にするために

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ソーシャルメディアにどっぷり浸かりきって、そこでの戦いが依存症のようになっている知人を何人か見かけてしまったことも影響している。それがきっかけで特にTwitterで費やす時間を大幅に減らしてしまった。日本ではFacebookを通じてニュース記事に触れる人は少なく、アメリカ在住の私も英語のニュースは大手新聞(ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、ボストン・グローブ紙など)のサイトでしか読まない。だから、私のタイムラインで表示されるのは知人が(特に日本で)食べている美味しそうな食事の写真と、服・靴・バッグの広告ばかりである。アルゴリズムが薦めてくれるビデオはダンスと赤ちゃんと動物だけ。Twitterでは反論ではなく、応援したいものだけ選んでリツイートするよう心がけているので、かなり平和になった。

世界を変えられない非力に打ちひしがれていても仕方ないので、アルゴリズムを私なりに教育して自分の庭だけは花畑であるよう試みている。でも、Twitterがすっかり壊れた時のために去年11月にマストドンのアカウントを作った

アメリカ人の友人からは「Postに移ったから、あなたもPostに来てみない?」と誘われていたのだが、「私はマストドン始めちゃったし、今でも忙しすぎてソーシャルメディアに時間をかけられないから、これ以上増やしたくないんです」と加わらなかった。

マストドンを選んだのは、これまでTwitterで仲良くしていた日本人ユーザーの多くがこのSNSに移ったこともあるが、SF作家である知人の藤井太洋さんの影響もある。

藤井さんは、おそらく世界最初の「マストドン小説」を書いた人物だ。『ハローワールド』に収録された短編小説「巨像の肩に乗って」は、最初は文芸誌「小説現代」の2017年8月号に掲載されたもので、その短編の「僕」である泰洋さんのように、藤井さんも自分でマストドンの「インスタンス」を立ち上げて運営するようになった。

藤井さんの小説から引用させていただくと、

「〈マストドン〉が他のツイッタークローンと全く異なるのは、ユーザーとして利用するサービスではなく、保有し、実行できるプログラムとして公開されたことだ。/ホームページを持つところから一歩足を踏み出して、持ち家に相当するWebサーバーをまるごと持っている人なら誰でも、「自分の〈マストドン〉」を立ち上げて、友人を招くことができる。そうやって動いている〈マストドン〉のプログラムは、インスタンス(実体)と呼ばれる。」

である。この小説を読むと、マストドンがどういうものであり、なぜ藤井さんが自分でインスタンスを立ち上げるようになったのかわかるようになるので、ぜひ読んでいただきたいと思う。

私がマストドンを始めたのは非常に忙しい時だったので、アカウントを3つほど作ってみたものの、どう使えばいいのかを学ぶ時間がなかった。いまもまだ時間をかけていないので、ひとつのアカウントだけを使って「試験運転中」である。ただし、私の場合には幸いなことに、藤井さんや、同じようにTwitterやソーシャルメディア全体に対してしっかりと考えてきた知人が何人かいたので、孤独さは感じずにすんだ。

私のように最近マストドンに加わった人たちは、Twitterとは異なる使い方を模索している最中のようだ。Twitterも私が加わった2009年初期には「Twitterとはなんぞや?」というツイートと、それに対する反応が多かった。それを少し思い出すが、最大の違いは、2009年当時の「Twitterとはなんぞや?」には子供が遊び方を考える無邪気さがあったが、2022年末の「マストドンをどう使うべきなのか?」には人生に疲れた中高年の禅問答的なところがある。

Twitterでも、一時期は社会問題について真摯に語り合い、啓蒙していこう、という雰囲気があった。しかし、一瞬にしてそれが個人攻撃的なバッシングと極端なキャンセルカルチャーに変貌してしまった。マストドンは、Twitterで炎上の要因になっている「引用リツイート」はできず、RTに相当する「ブースト」しかできない。だからツイートが拡散しにくいかわりに、炎上もしにくい。また、分散型ソーシャルネットワークだから、きちんと管理しているインスタンスを選ぶ(できる人は自分で作る)ことでかなりの攻撃をコントロールできる。

さきほど「花畑」と書いたが、世界で起こっている大きな問題をなかったことにして、差し障りのないことばかりを語り合う関係を作ろうと思っているわけではない。相手の話を「聴く」という姿勢を持っている人と有意義な繋がりができるような「花だけではなく実もなる畑」である。そのために、Twitterとは別の場所でリセットしてみる、という感じなのだが、まだ手探り状態だ。

ただし、過剰な希望を抱いているわけではない。どこに行っても「憤慨」は威力を振るうだろう。危険性を知っている自分でさえ無視できない魅力的な感情だから。でも、たとえ憤慨していても、ソーシャルメディアに書き込む前に自分の考え方や発言を「編集」できる人と前向きに繋がりたいと思う人は少なからずいると思うので、そういった仲間を作るのが2023年の抱負である。


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