BUSINESS | 2024/01/24

地元に帰ったミュージシャンがアクセサリー起業で大成功。 シラタカズシゲが語る「やりたい仕事」で食う方法

聞き手・構成・写真:平田提

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

10代でバンドを始め、高校生でレコード会社と契約、デビューをしたシラタカズシゲ氏。音楽活動は続けているものの、現在は地元・兵庫県尼崎市の杭瀬という土地でアクリル工場の設備を受け継ぎ、アクセサリーブランドの企画・販売を行い大きく成功している。

アパレルショップや他ブランド、ビル運営などいくつもの事業を手掛ける起業家で、メディアでは「地元を盛り上げるキーマンの一人」などと取り上げられるものの、どのような経緯を経て今に至っているのか、まとまった分量のインタビューも存在せず実はよくわからなかった。

シラタカズシゲとは一体何者なのか。成功する事業のコツは?本人に話を訊いた。

シラタカズシゲ

兵庫県尼崎市・杭瀬(くいせ)生まれ。SNIF/photograph/bradshaw/CUmaなどのバンドでボーカル・ギターなどを担当。現在は地元に帰りアクリルアクセサリー事業などを営む。「西海岸ヤバ男」など別名義でアートやライター活動も行う。

10代でバンドデビューも、「伝えたいこと」がないと気づき辞める

元は眼科が入っていたという、シラタキカクの自社ビル1階で作業をするシラタ氏(兵庫県尼崎市・杭瀬)

―― アクリルアクセサリーのブランド「sAn(サン)」など複数の事業を手掛けているシラタさんですが、最初はバンドでCDを出してデビューされていたんですよね?

シラタ:はい。1990年代後半、16歳ぐらいから音楽をはじめたんですが、最初のバンド「SNIF」が人気になってすぐ事務所に入って、ライブをやったりテレビに出たりしていました。18歳ぐらいのときに大きなレコード会社と契約して、出したシングルが数万枚売れて……高校生ではありえないくらいの印税が入ってきたんです。好きなことをやって生きられるなら大学に行かなくていいか、と。東京に出て音楽をやる日々が続きました。

―― 順調な滑り出しですね。

カホンにシンバルセットがついた楽器「Gigpig」など楽器類もシラタキカクのビル内にはいくつか置かれている。シラタ氏はバンドではボーカル、ギター、ピアノなどを担当

シラタ:ワンコードのリフに綺麗なメロディがあるような、いわゆるミクスチャー系のバンドだったんです。当時あまりないバンドでした。でも少し売れて気が大きくなっていた僕らは「流行っているポップスみたいな音楽をやってもっと売れよう」なんて考えた。それで曲を作ったけど全然ヒットしませんでした。今思えば、ミクスチャーという音楽性の希少性があってブルーオーシャンで戦えていたのに、レッドオーシャンに自ら飛び込んでしまった。

その後のバンドの一つ、bradshaw

それでもその後、別のバンドをやってそこそこヒットしたりしていたんですが、レコード会社から歌詞に手直しが入るたびに「自分には何も伝えたいことがない」と気づいたんです。

―― 心が折れてしまったんですね。

シラタ:音楽やバンドは好きだけど仕事としてやっていくのは圧倒的に向いていないなと思いました。当時一緒にツアーに行っていた人気バンドのメンバーは常に音楽のことを考えていた。彼らと僕は違う。僕は初期衝動はしっかりあるし、バンドのコンセプトや曲のフォーマットを考えるのは得意。でもそれを継続するのは向いていないな、と悟ったんです。

そこでバンドは続けられへん、と2009年ごろに仕事をしながら起業をしようと考えました。

バーを開くも自分には向いていない…試行錯誤の末、アクリル工場を継ぐことに

―― 「仕事」というのは何をされたんですか?

シラタ:いくつかアルバイトもしながら、店を開きました。サラリーマンへの漠然とした憧れがあったんですが、僕は今まで一度も就職したことがない。結婚しようと地元の尼崎に帰ってきて始めたのが居酒屋です。飲みに行くのが好きだったので。だいたい30人ぐらい入るお店で、DIYで内装費用は下げて初期費用は60万円に抑えました。で、初月の売上が90万円。 

―― これも滑り出しとして、とても良いですね。

シラタ:ただ、飲食店に向いてないことが分かったんです。まず同じ場所に同じ時間に行かないといけないのが苦手(笑)。それに自分が飲み屋でされたらうれしいなと思うサービスをどんどんやってしまう。例えばビールの泡は捨てて、280円で売る。3カ月もすると、お客さんはうれしくてもお店としてはうれしくないことに気がついていく。

―― 経営的にはあまりうれしい施策ではなかった。

シラタ:それに一気に30人お客さんが来てもしんどいな、と思ってそのお店は後輩に譲って。次は12、3人が入るような別の小さなカジュアルバーをつくりました。政策金融公庫に400万円借りて。でも1カ月で向いてないことにまた気づく(笑)。

―― 今度は何が向いていなかったんですか?

