ニューハンプシャーでスピーチするカマラ・ハリス(以下、本稿の写真はすべて筆者撮影)
渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者
兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。
「移民2世・有色人種・女性」が副大統領候補に選ばれた理由
夫と私とハリスとで記念撮影。撮影したのはハリスの妹のマヤ・ハリス
民主党の全国大会を目前に控えた8月11日、民主党の大統領候補ジョー・バイデンがカマラ・ハリスを副大統領候補に指名した。だが、日本ではまだ知名度が低いようだ。根拠がない噂や容姿で判断する女性差別的な内容の報道が多く、歯がゆさを感じている。
ハリスの両親は大学院生として渡米した移民である。ジャマイカ出身の父親はスタンフォード大学の経済学教授、インド出身の母親(故人)は乳がん専門の研究者になった。両親はハリスが若い頃に離婚し、シングルマザーに育てられたハリスと妹はどちらも弁護士の資格を取った。有名な弁護士事務所に勤務する方が収入ははるかに高いのだが、社会活動家であった母の影響を受けたハリスは検察をキャリアに選んだ。40歳で地方検事になったハリスは、47歳のときに選挙で共和党の対立候補を僅差で破り、女性としても、黒人としても、インド系としても初めてのカリフォルニア州司法長官に就任した。そして、トランプ大統領が誕生した2016年11月の選挙で同じく民主党の対立候補を破ってカリフォルニア州選出の上院議員になった。
新米上院議員であるハリスにアメリカ国民が注目するようになったのは、大統領選挙での「ロシア疑惑」に関する2017年の上院司法委員会でのことだった。トランプを早くから支持した報奨として司法長官に任命されたジェフ・セッションズに対する鋭く切り込むハリスの勇姿が多くの視聴者を魅了した。翌年にはトランプから連邦最高判事に指名されたブレット・カバノーが過去に性暴力をふるった疑惑が浮上し、被害者の女性の一人が公聴会で勇敢に証言した。怒りや涙を交えて感情的に自己弁護するカバノーに対して静かに厳しく追及するハリスはさらに多くのファンを集めた。
ハリスはその半年後、2019年1月の「キング牧師記念日」に大統領予備選への出馬を発表した。その直前に刊行したのが『The Truth We Hold』という回想録だ。生い立ちや経歴、取り扱ってきた社会経済的な問題について説明したこの回想録は全米トップのベストセラーになり、まだ彼女の名前に馴染みがない国民に自己紹介する役割を果たした。
これまでのアメリカであれば、移民2世・有色人種・女性という3重のマイノリティであるハリスが大統領や副大統領候補として本命視されることはなかっただろう。だが、トランプ政権下のアメリカは激変した。そのおかげで、かつてのマイナス要素はプラスに変わった。
大統領みずから女性、移民、人種マイノリティに対する差別的な言動を繰り返し、白人至上主義者を擁護する。アメリカの最大のライバルであるロシアが2016年の大統領選挙に介入しただけでなく、トランプ本人と選挙陣営はそれを歡迎した。かつてあれほどロシアを敵視してきた共和党は、それが明らかになった後でもトランプを支持している。下院で弾劾決議が可決されてもニクソンのように辞任はせず、新型コロナウイルスの対応に失敗して世界で最も多い感染・死亡者を出しても「私はまったく責任は取らない」と発言し、憲法で保証された権利として平和に抗議デモをしている市民を武装した連邦職員に鎮圧させている大統領が、あらゆる手段を講じて再選を目論んでいる。この異様な事態のおかげで、これまでのアメリカの政治の常識はすべて吹っ飛んでしまった。
そんなトランプ大統領に勝つためには、この状況に不満と恐怖を覚えている人たちにアピールするような候補が必要だ。バイデンは共和党員からも好かれている人格者だが、「高齢の白人男性」という点ではトランプと変わらずリベラルの有権者たちを興奮させるような候補ではない。そういったこともあって、バイデンは「有色人種の女性」を副大統領候補に指名することを早期から匂わせてきた。
バイデンが考慮した最終候補は、ハリス、オバマ政権で国連大使を務めたスーザン・ライス、上院議員のエリザベス・ウォーレン、ミシガン州知事のグレッチェン・ホイットマーの4人に絞られていたという。この中で、バイデンが重視した「女性である」、「若い世代と人種の多様性を代表している」、「選挙に立候補して勝利した経験がある」、という条件をすべて満たしているのがハリスだった。「美人だからバイデン夫人が躊躇していた」という日本語の記事を見かけたが、そんな話は耳にしたことはない。
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ヒラリー・クリントンとも違う「友達になりたい」と思える魅力
