原雄司氏が、創業社長を務めたケイズデザインラボを2017年に退職し、『DiGINEL(デジネル)』と、『DiGITAL ARTISAN(デジタルアルティザン)』という2つの新会社を設立した。
同氏は3Dプリンタ、3Dスキャンの黎明期あるいはそれ以前から、技術の普及や事業化に尽力してきた人物であり、自ら新技術を開発する一方、企業コンサルの受託、渋谷で『FabCafe』と連携したものづくりスペースを運営するなど、技術者としても経営者としても数多くの実績を残してきた。
「アルティザン」とは、フランス語で「職人」を意味する。「3Dプリンタあるいは新技術によって、あれもこれもできるようになる」という期待は膨らむ一方だが、アイデアをビジネスとして実現化する人材は技術者(職人)・経営者ともに全く足りていない。
その両方を解決する取り組みが、2つの新会社であると同氏は語る。
聞き手・文:米田智彦 構成・写真:神保勇揮
原雄司
株式会社デジネル/株式会社デジタルアルティザン/株式会社EXTRABOLD代表取締役
大手通信機メーカーで3DCAD/CAMソフトのユーザーとして製品開発と生産技術経験。3D-CAD/CAMメーカーに転職しソフト開発を担当。その後3Dの知見を活かし、製造業からアート・デザイン、医療、教育分野まで多岐にわたる分野を支援するソリューション会社を創業し2017年まで代表を勤めた。30年以上、ものづくりと3Dプリンターや3Dスキャナーなどの3Dテクノロジーに深く関与してきたスペシャリストとして、専門メディアでの執筆連載や書籍なども出版。現在、3つの会社の代表をしながら、慶應大学SFC研究所員として、デジタルファブリケーションを中心に、スポーツやフード、ファッションとテクノロジーの活用も研究中し、ラボドリブンビジネスを試行している。
51歳からのスタートアップ
―― 2017年に新会社を2つ立ち上げたそうですね。
原:51歳にして、DiGINEL(デジネル)と、DiGITAL ARTISAN(デジタルアルティザン)という2つの会社を立ち上げました。後で詳しくお話ししますが、実はそれらと別の新会社もスタートしました。
前職のケイズデザインラボという会社を12期やって、僕自身がやりたいこととオーナーが考えていることとの間にちょっと合わないところがあり、僕と当時取締役だった井出まゆみが退社し、独立することにしたんです。独立といっても、ケイズデザインラボでの事業を譲渡してもらってスタートしている、分社に近い形ですね。
―― 原さんのやりたいこととは、どんなものだったのですか?
原:ケイズデザインラボのメイン業務は3Dプリンタやスキャナー、つまりハードの販売でした。まだテクノロジーが習熟していないので、海外から輸入してきたものを使い方のレクチャーなんかを含めて提供するといった、いわゆるソリューション販売みたいなことが中心だったんです。
デジネル/デジタルアルティザンのプレゼンテーション資料より
ただ一方で「それらを使ったプロトタイプを迅速に作りたい」とか、「新しいビジネスができるのではないか」といった相談を受けることも多かったんです。そこで僕としては、研究することそのもの、あるいは研究結果をいかにビジネス化、マネタイズできるようにするかというコンサル的なことをメインビジネスにする、「ラボ・ドリブン・ビジネス」ということをやっていきたかったんです。
このコンプトについては、慶應大学の田中浩也教授(SFC研究所所長。日本とアジアでのファブラボ、ファブシティー推進の中心人物)たちが早くから「デジタルファブリケーションの時代」を提唱し、日本でのムーブメントを先導してきた動きから多分に影響を受けており、田中さんには実際にデジタルアルティザンの顧問にも就任してもらいました。
「ラボ・ドリブン・ビジネス」とは何か
―― FINDERSは「クリエイティブ×ビジネス」がテーマのメディアなので、まさにぴったりなお話です。新会社でのビジネスについてお聞きする前に、まずラボ・ドリブン・ビジネスがどんなものかを教えていただけますでしょうか。
原:例えばライゾマティクスやチームラボがやっている仕事というのは、最新のテクノロジーをイベントや広告で駆使しているわけで、ラボ・ドリブン・ビジネスにかなり近いと思っています。あとはメルカリが2017年に「迅速なサービス化」を目標とした研究組織『mercari R4D』を立ち上げていましたが、それに近いことができないかと考えています。
デジネル/デジタルアルティザンのプレゼンテーション資料より
―― 自分たちで研究・開発したテクノロジーを使って、新しい製品やビジネスを立ち上げていくということでしょうか?