シラタ:少人数のお店だと回転数を上げないといけないから、お店の「うれしい」は「オーダーが多い」になる。でも僕は忙しいことは望んでいなかった。そこで心底、お客さんと自分の「うれしい」とお店の「うれしい」が重なるような仕事がしたいと考えました。

―― ベン図を描くような。何かとっかかりはあったんでしょうか。

シラタ:そのバーで妻と日曜日にヨーロッパ雑貨を売ったり、月1回マルシェをやったりしていたんですね。それが割と好評で。妻は雑貨デザインの仕事経験があったので、次はオリジナルのアクリル素材のアクセサリーを作ろうとしたんです。

それで大阪のアクリル工場に連絡してみると、廃業するらしい。でも電話先の社長が「こんなタイミングもなかなかないから、遊びにおいで」と。話を聞いてみると、同業者に機材を売ったとしても二束三文にしかならない。それなら、無償でいいから若い人に受け継いでほしいと思っていたそうです。

大阪のアクリル工場の社長から譲り受けたという、研磨の機械

その当時のアクリル業界はアパレルやアミューズメントパークなどから大量発注があり大量生産する時代だったようで、OEMの仕事が多かったようです。「そんな中で企画から製造まで一貫してできたら強みにできるのでは」と思って「やります」と返事しました。

自社ブランド「sAn」が成功。1週間で当時の家の購入額より売り上げる

―― 逆張りのようにも見えつつ、アクリルアクセサリーの可能性に期待もあったんですね。

シラタ:3カ月ぐらい社長のもとで修行したあと、尼崎の工場を借りてアクセサリーを作りはじめました。ところが移転して半年もしないで運転資金がなくなってしまいました。銀行も貸してくれないので、夜の店をやりながらバイトして、アクリルの事業もやり続けたんですがお金がなくなってきた。

それまでアクリルの事業は社長から引き継いだOEM事業をやってきたんですけど、そこで自社ブランドをつくっていこうと考えたんです。

―― 売り込みはどうされたんでしょうか。

シラタ:フリマとかハンドメイドのイベントにとにかくエントリーしました。当時、minneやCreemaといったECプラットフォームの登場もあって、ハンドメイドのブームが来ていました。同じアクリルアクセサリーのクリエイターは他にもいましたが、ほとんどの方が家で手でつくっている。僕らは工場で機械を使ってつくっていました。アクリル技術を教えてくれた社長は大手企業ともOEMをやっていたので、その技術を受け継いでクオリティで差別化できた。イベントでマイナスになることがありませんでした。

あと、当時はコンビニより美容室が多くなってきていた時期でした。そんなに多いんだったら、髪の毛を切るだけじゃなく、髪をくくってスタイリングする需要があるんじゃないかと思ったんです。 

それで有名な美容師さんやスタイリストさんに直接営業してみました。そういった方たちのお店で使ってもらって反応がよかったら買ってもらう。その流れで有名な美容師さんとコラボして商品を出したところ、大阪・梅田のショッピングモール「HEP FIVE」のイベントで長蛇の列ができた。Instagramの流行とともに、フォロワー数もどんどん増えていきました。

―― 狙いが当たったんですね。

シラタ:そのあと出たロハスフェスタではブースに300人ぐらい並ぶのが1週間ぐらい続いたんです。僕はフリーターのときに家を購入しているんですけど、その家よりも高い金額を売り上げた。

―― それはすごい!

シラタ:でもそのときはまだ個人事業主で、節税できておらずその年の確定申告でほとんどなくなってしまった。それから経営の勉強をちゃんとやって、翌年に法人化しました。

そのときに思ったのは、たくさんお金を稼いでたくさん持つのが正しいのかということ。自分にどれだけのお金が必要かと考えると、そんなにいらんなと思った。もっとお金の勉強をして行きたい方向に行ける人生のマップを構築していこうと。それでいろんなビジネスをはじめることになったんです。

ーー 販路としては公式オンラインショップ、パーマネントな取り扱い店舗、ポップアップストアの出店の3つがあるかと思いますが、売上のバランスとしてはどのようになっているのでしょうか。

シラタ:アクリル事業はコロナ禍でイベントが中止になることが多く、オンラインショップの売上が高かったです。ただ現在は百貨店、ギャラリーでの催事、海外でのイベントもあり、とてもいいバランスでできていると思います。

実際にお客さまの声を直接聞ける催事やイベントなどはその後の製作にとても重要だと思っていますし、遠方の方も気軽に購入できるオンラインも同じようにとても大切にしています。

カフェやアパレルショップ、ビル運営も。事業のコツは価値をどこに置くか

―― 別事業としてはどんなビジネスをしているんですか?

