CULTURE | 2020/10/29

格闘技は本来、強い人間が挑戦するものではない?戦い続ける原動力はコンプレックス【連載】青木真也の物語の作り方〜ライフ・イズ・コンテンツ(12)

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15年以上もの間、世界トップクラスの総合格闘家として、国内外のリングに上り続けてきた青木真也。現在...

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15年以上もの間、世界トップクラスの総合格闘家として、国内外のリングに上り続けてきた青木真也。現在はアジア最大の「ONE」を主戦場とし、ライト級の最前線で活躍。さらに単なる格闘家としての枠を超え、自ら会社を立ち上げるなど独自の活動を行う。

そんな青木は、自らの人生を「物語」としてコンテンツ化していると明かす。その真相はいかに? 異能の格闘家のアップデートされた人生哲学が今ここに。

聞き手:米田智彦 構成:友清哲 写真:有高唯之

青木真也

総合格闘家

1983年5月9日生まれ。静岡県出身。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜される。早稲田大学在学中に、柔道から総合格闘技に転身。「修斗」ミドル級世界王座を獲得。大学卒業後に静岡県警に就職するが、二カ月で退職して再び総合格闘家へ。「DREAM」「ONE FC」の2団体で世界ライト級王者に輝く。著書に『空気を読んではいけない』(幻冬舎)、『ストロング本能 人生を後悔しない「自分だけのものさし」』(KADOKAWA)がある。

結果は変えられなくても、結果の解釈は変えられる

格闘家である以上、そこには常に勝敗が付き纏う。だから、試合前に対戦相手とどんなに大口を叩きあったとしても、2人のうちどちらかは必ず敗者となるのだ。

僕とて、試合前に大言を吐きながらも、負けてしまう未来をまったく想定していないわけではない。もちろん、負けることが怖くないわけでもない。

しかし、ここで最も大切なことは、仮に負けてしまったとしても、その敗戦にどのような価値付けができるかだと僕は思う。いつか「あの負けがあったから今がある」と思えるようになるのか、それとも「あの負けのせいでこうなってしまった」と悔いることになるのかは、その後の取り組み次第なのだ。

僕の場合でいうと、かつて柔道を辞めなければならなくなった時は深く落ち込んだものだが、今になって思えば、それによって開けた格闘技の世界で得たものの方がはるかに大きいと思っている。大学時代、柔道部の監督からクビを宣告されていなければ、間違いなく今の僕は存在していないのだから、あれも必要なトラブルだったと感じている。

つまり結果は変えられなくても、結果の解釈を変えることはできる。これは、ひとつの希望だろう。

ただし、見方を変えればこれは、納得のいく解釈にたどり着くまで、ずっと頑張り続けなければならないとも言えるから、やはり人生は楽ではない。歩みを止めた瞬間に、それまでの過去が無価値なものになるとすれば、絶望感を覚える人もいるだろう。だからこそ人は、今を懸命に生きなければならないのだ。

かくいう僕はと言えば、実は過去の敗戦をネガティブに振り返ることはあまりない。それはきっと、「あの負けを経験したから、その後の取り組みが変わった」、「あそこで負けたから、ここまで上り詰めることができた」と、すべていい解釈に変えられる程度には努力を重ねてきたからだろう。

ただ過去の結果を反芻するだけの人生と比較すれば、その差はとてつもなく大きいはずだ。努力を辞めた瞬間、解釈はすべて悪い方に変わる。だから片時も油断できないのが人生である。

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