私と夫は、政治面に加えてマーケティングとPRの観点から戦略を分析するために、2003年から共和党・民主党問わず大統領選挙の候補者を取材している。今回は2019年3月から数カ月にわたり激戦区のニューハンプシャー州で予備選候補20人を直接取材してきたが、共和党にはこれといった対立候補がいなかったために民主党だけになった。
2019年は、夫と娘が共著したビジネス書『Fanocracy』出版記念の特別企画も加えた。政治集会での質疑応答あるいは対面取材ですべての候補に「家族と仕事以外で、あなたが情熱を抱いていることは何ですか?」という質問をし、その返答から人となりを浮かび上がらせるというものだ。
政治家はよくある質問に答えるのは慣れている。また、予想外の質問をされても、それには答えず、政策や「家族への愛」といった「トーキングポイント(PRに使う得意な話題)」に持っていってしまう。そこで、「家族と仕事以外」という条件でトーキングポイントに逃げるのを最初から止めたわけである。夫が質問係、私が撮影係というチームで、後でそれをまとめてミニ映像シリーズにして、「Fanocracy」のアカウントでYouTubeにアップしている。
私たちがハリスに会ったのは2019年5月の政治集会で、少数限定のものだった。ステージに現れたハリスには堂々たる風格があった。参加者が後で口々に語ったハリスの印象は、「明日から大統領になれる」という存在感だ。ハリスの存在感は乱立した候補の中でもトップクラスだった。ヒラリー・クリントンにもこの風格があったが、ハリスが彼女と異なるのは、「友達になりたい」と思わせる庶民性だった。
多くの候補は夫から質問されると、困ったように考え込んでしまった。「私が情熱を抱いているのは政治と家族なので……」とトーキングポイントに持っていった候補もいる。だが、ハリスは、即座に笑顔で「それは素晴らしい質問ですね」と答え、「家族と政治以外だと……私は料理が好きなんです」と母から料理を習い、日曜に大家族が集まって食事をする「サンデーディナー」を大切にしていることを語った。
音楽が大好きで、ボブ・マーリーが特に好きだという部分ではマーリーファンの支持者から拍手が起こった。講演が終わって、私がハリスの妹のマヤ・ハリスからキャンペーンについて話を聞いているとき、ハリスが私の隣にいる夫のところにやってきて、ステージでの会話の続きを話し始めた。テーマは「ボブ・マーリーの音楽」である。自分が好きなミュージシャンの話を情熱的に語るハリスは、まるで昔からの友人のような感じだった。ステージに現れた時の風格と庶民性の組み合わせは、若い頃のビル・クリントンのカリスマ性に通じるところがあると感じた。
カマラ・ハリスのスピーチに真剣に耳を傾ける有権者たち
選挙は、天災や経済状況など候補自身がコントロールできない要素で大きく変わる。だから誰にも先は見えない。2019年に私たちがジョー・バイデンの集会に参加したとき、意見を聞いたほとんどの人が「バイデンは好きだが、勝ち目はないね」と語った。2019年9月のニューハンプシャーの民主党大会でも同様で、圧倒的に人気があったのはエリザベス・ウォーレンだった。ところが、この後状況が激変し、候補たちは民主党にとって「最悪のシナリオ」を回避するために一丸となった。その結果、まったく可能性がないと思われたバイデンが指名候補になった。
バイデンはこのような状況で予備選に勝ったのであり、2008年のバラク・オバマのように支持者に興奮を与えるような候補ではない。だからこそ、副大統領にはバイデンの欠陥を補う人物が必要だった。
ニューハンプシャーでの取材で多くの子どもたちに会ったが、その中にはハリスに会うために3時間も待ち、講演をおとなしく聞いていた幼い姉弟や、多くの候補に会って質問をする9歳の少女などがいた。銃規制を求めて活動する若い父親と小学生の娘のチームにも会った。彼らの多くが「女性に大統領になってもらいたい」と言い、ハリスに希望を抱いていた。
スピーチが終わると、真っ先に幼い子どもたちのところにかけつけて目線を合わせて話すハリス
子どもには投票権はないが、親の考え方に影響を与える。特に、パンデミック、武装した連邦職員による市民デモの鎮圧、カリフォリニアでの山火事、増加する大型ハリケーンで打撃を受け続けるアメリカで、それに対応する大統領の選択がトランプとバイデンという70代の高齢男性だけだというのは、幼い子を持つ親にとっては不安なものだ。大統領に何かがあったときには、副大統領が即座に引き継ぐことになる。その場合に、トランプの言いなりで影が薄いペンスを選ぶのか、あるいは50代で若く、頭脳明晰で風格もあるハリスを選ぶのか。大統領候補のどちらにも魅力を感じない有権者にとって、副大統領候補の選択には大きな意味がある。
選挙は最後まで何があるかわからないが、バイデンの欠点を補う副大統領候補としてのハリスの存在は多くの民主党員を満足させたのは事実である。