シラタ:今はアパレルショップ「hamomisi」の事業を運営しています。あとはパールのブランドを新しく立ち上げて、20代前半の社員に社内ベンチャー的に任せたりしています。僕はいま43歳ですけど自分が行うビジネスのターゲット層の感覚はプラスマイナス15歳ぐらいまでしか分からない気がしているんです。今の20代をターゲット層にする場合は、20代の若いスタッフに自分たちと同じ世代に向けたサービスをつくっていってほしいなと思います。

―― 後進の起業家の育成もされているんですね。

ビルのオフィスエリアで働くスタッフの皆さん

シラタ:2017年ぐらいに阪神尼崎の駅前の「E135°25′N34°44′(※)building」を買い、3店舗入れる設計にリノベーションして、SNSで入居者を募集したら50人ぐらい応募が来たので面接しました。その結果、3人の方にお願いすることにしたんです。

※E135°25′N34°44′:尼崎の緯度・経度を表しており、「アマガサキ」と読む

コンセプトは私が決めていますが、それぞれの方に店の細かい動線や棚の位置など自分の意見や想いなどが反映されたお店なので愛着が湧き長く続けてもらえるんだと思っています。その点を評価してくれたオーナーさんに5年後、売却をしました。その後も他の人からすると辺鄙(へんぴ)な場所の物件や土地の売買などは続けています。

型を抜かれる前の、アクリルのボード。プレスして独自の柄や素材を作り出している。同業者の先輩から譲り受けたものもあるという

――シラタさんは、成功する事業のポイントはどんなところにあると思いますか?

シラタ:事業は参入障壁が高くてゼロイチがすぐに難しいものがいいと思うんです。先行者利益があって、ブランド価値が大きく作用するもの。sAnはまさにそうです。そしてメインの事業のランニングコストを他の事業で稼いだり、自分の好きなタイミングで仕事ができたりするようになるのが理想ですね。

ーー そもそもシラタさんは、今現在いくつの事業に関わっているんでしょうか。また現在の収入のメインはどこから得ているんですか?

シラタ:メインはsAnなどアクリル事業です。デザイン・企画・製造・販売をオールインワンで自社で行っています

他にはアパレル店舗の経営、ペットと一緒に住める賃貸物件の運営やスタートアップの支援を行っています。尼崎の阪神出屋敷駅前の物件を購入しているのですが、新しい使い道を考えているところです。

私たちにも、もちろん成功していない取り組みはたくさんあるんです。アクリルの事業にしても、有名な美容師さんとのコラボが着火ポイントか?と思われることがあるんですけど、その前に出た小さなイベントがきっかけだったようにも思える。頭で考えて狙って種をまいているというより、とにかく試行錯誤があって、結果的に成功につながったとしかいえない部分もあります。

―― シラタさんは目のつけどころが面白いですよね。

シラタ:固定概念からどれだけはみ出せるかじゃないかなと思います。以前大阪に家を買ったんです。古い物件だけど、DIYで直せば使える。家の前に川があって、庭も日本庭園みたい。住宅ローンを抱えている人が多いと思うんですけど、それって何千万円の世界でしょう。僕が買ったのは150万円の家。尼崎からだと車で50分ぐらいだけど、150万円なら週2日そこで仕事をしに行ったり休んだりしに行くと考えるとなんだか楽しい。

辺鄙な場所の物件でもこんな使い方を実績として提示できたら、高く売れるかもしれない。結局、価値の置きどころを自分がどう見出すか、だと思うんです。

―― これから挑戦したいことはありますか?

シラタ:今のビジネスも今のメンバーでできる最大パフォーマンスを出したいと思って経営はしていますが、稼ぐことはあまり重要視していません。売上が半分に下がっても大丈夫という環境と準備をするのが別事業をやるメリットだと思っています。

お金への執着はほとんどなくて、事業で作ったお金を自分が面白そうだなと思うことに投資し続けています。別事業でメイン事業のランニングコストを作れたら、長く挑戦し続けられる。その結果、やりたい仕事ができたらメイン事業のブランドイメージも良くなっていくと思います。

その中で、自分も修行先の社長からきっかけをもらったように次世代にチャンスを渡せるような事業もできればな、と。その中で仕事量も調整して、いつかは海外でも仕事してみたいと思います。

会社が尼崎の杭瀬(くいせ)っていう場所に位置しているのも自分たちの価値だと思います。杭瀬にいるから差別化できる。地価も安いし、濃くて面白い町ですしね。ここからまた世界に発信していきたいと考えています。