LIFE STYLE | 2020/11/16

「最善の選択」ではなかったジョー・バイデンが「結果的に大正解」と言える理由【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(20)

ジョー・バイデンと筆者
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渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott
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ジョー・バイデンと筆者

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渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott

エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者

兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:Cakes(ケイクス)ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。

「ジョーは好きだが、歳を取りすぎた」という前評判

結果的にジョー・バイデンは、時代が必要としていた大統領だったのかもしれない。

アメリカ史上、すべての大統領選は時代を象徴する特別なものだ。1960年には43歳の若いジョン・F・ケネディがカソリック教徒として、1980年にはロナルド・レーガンが元ハリウッド俳優として、2008年にはバラク・オバマが黒人として、それぞれ初めて大統領に選ばれた。「意外な結果」が語られることも多いが、振り返ると、予測通りの展開になった大統領選の方が少ない。

それをふまえても、2020年の大統領選挙はアメリカの歴史の中でもかなり特別な選挙だったと言えるだろう。74歳と77歳の高齢男性同士の戦いだっただけでなく、そこに新型コロナウイルスとブラック・ライブズ・マター運動の社会問題が加わった。そして、パンデミックで郵送による投票や早期投票が増え、開票結果が出るのにふだんよりも長い時間がかかった。

次期大統領のジョー・バイデンは、就任時には78歳になる。相当の高齢者だ。「大丈夫なのか?」と不安になる人はいるだろう。

27人もの候補が乱立した民主党予備選の間にも、バイデンの年齢について不安を覚える民主党支持者は多かった。バイデンが出馬を発表する前に他の候補のイベントで「私が本当に出て欲しいのはジョー(バイデン)よ」と耳元で囁いてくれた70代とおぼしき女性もいたが、大多数の意見は「ジョーは好きだが、歳を取りすぎた」というものだった。

この「ジョーはいいやつだ。けれども年寄りすぎる」というのは、民主党支持者だけが抱く感覚ではなかった。生涯を通じて共和党支持者の義母(85歳)は、「ヒラリー(クリントン)は大嫌い」「カマラ(ハリス)は嫌い」と断言し、理由をたずねると「よく知らないけれど、嫌いなの」としか答えないタイプだ。その義母ですら、バイデンが出馬を発表したときには「ジョーはいい人だと思うけれど、歳をとりすぎたわね」と好意的な態度だった。

政治的な立場にかかわらず、ある程度の年齢以上のアメリカ人にとってジョー・バイデンは、庶民的な労働者階級の代表者である「ジョーおじさん(Uncle Joe)」だ。

中古車セールスマンだったバイデンの父親は無職だった時代もあり、彼自身もこれまでの多くの大統領のようにアイビー・リーグ大学卒業のエリートではない(デラウェア大学卒、シラキュース大学法科大学院卒)。個人的な悲劇も多く体験している。29歳の若さで連邦上院議員選挙に当選したが、そのすぐ後に交通事故で妻と娘を亡くした。議員に就任してからは、残された息子2人のためにワシントンDCからデラウェアの自宅まで毎日アムトラック鉄道で片道90分かけて通勤している。バイデンが高級車や飛行機よりもアムトラック鉄道の贔屓だというのは有名な話だ。カソリック教徒だという背景もあり、初期には社会的に保守的な政策を支持していたが、時代の変化を受け入れて柔軟に変化してきたのも事実だ。また、故人のジョン・マケインなど共和党議員とも仲良くしてきたことがあり、幅広い層に親しまれてきた。

オバマ大統領の元で副大統領を務めたバイデンだが、オバマ大統領ほど重視される存在でなかったのも事実だ。なぜなら、バイデンには少々短気なところがあり、失言(gaffe)癖があるからだ。よけいな事を言ってオバマ大統領が眉をひそめる場面も少なくなかった。

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リベラルの人気者ではなかったからこそ「反トランプの共和党支持者」も取り込めた

2019年5月のニューハンプシャー州でのジョー・バイデンの政治集会

バイデンが予備選で激戦地ニューハンプシャー州を初めて訪問したのは、2019年5月13日のことだった。バイデンのスピーチを聴くために会場のピザ屋に集まったのは、政治にかなり詳しい人達ばかりだ。そうでないとこのイベントの情報を得ることができないということもある。彼らが注目していたのは、副大統領を辞めてからの4年間でバイデンがどれほど変化したのかという点だ。バイデンのスピーチを聴いた有権者たちが後で口々に語ったのは、「ジョーは歳をとった」というものだった。姿勢は良く、肉体的には年齢を感じなかったが、話があちこちに飛ぶところが典型的な高齢者のように感じたのだ。