原:それもあり得るでしょうが、それだけではありません。3Dプリンタやスキャナーなどに関わる「新しい技術があるのは知っているけれど、それを使った実務を誰に頼めば良いかわからない」「新しい技術を活かした新規ビジネスを立ち上げたいけれど、その具体案が策定できない」といった悩みを解決するといったコンサル的な取り組みもこれまでに何度もしてきましたし、そのための会社や人材のマッチングも手がけていくつもりです。
―― 企業やスタートアップの悩みにはどんなものがあるのでしょうか?
原:3Dプリンタなどの販売をやっている頃もそうだったのですが、「ブームになってるから、何かやれば儲かるんじゃないか」といった形で事業計画を練らずに飛びついて失敗してしまう人を少なからず見てきました。例えば3Dでスキャンをして人のフィギュアを作るという、リアルフィギュアビジネス、3D写真館って最近ほとんど見なくなりましたよね。
―― 一時期は流行りましたが、確かに全然話題を耳にしなくなりましたね。
原:ああいったビジネスが海外で成り立っているのは、スキャンしたデータを立体化するにあたって必要な細かな調整を、人件費が安い国で外注に出したりとコストカットの努力をしているからなんです。ケイズデザインラボ時代、渋谷の『FabCafe』で設置に1億円かけたボディースキャナーを使えるようにしていましたが、あれは我々が機器の販売をしているというビジネス上のベースがあって初めてできることで、ユーザーから徴収する利用費、サービス料金などでは材料費含め絶対に割に合いません。
今後はそういったところがないように相談に乗っていくと同時に、シードとして世界中に転がっているネタを組み合わせて「こういうビジネスができるのではないか」というプロトタイプまで作れるという会社としてデジネルを立ち上げました。
3Dプリンタでネイル業界が変わる!?
OpenNailの公式サイト
―― なるほど。すでに進んでいるプロジェクトもあったりするのですか?
原:「まさにこれがラボ・ドリブン・ビジネスだ!」という一例として、東芝デジタルソリューションズと、ネイルチップのベンチャーのミチという会社が共同で展開している『OpenNail』というサービスに協力しています。
―― どんなサービスなんでしょうか?
原:まず、爪の装飾はざっくり言うとジェルを塗るマニキュア、ジェルネイルと、絵柄が印刷されたものを貼るネイルシール、ネイルチップとに分かれるんですが、それぞれにデメリットがあるんです。
例えばネイルシールは安っぽく感じてしまうとか、ネイルチップは爪の大きさが十人十色なので合うものがなかなか見つからないと。一方でジェルネイルは爪がボロボロになってしまう恐れがあったりだとか、あとは私の妻から聞いた話なんですが「ジェルネイルをしていると、ママ友から子育てに参加していないのでは?と噂される」なんてことがあったりするそうです。
―― 要するにどれも一長一短なわけですね。
原:そうした悩みを解決すればビジネスになるのでは、ということで、東芝の女性社員が「3Dスキャン、3Dプリンタを使って個々人の大きさに合わせたオーダーメイドのネイルチップを販売する」というプランを社内ベンチャー制度の提出して、採用されたんです。ただ社内で3Dプリンティングやスキャンの技術はまったくなかったので、ケイズデザインラボ時代から技術支援をしてきました。実際にプロトタイプがあるかないかでは、こういった大企業ほど事業展開のスピードに関わってきます。
―― 販売はもう開始されているんですか?
原:公式HPで販売しているのと、これまでに東急ハンズや渋谷ヒカリエで爪の3Dスキャンデータの登録を兼ねたテスト販売を行いました。まだ量産のための製造機が完成しきっていないので、今年の春までに用意する予定です。NHKやワールドビジネスサテライトなんかにも取り上げられて、反響もかなりありました。
OpenNailの実物。価格は初回のみ爪の型登録に2,000円必要で、以降は1デザインにつき7,800円となっている。
―― 女性からの期待も高そうですね。
原:はい。日本のネイルのサービス市場は、日本ネイリスト協会の統計によると2016年段階で約1,680億円で、ほぼ全てがジェルネイルなんです。つまりネイルチップの伸びしろがものすごくあるということです。仕事でタイとか東南アジアへ行っても、組み立て工場なんかではジェルネイル禁止ですので、チップにすれば好きなときに付けられて外せるという。グローバルに売れる商品にもなれる可能性が十分にあります。
さらにこれ、男性向けの市場も見込めると思っているんですよ。
―― 男性向けのオシャレということですか?
