テレビでよく見かける「着色されたウイルス画像」はすでに“演出”である
―― メディアについてはまずもって一番問題だと思ったのは、特に地方のコロナ陽性患者について「本人が特定できちゃうだろう」というレベルで年代・職業・行動履歴といったプライバシーがメディアで垂れ流されてしまったことです。なぜあんなことがまかり通ってしまうのでしょうか。
西田:実名報道の原則じゃないですか。去年の京都アニメーションへの放火事件でも議論がありましたよね。近頃はプライバシーが言われるようになりましたけど、やはりできるだけ実名で報じたい、報じないと伝わらないものがあるというのは各社の見解としてあると思いますし、記者との勉強会で意見交換してもその意思を感じます。現場ならではの肌感覚があるのか、世代の問題なのか。施設名などについては今でも営業妨害とか訴訟とかが起こり得るので自重気味ではあります。
最近は行政機関、例えば警察などが個人名を出さないケースがあり、これは問題だと思います。ただそれをマスメディアが広く流通させる段階で実名報道しなければいけないのかというと、結構疑問を持っています。
―― 『コロナ危機の社会学』においてはメディアについてはあまり肯定的な評価が書かれていなかった印象もありますが、何かあるでしょうか?
西田:例えば東洋経済オンラインや日経新聞、JX通信社などがネットで感染者情報のわかりやすいインフォグラフィック化したことでしょうか。加えて病床情報とかをオープンソース的にやっているプロジェクトもあり、そうした取り組みは良かったと思います。
東洋経済オンラインが作成した「新型コロナウイルス 国内感染の状況」
一方課題は挙げるとキリがないですが、諸悪の根源はテレビの情報番組、ワイドショーで誤った、あるいは極端な意見も「専門家の話」として広く流通していることだと思います。放送内容は画像・動画がSNSでも流通していくので、人々の不安を掻き立てる情報が一気に届いてしまう。
あるいはウイルスの色を毒々しいものにした画像を見た人は多いと思うんですが、電子顕微鏡の写真は白黒なので、「着色する」「着色された画像を選ぶ」ということは誰かの意図が働いています。加えてコロナ関連のニュースには不穏なBGMや男性の重々しいトーンのナレーションが入っていたりして、つまり人を不安にさせる演出なわけです。ああいうのは本当に良くないと思いますし、これが良いことなのかはもっと問われていいと思います。
―― 西田さんご自身もそうした番組に度々出演されていますが、「なるほど内部はこうなっているんだな」という発見はありましたか?
西田:よく「テレビ制作の現場に専門性がない」ということが言われますけど、局の製作者にしろ制作会社にしろ、ほとんどのスタッフは「番組演出の専門家」なんですよね。ただ世の中的には各分野の専門家の意向が反映されていると思われている。番組によっては記者さえいないケースもあり、社内のデータベースに突っ込まれた記事・映像集があって、「今日はこの人がコメンテーターだからこう繋いでいこう」「午前中の番組はこうだったからこういう風に変えよう」といったかたちで当て込んでいくことがメインになっていることもある。
また、「ネットで話題」みたいなことが制作現場でものすごく意識されていて、テレビとネットは共犯関係にあるわけです。「○○社の調査によるネットでの人気ランキング」みたいな企画もよくありますけけど、その調査方法にどれほどの妥当性があるかは問われず、放送後にはネットで「この番組で取り上げられました!」と発信・拡散され、権威性を帯びていくのは問題だなと思っています。
情報番組の視聴率は大体10%前後ですが、単純に考えれば視聴者が数百万人、一千万人ぐらいいる計算になりますが、ネットではそういうコンテンツ・媒体はほとんどないですよね。やっぱり未だにテレビは影響力のあるコンテンツで、良くも悪くもSNSとの相性も良い。
―― この現状は変えることはできるのでしょうか?
西田:テレビの世界はある種政治の世界とも似ていて、悪名は無名に勝ります。例えば「モーニングショーの玉川さんは間違っている」と批判された時に「じゃあどんなことを言っているのか」とテレビをつけたらもうそれで良いわけです。テレビ番組の評価は視聴率のみ、つまり質を測る仕組みがなかったからですね。ウェブメディアのPV至上主義と似ていますよね。
ただ、これが変わる可能性がまったく無いとは思っていなくて。以前幻冬舎の箕輪厚介さんのハラスメント問題がありましたが、すぐに『スッキリ』のコメンテーターを降板になりましたよね。コンプラとか世の中の評価みたいなものを、昔よりは気にするようになってきたということだと思います。なので「これは問題だ」ということをちゃんと筋が通るように言っていると、投瓶通信みたいにいつか変わるかもしれないと思っています。
今後、政府・行政の何を注視すればいいのか
―― 最後に「今後の政府・行政によるコロナ対応」での注目ポイントを教えていただけないでしょうか
西田:1つ気になっているのが、政府の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」が全国の緊急事態宣言の解除の少し前、5月25日から更新されていないということです。
「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」が掲載されている厚労省のHP
政府の基本的な認識であり大枠の対処方針が少なくとも対外的には更新されていないということは、その後政府が色々打ち出している政策は、大枠では5月の方針と変わらず、あとは思いつきを並べているだけと解釈されても仕方ありません。「とにかく緊急事態宣言を再度出したくない」という強い思いだけは伝わってきますが。
―― 緊急事態宣言についてだけ言えば、国の判断を待つのではなく、各都道府県が個別に判断すれば良いのではとも思ってしまいます。
西田:それは確かにそうですね。ただ、すでに生じている問題として、各都道府県の「警戒○○」「○○警報」といった少しずつ違う呼称の言葉が一斉に大量に並ぶという状況は混乱を招いていると思います。まさに実態と認識の乖離を加速させることにつながってしまうと思います。
現状は緊急事態宣言が何かの抑止になるのではなく、感染爆発が起こってしまった後の白旗として出るような状況になると思います。ただそれは我々の社会にとって好ましいことではないですよね。日本モデルはそれに先駆けてさまざまな対処を行うという考えだったはずですが、今が仮に第二波だとして、第一波の教訓がまったく活かされていない、混乱した状況になってしまっていると思います。
ただ、あまりにも希望のない結論になってしまうと辛いところもありますので、『コロナ危機の社会学』の最後には、「中長期的には冗長性の議論をした方がいいんじゃないか」ということを書きました。これまで公務員や病床の削減はやりすぎたんじゃないかと。完全に昔と同様に戻すのは難しいでしょうが、現在はダイエットのやりすぎで体調を崩してしまう状況になってしまっていると思うので、コロナ明けからはそうした議論を進めていくべきだと思っています。