5月のはじめぐらいの僕のツイッターのタイムラインではこの話題でもちきり状態だったんですが、一般的にはどの程度の知名度だったでしょうか。
徳島出身、今アメリカの名門スタンフォード大学に学部入学されている松本杏奈さんという女性が『田舎からスタンフォード大学に合格した私が身につけた 夢をつかむ力』(KADOKAWA)という自伝的な本を出したことについて、Amazonにかなり執念深い批判レビューがついたことで、SNS上では松本さんに対する批判や誹謗中傷が飛び交い、松本さんがTwitterのアカウントを消して沈黙してしまったという事件があったんですね。
その後さらに5月下旬にはご本人が一瞬だけTwitterを再開され、誹謗中傷に対して事実無根だと主張するnoteを公開、誹謗中傷目的で事実と違う情報を拡散したアカウントに対する開示請求および損害賠償請求を行うと表明されています。
その後も松本さんの母親を名乗る人物による真偽不明の怪情報がSNS上で乱れ飛ぶなど、延々と多くの人の感情を巻き込んだ騒動に発展していることは、将来有望な若い大学生の精神にとって良いことではありません。
「炎上」に参戦はせずとも心を痛めている傍観者の人も私を含め多くいると思います。
ただ私がその騒動全体を見ていて大変違和感があるのは、
みんな「怒りを向けるべき対象」を間違っているんじゃないか?
…ってことなんですよ。
今回の事件で「怒りを向けられるべき対象」は、
挑戦する女子学生を応援できない、閉鎖的で嫉妬が蔓延する息苦しい日本社会
…でしょうか?
それとも、
海外大学進学をサポートしてくれた周りの人への感謝を怠る「故郷に後足で砂をかける恩知らずな女子学生」
…に対してでしょうか?
いいえ、どちらでもありません。
この問題の最大の『悪』はどこにあるかというと、
「古い考え方に固執する無理解で前時代的な周囲に抑圧されながらも、それを跳ね飛ばして独力で飛躍したというストーリー」で売り込もうとする東京のマスコミのマーケティング文化
↑これです(もっと直接的には、そのストーリーに沿ってこの本を売ろうとした編集者や出版社やその他マスコミ関係者ですね)。
ここにあるスレ違いは、単に日々繰り返されては消えていくSNSの炎上事件の一つというだけでなく、日本社会の今後にとって非常に重要な意味を持つし、「アメリカ的な理想主義」の良い部分を日本社会に無無理に根付かせていくためにも真剣に考えなくてはいけない課題がここにはあります。
今回はその件について深く考える記事です。
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年生まれ。京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感。その探求のため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、カルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働く、社会の「上から下まで全部見る」フィールドワークの後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングで『10年で150万円平均給与を上げる』などの成果をだす一方、文通を通じた「個人の人生戦略コンサルティング」の中で幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。著書に『日本人のための議論と対話の教科書(ワニブックスPLUS新書)』『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか(アマゾンKDP)』など多数。
1:「我らが徳島の代表を皆で応援しよう」型マーケティングだって可能だったはず

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この件は多くの人の感情を揺さぶる内容だったため、今でも散発的に、いろいろな「怒り」の感情がSNSを駆け巡っています。
…といった内容でしょうか。そしてもちろんこういう批判に対して、「閉鎖的で嫉妬深い日本社会に対する怒り」を感じている人たちのコメントも多くの支持を集めています。
しかし重要なのは「そもそもこの件について事実関係がどうなのか、ということを深堀りしても大して意味はない」ということです。
松本さんご本人にとっては、家庭環境が安心して身を任せられる場所ではなかったことも事実でしょうし、徳島から海外名門大学へ進学するのは前例が少なくて障害が多かったのも事実でしょう。
そして「首都圏の名門中高のような環境でなくても、“徳島のような田舎”からでも海外への大挑戦は可能なのだ」ということを伝えたいというご本人の気持ちも大変意味があることと思います。
一方で、経済的・その他環境的に言って、松本さんが日本人の平均からして「かなり恵まれた」立場で育ったこともおそらく事実でしょう。松本さんが「どん底からの挑戦」的な形でのマーケティングで存在を売り出していくことに対して、もっと厳しい環境で育っている人が心中穏やかならぬ気持ちになることもよくわかる。
ただ私が思うのは、この記事の冒頭で書いたように、そもそも「過剰に故郷をディスるマーケティング」にまとめられていることが全ての問題を生み出しているんですね。
松本さんのことは、Twitterやウェブ動画などを通じてチラホラ拝見していましたが、別にこんな「過剰に故郷徳島をディスるような」ストーリーでなくても十分ご本人の魅力を伝えるマーケティングが本来可能なタイプの人だと思います。
…ぐらいの客観的でフェアな視点がある方だとお見受けしますし、色々な人のサポートのお陰でアメリカに来れたということも十分わかってはいる印象を受けました。
なので出版社や編集者、あるいは彼女をSNSでもてはやす人たちなど「売り出しを差配する大人」のさじ加減一つで、印象は全然違ったものになっていたはずなんですよ。
要は、海外有名大学にチャレンジする若い人たちを、
国内に残る人々が「気持ちよく応援できるストーリー」でマーケティングする
…というのは十分可能なことだし、今後の日本社会においてものすごく重要なことなんですね。
なぜなら、実はアメリカ社会においても同じことが同じように問題になっているからです。
アメリカでもエリート大学の学生が「自分たちの輝かしさ」を語るときに、明示的・非明示的にやたら「地元の古い社会」をディスりまくるので、社会の分断がどんどん進行して、「エリート大学の卒業生たち」と「普通の地元コミュニティ」が敵同士みたいな感じになっていってしまっている。
結果として「感染症蔓延防止のためにワクチンを打って下さい」とか言うレベルのことでさえ全力で反対してくる運動が止められなくなっているし、今度は妊娠中絶の権利を認めた判例を覆されかねない状況にまでなっている。銃乱射事件が“毎日1件以上”というレベルで起きていても銃規制ができなかったりする。
アメリカでは、GAFAM的存在を生み出したエリートに全権を渡して活躍させまくっているので、日本においてもそういう風にしたいと思っている人は結構いるんですよね。
今回のようなことが起こるとに、毎回決まって「閉鎖的で成功者を引きずり下ろす日本社会なんか滅べばいいのに!」みたいな方向にSNSで感情が爆発しているのを見るんですけど、「そこ」で一度立ち止まって考えるべき課題がここにはあるんですよ。
その「古い社会を無意識にディスりまくる」ような「アメリカでのエリート優遇の仕方」自体が、「エリート以外」の社会の安定性や自己肯定感を奪いまくることで、アメリカ社会の分断と止められない反リベラル運動みたいなものに繋がっていたりするわけなので。
「エリートを優遇するときに無意識にディスりまくった相手」は決してそのことを忘れていないから、団結して必死に抵抗してやろうと反撃してくるのを止められなくなってしまうんですよ。
だからこそ、日本社会はここで、
「海外有名大学に行くような学生を、“みんなの代表”としてイメージさせ、普通の人が気持ちよく推せるマーケティングストーリー」
…を、今まさに独自に発明しないといけないんです。
日本社会が「エリートをちゃんと尊重して彼らに力を奮ってもらいやすくする」ためには、「アメリカのやり方とは違う文化の醸成」が必要なんですね。
アイドル文化やアニメや漫画において、長年日本が「推し」カルチャーを積み重ねてきた意味を、まさにそこで発揮することが必要とされているわけです。
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