原:純粋なファッション商品というよりは、例えばいわゆる「スポーツネイル」などの領域です。僕も仕事と並行してキックボクシングを長年やってきましたけど、爪が縦割れするのでジェルネイルを塗るんです。ネイルチップにはチップやセンサーも入れられるので、例えばパンチを何発打ったかだとか、加速度がどれぐらいだとか、全部ログを取れます。今スマートウォッチなどのウェアラブル端末に注目が集まっていますが、そういったアイテムの一つとしても受け入れられるのではと考えています。
“コトづくり”のデジネル、“ヒトづくり”のデジタルアルティザン
デジタルアルティザン公式HPより
―― それ一つだけとってもすごく興味深いですね。話を戻しますが、デジネルとデジタルアルティザンという2つの会社は、それぞれどんな役割があるのでしょうか?
原:手がける内容は両者でそう大きくは違わないのですが、それぞれオーナーが違います。デジネルは僕と井出が自身のビジネスをやるという会社ですが、デジタルアルティザンは『Mistletoe(ミスルトゥ)』という孫泰蔵さんが経営するベンチャーキャピタルに出資してもらった合弁会社なのです。
ミスルトゥはハードウェア系のスタートアップ企業にも投資しているんですが、我々も少しずつですがお手伝いすることもあります。
―― 苦労、というのは具体的にはどんな内容なのでしょうか。
原:今の日本のハードウエアスタートアップの成功パターンというのは、大抵が家電メーカーなど大手企業の出身で、中国に行ってプロトタイプを作ってといった経験も豊富ですが、そうでない、技術力とアイデアはあるという若い人がいきなり行っても中々難しいところがあるんです。
―― では、原さんに入ってきた案件を手がけるのがデジネル、孫さん経由の案件を手がけるのがデジタルアルティザンという区分けなのでしょうか?
原:必ずしもそういう区分けではないんですよ。まだ完全に定まりきっていない部分もあるのですが、デジネルでは“コトづくり”、デジタルアルティザンでは“ヒトづくり”を軸にしていきたいと思っています。なのでデジタルアルティザンには多くの技術者が所属しているんです。
今の時代、「3D技術が使える」という人の間でも、実際に使えるのがCGだけとか、あとは設計のCADだけとか、そういうふうに固まっている人が多いんです。でもうちのスタッフはそこまで深くはないものの全般が扱えるのですね。かつ、3Dプリンタもスキャナーも切削器も全部使える。いわゆるデジタルの3Dのツール全般を使えて、アナログの方法論も知っている。ほとんどが美術系の大学を出た子たちで、意外とこういう方が業界で長く生き残っているのですね。
多くの設計の現場では、ものづくりの応用力が身に付かない
デジタルアルティザン社の強み
―― 一つでも多くのツールが扱えた方が良いというのは何となくわかるのですが、そこまで違ってくるものなんですか?