2019年9月に行われたニューハンプシャー州民主党大会では、すべての予備選候補がスピーチを行ったが、ジョー・バイデンに対する熱気はぬるま湯だった。この時に最も人気があったのは、マサチューセッツ州選出上院議員のエリザベス・ウォーレンだった。本人が登場した際の歓声もバイデンへのそれとはまったく違っていたのだ。

ジョー・バイデンのスピーチの模様(筆者撮影)

エリザベス・ウォーレンのスピーチの模様(筆者撮影)

この集会で多くの民主党員にバイデンについて尋ねると、やはり「好きだけれど、高齢すぎる」という回答がほとんどだった。意外だったのは、後にバイデンと指名争いをすることになるバーニー・サンダースへの支持が予想したより少ないことだった。「バーニーひとすじ」という支持者はもちろんいたが、「バーニーだけは嫌だ」という人も少なからずいた。サンダースは好き嫌いの強い感情を掻き立てるだけでなく、「一般的なアメリカの左派よりさらにリベラルという狭い層にしかアピールできない。トランプに失望している共和党員が投票したくなるような候補でないと勝てない」と語る人はかなりいた。そうった人たちが推していたのが前インディアナ州サウスベンド市長で30代後半のピート・ブーティジェッジだった。彼の若さを案じる人もいたが、それは少数派だった。この時点では、バイデンが指名候補になる可能性はまったくないように思えた。ところが、予備選の中盤で党内の空気が変わった。

新型コロナウイルスのパンデミックが広がる前のアメリカには、「トランプ政権になってからは好景気で失業率も低い」という国民の肌感覚があった。サンダースは、「好景気で得をしているのはビリオネアだけ」と繰り返したが、世論調査でも中産階級こそが「この経済状態を変えたくない」と感じていた。また、サンダースやウォーレンが唱える「大学無料」と「学費ローン徳政令」は若者に人気だが、それより上の世代にはさほど人気はなかった。何年も何十年も苦労して学費や学費ローンを払い終えた庶民たちは、「私は生活を切り詰めてようやく払い終えたというのに、今度はタダ乗りする人たちのために税金を払わされるのか?」という怒りを抱いていた。このようなことから、民主党内に「サンダースではトランプに勝てない」という焦りが生まれていた。彼らが案じていたのは、「サンダース民主党候補」「トランプ再選」「上院と下院両方で共和党が多数党」という民主党にとって最悪のシナリオだった。

予備選のスーパーチューズデーの前に、トム・ステイヤー、ピート・ブティジェッジ、エイミー・クロブチャーの3人の有力候補が撤退してジョー・バイデンの大勝利をもたらしたのは、この最悪のシナリオを回避するための民主党の結束だった。

このように、ジョー・バイデンは、民主党員が情熱的に選んだ第一選択の候補ではなかった。しかし、結果的には、最善の候補になったのだ。

トランプ大統領の気まぐれなリーダーシップについては、ウォーターゲート事件のスクープで知られ、その後も歴代大統領にまつわる名作ノンフィクション本を数多く記したボブ・ウッドワードの『Rage』(邦訳版は12月4日発売)など多くの本が出ているが、それに危機感を覚えたのは民主党員だけではなかった。古くからの著名な保守の論者や共和党員が公の場でトランプを批判するようになり、その中で最も有名なのが、The Lincoln Project(リンカーンプロジェクト)Republican Voters Against Trump(RVAT)だ。

スーパーPAC(特別政治行動委員会。候補者から独立した政治団体)であるリンカーンプロジェクトを始めたのは、トランプの元大統領顧問ケリーアン・コンウェイの夫であるジョージ・コンウェイ、ジョージ・W・ブッシュ元大統領や元大統領候補ジョン・マケインの側近だったスティーブ・シュミット、かつてニューハンプシャー州共和党の委員長だったジェニファー・ホーンなど長年の共和党員だ(トランプが大統領になった後、党を離脱した者もいる)。この団体は、トランプ批判と民主党指名候補ジョー・バイデン支持の政治広告ビデオを頻繁に作ってソーシャルメディアで流し、ファンを集めた。

2016年の大統領選挙でも「トランプだけには票は投じたくない」という共和党員はいたが、彼らはクリントンに票を投じることは拒否した。そういった共和党員にとって、バイデンは「政治的には意見が異なっても、人間として尊敬でき、信用できる」と思わせる候補だった。

予備選中、特に高齢層の民主党支持者がトランプ大統領の有名なスローガン「Make America Great Again」をもじって「Make America Decent Again」と口にするのを耳にした。このdecentとは、礼儀正しさや品格があることを意味し、アメリカ人がかつて重視していたことだ。アンチ・トランプの保守がどうしてもトランプを受け入れることができなかった理由のひとつが「decencyのなさ」だった。

