ITEM | 2019/06/03

日本は移民国家ではないという「建前」を取り払うために知るべき「あたり前」の現状【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

移民とは誰なのか?―移民の定義は移ろいがち

望月優大『ふたつの日本 「移民国家」の建前と現実』(講談社)は、日本は移民国家であるという前提で、複雑に入り組んだ「建前の日本」と「実際の日本」の構図を整理している。

経済産業省、Google、スマートニュースなどを経て独立した著者は、認定NPO法人難民支援協会が運営している、移民事情・移民文化を伝えるためのWEBマガジン『ニッポン複雑紀行』の編集長を務めており、本書では用語や定義の解説を織り交ぜながら、丁寧に多様な論旨が展開されている。

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国際的、学術的に定まった「移民」の定義があるわけではなく、1年以上滞在する外国人、更新回数に上限がない在留資格を持つ外国人、永住権を持つ外国人など、様々な定義がある。だからどの定義を選ぶかによって日本にいる「移民」の数は変わってしまうし、定義の選択それ自体が政治性を帯びる。 (P23)

著者は、「移民」という言葉が定義によってどれだけ人数が違うのか6段階にわけて例示している。一番範囲が狭い「身分・地位のみ(永住のみ)をカウント」の場合は108.5万人。一番広く捉えた「超過滞在者までカウント」の場合だと400万人超となる。日本政府は移民を「永住する外国人」と捉えていて、労働力不足に対応するために、本音では短期滞在の外国人労働者の受け入れを強く志向し、彼らが長期的に日本に定住することは忌避してきてきた。そして、「日本は移民政策を行っていない」という実情とは矛盾した建前が生まれた。こうした国家・企業・個人の表裏(「ふたつ」の側面)が本書のテーマとなっている。

単純労働者の、単純ではない気持ち

“ニッポンは複雑だ。複雑でいいし、複雑なほうがもっといい。”――これは前述した『ニッポン複雑紀行』のコンセプトを示すフレーズである。社会の複雑さを吟味することなく避けて通り、単純で簡単な選択を積み重ねた時、社会に「ひずみ」が生じるという。著者は、日本政府がこの2,、30年で複雑さを忌避しながら行ってきた外国人労働者の受け入れの特徴について、フロントドア(就労目的の在留資格)とサイドドア(就労目的ではない在留資格)という言葉を使って解説している。

フロントドアからは専門性や技術を持った外国人のみを受け入れ、低賃金ないし重労働な業務に従事する「いわゆる単純労働者」は受け入れないと宣言する。しかし、実際日本社会は特に「いわゆる単純労働」の分野において深刻な人手不足に悩まされている。そこで、サイドドアから入って来られる外国人(日系人とその家族、研修・技能実習生、留学生など)にそうした仕事を担ってもらおうという、「ひずみ」を内包した制度が整えられた。

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外国人労働者はただ「労働者」としてのみ存在するわけではない。彼らは当然「消費者」でもあり、地域の「住民」でもあり、その子どもたちは学校の「生徒」でもある。しかし、本当はその場所、その時間に存在するはずの彼らの存在が社会の中で見えづらくなっているという現実がある。(P98)

私の友人が監督した日本・ミャンマー合作の長編映画で、『僕の帰る場所』(藤元明緒監督)というミャンマーからの移民家族を描いた素晴らしい作品がある。主人公は日本に暮らすミャンマー移民の小さな兄弟で、ある日親がミャンマーに帰りたくなってしまい、ミャンマーに移り住む。兄弟は日本で生まれ育ったので、ミャンマーのことはあまり知らない。親にとっては「ミャンマーに帰る」。兄弟にとっては「ミャンマーに行く」。日本に「帰りたい」と葛藤しながら彼らが成長していくストーリーで、ニッポン複雑紀行でも紹介されている

この作品では「大人の自分は母国に帰りたいが、子どもは日本が母国だ」という、移民家族の悩みが描かれている。公開は2018年だが、今後も鑑賞のチャンスがあるかと思うので、ぜひ公式Twitterアカウントをチェックしてご覧いただければと思うが、そうしたマイノリティの「小さな」悩みは、システムの歪みにあっという間に飲み込まれてしまう。外国人労働者にもそれぞれの人生があることを念頭に置き、単に「制度があって合法だから」と働き手として雇うだけではなく、「複雑さ」の受け皿を自ら用意して、歪みを草の根レベルで捻り直すべきだというのが著者の主張だ。

常套的な「本音と建前」から撤退するには、膨大な知識が求められる

現代日本の複雑さを象徴するシステムとして、「技能実習」という在留資格について本書では一章が割かれている。日本の高い技術力を外国人にも習得してもらうという「国際貢献」を名目としている技能実習制度は、単純労働や中小企業の業務を中心に労働力不足を補ってきた。

3年の実習期間のうち、1年目の研修期間は「労働者性」が認められず、労働基準法や最低賃金法の適用外とされる。研修生への支払いは給与ではなく研修手当てということになっており、金額は安価に抑えられる。研修生たちは日本に来るために多額の借金をしているケースが多く、何らかの理由で滞在が継続できなかった場合、何かを学び取るどころか、返済の当てがまったくない借金を抱えた状態で母国へ帰ることになる。こうして、国際貢献のために存在しているはずの技能実習制度から、「技能実習生 また失踪」というようなニュースのヘッドラインが生まれてしまうのである。

ただ、ひとつ強調しておかなければならないのは、しっかりと目標を持っている技能実習生、そして彼らと対等に接している企業が数多くあるという事実だ。技能実習生と聞いてネガティブなイメージが連想されることは避けなければいけない。そして著者は、技能実習制度にケチをつけたいのではなく、本音と建前の使い分けが制度に浸透してしまっている、現代日本の「当たり前」を疑っているのだ。2017年11月に施行された技能実習法に対して、著者はこのように疑問を呈している。

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従来の国際貢献という建前の維持、現場で発生している人権侵害への対処、そして企業側からの実習期間の延長や人数枠拡大要望への応答―これら三つ要素間でバランスを取りつつ、新たな装いのもとで目指されたのは、古い制度をより維持拡大していく方向性だったのだ。しかし、それで元あった問題は改善されたのだろうか。(P134)

こうした日本政府のスタンスを、「大いなる撤退」という社会学用語を用いて著者は説明している。恒常的な不安定さから未来を予測しにくくなった末に、国家や企業は個人への不関与・無関心を促進させ、「大いなる関心」のかわりに「撤退」を選ぶようになる。そして人は段々と、代替可能で温度の通っていない物質のように扱われるようになっていくという考えだ。

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平成という時代は、外国人が増え、外国人労働者が増え、そして非正規雇用で働く日本人労働者が増えた時代だった。偶然だろうか。私にはそれらの変化が同じ動きの異なる現れとして見える。それは集団が引き続き個人の力を利用しながら、同時に個人の生の安定を保障するための負担からは自らを解き放とうとする運動である。(P209)

もちろん、暗い現実を並び立てて読者にショックを与えることが著者の意図ではない。本音と建前、その二つを熟知した上でその壁を融解させることを著者は理想としている。その解決策が提示されているというよりも、マラソンランナーがスタートラインを踏む前に膨大な時間をかけた準備が必要なように、移民問題の解決という長期戦に必要となる膨大な情報を体系的に整理してくれている本書は、「移民」について知る入門編としても、ある程度知識が既にある方が理解を再確認する場合にも役立つ一冊だ。