原:というのも、設計だけ、CADだけやっているという人は、ものづくりの実作業、どんな技術や工程を経てそれが作られるかを実は全然知らなかったりするので、意外と応用力がないんですよ。つまりツールを使ってクリエイティブをしているというより、“ツールの扱い方に長けた人間”に留まってしまっている。もっともっとデジタルもアナログも両方理解している人材、ひいては“道具に使われない人材”が必要なんです。
こうした人材を“デジタルアルティザン”と定義し、どう育てていくかということを考えていて、大学や経産省との連携も進めています。今後開発するものも全部オープンにして、特許なんかを取っている暇があればどんどん作ってしまった方がいいという考えでインターンとかアルバイターンも受け入れ、一緒に開発をしていく。その過程でどんどん育てていこうと考えています。
―― それは面白い構想ですね。そのなかで孫泰蔵さんはどう関わっているのですか。
原:STEM教育(Science, Technology, Engineering and Mathematics、すなわち科学・技術・工学・数学の教育分野を総称する言葉。2000年代に米国で始まった教育モデル)がアジアでは泰蔵さんが住んでいるシンガポールでどんどん進んでいるなかで、日本ではやろうと掲げているだけで全然進んでいません。こうしたSTEM教育の先に一つの職種としてデジタルアルティザンがあっていいのではないかという考えから、こういう人材を増やしてほしいというのがまず一つのオーダーです。
あともう一つは、『VIVITAスタートアップクラブ 柏の葉』という、子どもが無料で利用できて、遊びながら最先端のものづくり技術に触れられるFabCafeのような施設が千葉県の『柏の葉T-SITE』内にあるんですが、こちらの活動についても、なんらかのかたちで関わって欲しいとも言われています。
社員は全員屋号=副業を持て
―― 今現在、デジタルアルティザンに在籍する技術者についてもう少し詳しく教えてもらえますか。
原:メンバーはマルチキャリアの人を中心に所属してもらっています。例えば週の半分はアーティストとして活動し、週3日間オフィスに来て、才能を活かしながら3Dツールを使ったモデリングなどを担当しているスタッフもいます。皆それぞれの報酬を取り決めて、自分のワーク・ライフ・バランスを考えながら関わってもらっています。
―― 新しい働き方という意味でも興味深いですね。デジタルアルティザンのメンバーはこれからも増やしていくんですか?
原:今後は登録制にして、外部でプロダクトデザイナーをやっているとか、既存のアーティストの方にプロジェクトごとにご一緒していただくようなかたちを取ろうと考えています。
―― やはり単に“アーティスト”だけではなくて“アルティザン=職人”というところに意味があるわけですよね。
原:はい。アーティストの中には全部自分で手を動かして完成できる人もいますが、多くの人はどこかの段階で外部の力を借りる必要が出てきます。その時に担当者の話の内容が分からないと、意図した通りのデータは作れないですよね。前職のケイズデザインラボでもその辺りの交通整理に近いような仕事を請けることが結構ありました。
例えば大手企業の大量生産品であれば仕様が決まっていて、寸法通りに作ればいいだけなので、デジタルを使う人はともすると単なるオペレーターになってしまいますよね。そうではなくて、ちゃんと自分で考えて、アーティストの言っていることを解釈しながらこうですか、ああですかとやりながらちゃんと形にする人が求められます。
「AI時代にものづくり技術者」に求められるスキルとは
原氏がケイズデザインラボ時代に開発した「D3テクスチャー」
―― デジタルツールを扱うにせよ、アナログの職人技にせよ、それぞれいろんな細かい領域もあると思うのですが、「この部分の人材が一番足りない」みたいなところはあったりするのですか。
原:CGとCADをうまく組み合わせてやれる人がいないですね。例えば車のダッシュボードってあるじゃないですか。あれはプラスチック製でシボ(革に出るシワ)のパターンがついていますが、実は日本を含め世界的にデジタル化ができていなくて、あそこだけアナログなんですよ。CADだけでは自然な風合いが出せないので、ピカピカに磨いた金型に対して腐食剤を吹き付けて、職人的な勘で削ってるんです。
こうした現状を疑問視して、ケイズデザインラボ時代にプラスチックや壁材などに自然な風合いの凹凸のシワをデータで作れる『D3テクスチャー』という技術を開発していて、このデータ作成サービスも事業譲渡してもらっています。
デジタルデータ化することによって量産用の金型にしたり、3Dプリンタで出力したりといったことができるようになるわけですが、これはこれで同じ寸法を入力すれば全部OKというわけではなく、素材によって職人的なデータ調整が必要なんです。
―― それは例えば「この素材は温度や温度によってミリ単位で収縮するから、作業時に細かい調整が必要だ」といった話ですか?
原:はい。素材や製造方法を見越したデータを作れるかどうかで、その後のクオリティやメンテナンスの難易度が大きく変わってきます。映像と製造の両方の数字データを制作できる力もあるので、ここはやはりほかの会社にないところかなと。僕自身もそうですが、3D処理ソフトのユーザーの立場、開発していた立場、使っていた立場をそれぞれ経験しているので、そういった人材が活躍できるということがこの会社の強みになっていますね。
こうしたことも将来はAIなんかで自動的にやれるようになってしまうと思いますが、そうなった時にはまた、デジタルアルティザンでないとできない仕事というのが出てくるはずなので、そういったかたちで組織として進化していきたいと考えています。
(後編に続く)