バイデンは、そういう共和党員にとって「decentだ」とすんなり認められる人物だった。だからリンカーンプロジェクトは、そこに焦点を絞って大統領とバイデンを比較したわかりやすいビデオ広告を作ることができた。これがウォーレンやサンダースだったら、「コミュニスト政権になるくらいならトランプのままでいい」という保守層を説得するのは困難だっただろう。

2020年大統領選挙は、トランプ対バイデンというよりも、トランプ対「アンチ・トランプ」の戦いだったと言ってよいだろう。

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駄々をこねるトランプを無視し、淡々と仕事を進める姿に好感集まる

このように情熱的に選ばれた大統領ではないが、今になって「結果的にバイデンで良かった」「バイデンは、予想していたより良い大統領になるのではないか」という人が増えている。

まず、予備選のディベートで自分を個人攻撃したカマラ・ハリスを副大統領候補に選んだことで、「個人的な感情を交えずに最も良い人選をすることができるリーダー」ということを民主党支持者に印象づけた。高齢者のバイデンがすべての問題を自分で解決する必要はない。独裁的だったトランプ政権にひっかきまわされたアメリカでは、優れた人物を重要な職につけ、その人達が良い仕事ができるような環境を作るようなリーダーシップが強く求められている。

次は、選挙に負けた現職統領が、証拠もないのに「選挙不正」を訴え、敗北を認めようとしないという前代未聞の出来事に対するバイデンの対応だ。

アメリカの大統領選挙では、大手のテレビ局や新聞社がそれぞれの方法で当確を発表する。最終的にフロリダ州での537票差でジョージ・W・ブッシュ勝利になった大接戦の2000年の大統領選を除くと、複数のテレビ局が当確を発表した時点で敗者が勝者に祝福の電話をかけ、勝者は勝利宣言スピーチを行う。勝者はスピーチで戦った相手を褒め、敗者は敗北宣言スピーチで勝者を讃えて自分の支持者をねぎらう。これが、アメリカ大統領選での伝統的な「紳士・淑女的なふるまい」なのだ。

ところが、トランプ大統領は、すべての大手メディアがジョー・バイデンの当確を出した後でも「不正選挙だ」と主張して敗北を認めようとしない。フロリダ州の結果にすべてがかかっていた2000年のブッシュ対ゴアの選挙とは異なり、獲得選挙人数で306対232という明らかな勝利だ。そして、「不正」の根拠や証拠がないことは、トランプがお気に入りのFOXニュースも報じているし、トランプ自身の弁護士がペンシルバニア州の判事に語っている。多くの訴訟を起こしているが、証拠がないので次々と却下されている。それでも、「不正だ」と主張し、敗北宣言を出さないことで次期も大統領を継続するかのような態度を貫いているのだ(11月16日時点)。

通常なら、今は国防や国政についての重要な情報の引き継ぎをスタートしなければならない時期である。大統領選中にどんなに激しい戦いを繰り広げても、結果が決まったら、アメリカと国民のために力を合わせるのがしきたりだ。けれども、トランプとトランプ政府はそれをブロックし続けている。

選挙の前からトランプは「不正の可能性」を匂わせ、「平和的な引き継ぎ」の約束を避けてきたから、それ自体は意外ではない。アメリカの政治を長く見てきた者にとってむしろ意外だったのは、バイデンの「大統領らしさ」だった。

バイデンは、若い頃のイメージのように怒りを口にしたり、失言をしたりせず、駄々をこねているトランプを徹底的に無視している。そして、即座に各種専門家を集めたCOVID-19タスクフォースを作り、トランプの元で働いた国防総省の職員から過去4年の情報を集めるなど、次期大統領(President-elect)として淡々と仕事を始めている。

引き継ぎをしないことで、国防が脆弱になることを案じる人は少なくないが、4年前まで副大統領を務め、その前に36年間上院議員を務めたバイデンは、すでに多くの知識と人脈がある。欠けているのは過去4年間だけだ。本人が老いていても、次期副大統領のハリスはシャープだし、実際に仕事ができる専門家に任せることに長けている人物だからアメリカは困らない。

そんなバイデンのdecentさに従うかのように、保守の重鎮たちも、少しずつバイデン擁護の発言をするようになっている。

トランプやその支持者がどんなに暴言を投げつけようと、冷静に「私は、自分に投票していない国民のためにも働く」と国をひとつにすることを呼びかけるバイデンは、混乱している現在のアメリカにとって、村の長老のような心落ち着く存在になりつつある。