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日本の“商業的メタバース”への物足りなさ。人間を進歩させる「バーチャル葬儀」を議論したい
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  • 2022.02.08
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日本の“商業的メタバース”への物足りなさ。人間を進歩させる「バーチャル葬儀」を議論したい

Photo by Unsplash

岩渕潤子

『アグロスパシア』主筆・編集長、青山学院大学客員教授

ニューヨークのホイットニー美術館でのヘレナ・ルービンスタイン・フェローを経て『NY午前0時 美術館は眠らない』(朝日新聞社)を出版。フィレンツェ、ロンドンで研究を続けながら、執筆活動を開始。専門領域は美術館運営・管理と文化施設の情報デザイン、富裕層マーケティング、多様性とソーシャル・インクルージョンなど。AR/VR等のメタバースを中心としたITスタートアップとアートの掛け算となるプロジェクトを模索中。静岡文化芸術大学准教授、慶應義塾大学教授を歴任の後、現職。著書に『美術館で愛を語る』(PHP新書)、『ヴァティカンの正体: 究極のグローバル・メディア』(ちくま新書)ほか多数。
Twitterアカウントは:@tawarayasotatsu

聞き手:米田智彦・長谷川賢人 文・構成:長谷川賢人

日本のメタバース議論は退行的ではないか?

ビジネス界を中心に「メタバース」という言葉が飛び交っています。FacebookがMetaへ社名を変え、投資が集まる機運を見せています。それを横目に思い出すのは、かつてもてはやされていた「セカンドライフ」です。サービスのリリースは2003年、盛り上がりのピークは2006年頃でした。ただ、日本における現在のメタバース議論は、ほぼ「あの時のセカンドライフみたいなもの」と言っても差し支えないのでは?

私自身、メタバースやホログラフィックな表現には10年ほど前から関心を抱いてきました。セカンドライフが社会の注目を集め、企業がバーチャルな土地を確保したり、大学のキャンパスが誘致されたりと、現在の「デジタルツイン・シティ」と同じような動きが起きていたのを覚えています。しかし、VRゴーグルはおろかiPadさえない時代です。私たちはセカンドライフを十分に楽しむためのハードウェア、そして通信環境を確保することさえ難しい時代だったのです。

それが現在は通信環境が段違いに良くなり、当時「やりたかったこと」の数々が、ようやく実現できるようになってきました。一例を挙げれば、2021年9月に東京医科歯科大学小児科が実施した、病棟にプロジェクションマッピングを設置するためのクラウドファンディングです。子どもたちの不安が和らぎ、笑顔になるための工夫としてホスピタルアートに注目したプロジェクト。

実は私も10年前に、長期療養の子ども向けプログラムを模索し、医師や心理療法士とディスカッションを重ねたことがありました。しかし当時は通信環境などがネックになり、私たちの構想は思ったように実現できなかったのです。それが、このプロジェクトのように現実的な「できること」に変わったのは大きな進歩であり、感慨深くもあります。

これだけの進歩がある一方で、日本を取り巻くメタバースは「いかにそこで商売をするか」という表面的なビジネス論ばかり。インターネットが世の中に出てきた時、そこには哲学的議論がありました。「インターネットによって社会はどう変わるか」を盛んに語り、その可能性を深く思考したものです。環境が整備され、「やりたかったこと」が実現できるようになったはずなのに、そこでなされるのが「ゲーム感覚を用いたECやマーケティング」という話ばかりなのは、人間として退行的だと感じます。必要なのは、もっと根本的な議論のはずです。

もっと違う方法で、せっかくの「やりたいこと」が叶いつつある環境を用いて、人間として進歩の道を歩むことはできないものか──。そこで私は、メタバースによる死生観のアップデートを考えています。その一つの形が、メタバース上で行う「バーチャル供養」です。

「理想とするお別れ」を叶えるテクノロジー

Photo by Shutterstock

私のSNSフォロワーは7割が海外在住ですが、昨夏から「この状況で親が危篤になったらどうしよう」という話題が増えました。コロナ禍では危篤であっても入国制限があり、葬儀も隔離期間が必要になるため間に合いません。新型コロナウイルス感染症で亡くなった場合、遺体はすぐにボディバッグにしまわれ、次に会えるのは火葬後の遺骨になってからです。

世界中で「最期の別れ」が叶わず、また葬儀へ行けなかった後悔が募る人々の姿を、私はSNSなどを通じて見てきました。悲しみが可視化され、誰もが否応なく「死」に向き合うことになりました。新型コロナウイルス感染症は、私たちに死生観を考え直させたともいえるでしょう。

コロナ禍で始まったサービスに「バーチャルお墓参り」がありましたが、それらは従来のご供養を遠隔でつなぎ、映像を中継するだけに留まりました。そこで私が考えたのは、真に「バーチャル」を謳うのであれば、VRやホログラフィックな手法を用いて、全てがメタバース内で完結する供養へと定義を根本から変えることです。

私が想像するのは、言わば「自分が理想とするお別れ」を実現できるテクノロジーです。仮想空間でお見送りやご供養を行うことで、人の心のコンテクストに寄り添って、人間の根源的な部分に関わる形で、メタバースの活用を提示できるのではないか、と。平凡な毎日を暮らしていて、ふと亡くなった両親のことを思い出したとき、メタバースへログインする。そこでSiriやAlexaに話しかけるように、バーチャルな両親と面会し、対話できる。それこそが、これからの供養の形となるのではと私は思っています。

次ページ:少子高齢化だからこそメタバースで供養を

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