Backpackers’ Japanは、2010年入谷に「ゲストハウスtoco.」をオープンし、その後2年ごとに蔵前「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」、京都「Len」そして去年日本橋に「CITAN」を創った。すべてのゲストハウスが大盛況だが、創業者のメンバーは大学卒業後すぐに、または新卒で入った会社を退社して起業し、ノウハウがゼロの中、紆余曲折しながらこのゲストハウスを展開してきた。
スタッフが100人を超え、順調に事業も拡大しているが、改めて創業メンバーが大切にしてきたこととは何だったのか。そして今後の展望についても聞かせていただいた。
聞き手:米田智彦 文:立石愛香 写真:神保勇揮
本間貴裕
株式会社Backpackers' Japan代表取締役
「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を」という理念のもと、2010年に「ゲストハウスtoco.」を開業。その後、東京にて「Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE」と「CITAN」、京都にて「Len」と計4つのホステル&バーラウンジをプロデュース、運営する。旅とサーフィンをこよなく愛する32歳。会津若松出身。
石崎嵩人
株式会社Backpackers’ Japan取締役
大学卒業後、出版取次会社に就職。大学時代の同級生でもある本間に一緒に会社をつくろうと誘われ、退社。その後、同様に本間の元に集まった創業メンバーとともに開業資金を稼ぎ、Backpackers’ Japanを創業。運営店舗及び会社全体のデザイン、PR、情報発信などブランディングに関わる部分を担当。栃木県出身。
物件を選ぶ際の必須条件は、気がいいこと
Backpackers' Japan代表取締役 本間貴裕氏
―― 店舗ができるにつれスタッフも増えてきて、心境の変化も多少なりともあったと思います。
本間:めちゃくちゃありました(笑)。
―― 「CITAN」がオープンするまでの経緯は?
本間:「CITAN」はこの街をもっと活発にしたいという思いを持った、三井不動産の担当の方からお声掛けいただいたのが始まりなんですが、実は1度断っていたんです。オフィスビルだったので、カッコ良くできる自信がなかったというか……。
その時に、「じゃあ、どんな物件だったらやってくれるんですか?」と聞かれて、天井高が5mくらいあったらいいですねと答えたら、「じゃあ、一階の床を抜くのでやってください!」と言われました。床を抜くという発想にびっくりしたのもそうですが、担当の方がそこまで熱量を持って当たって来てくれるのが嬉しくて、同い年だったというのもあって、そこまで思ってくれるならやろう!と始まったプロジェクトです。
―― そもそも「CITAN」というネーミングの由来はどこから来ているのですか?
創業メンバーであり、情報責任者の石崎嵩人氏
石崎:五街道の起点である日本橋という土地と、旅人にとってもこの地域の人にとっても物語の始まりを予感させるような場所でありたいという思いを掛けて、ひとつづきのものの最初の部分という意味を持つ「始端」からとりました。
本間:僕らはいつも社内のスタッフから名前を募集しているんですが、「CITAN」の時は名前が100個以上集まったんですよ。それでなかなか決まらない時に、いっしー(石崎)が最後に「CITAN」をポンと出して、これだ! と決まりました。
―― いい名前ですね。「CITAN」の客層はどういった様子ですか?
本間:「Nui.」より年齢層が少し高めですね。外国人観光客は7、8割でそこは僕らのほかのゲストハウスと変わらないです。
―― Backpackers’ Japanはいろんな場所にゲストハウスを作っていますが、物件を選ぶ際の決め手は何ですか?
本間:物件の「気がいいこと」を最優先に考えています。気がいいというのは風通しが良くて、窓が大きめで日の光が入って、隣のビルがくっ付き過ぎていなくて周りが静かだとか。因数分解しようとすればそういった項目で羅列することもできるのですが、もっと直感的に「そこにいて気持ちがいいかどうか」を大切にしています。
―― 蔵前のNui.とかも、まさにそんな感じですもんね。
本間:そうです。CITANの建物も外装はオフィスビルだったんですけど、宮嶌(創業メンバー)と最初に見に来た時、気がいいからいけるね、という話をしました。
―― 「CITAN」が普通のゲストハウスやホステルと違うところやこだわったところはどこですか?
本間:スタッフや、オーナーや町内会の方たちとの関係性ももちろんありますが、この店舗の特徴として挙げるなら地下の音楽だと思います。
―― どんなスピーカーを使っているんですか?
本間:「Taguchi」という国産のブランドです。新木場で、アインシュタインみたいなおじちゃんが作っているスピーカーで、知る人ぞ知るとても音の良いスピーカーです。
音響設備にこんなにお金をかけているホステルは他になくて、音が反響しないように壁の角度も全部変えているんです。あと、竹原というスタッフがDJやアーティストのブッキングを担当してくれています。音楽は生モノで、空間に合う音楽もあれば合わないものもあるし、盛り上がり過ぎてしまったり、逆に盛り下がり過ぎてしまったり。
なので、設計の段階から音響デザイナーの方に相談してハードを設計したのはもちろん、さらにそれらを引き継いでずっとソフトをブラッシュアップさせ続けるスタッフがいるという二点が、「CITAN」を音楽たらしめる部分ではないかと思います。
「CITAN」で表現する音楽のあり方
―― 本間さんは、なぜそこまで音楽にこだわるんですか?
本間:僕ね、音楽が好きなんですよね。でもレコードも買わないし、アーティストの名前を言われても全然分からないんですけど、なんか好きなんです(笑)。
きっかけはオーストラリアを旅している時、生音で演奏している人を間近で見る機会が多くて、音楽そのものの持つ力とか、さらに音楽が入ることでそこにいる人々の関係性に変化があることがすごく魅力的に映ったんですね。音楽は自分の中で思い焦がれる存在だったのですが、「CITAN」に地下があるということで憧れから現実にする踏ん切りが付いたんだと思います。
―― 1ステージやるとしたら何人ぐらい入れるのですか?
本間:大体120~30人ぐらいです。
―― 結構入りますね。音楽を聴くにしても、何となくBGMとして流れていたり、食事して話している間にライブの音が時折聞こえるぐらいだったり、がっつりライブを観るようなものなどいろいろあると思うんですが、どんな音楽のあり方を目指していますか?
本間:僕らがよく言っているのは「ベクトルがバラバラな状態」です。いろんな人たちがそれぞれの目的で存在している状態がまずあって、そこに音楽が流れるから、人がコミュニケーションしやすくなったり、会うはずのなかった人たちが出会ったり、見知らぬ人がちょっとフランクになれたりする。けれど、あくまでも各々が自由にそこにいる状態。人の方にスポットを当てていて、私たちの場合音楽が主役ではないんです。
そこに音楽があることで普段と違った動きをする、そういう誘発剤であって欲しいという感じでしょうか。
―― いわゆるセレンディピティですね。
本間:そう。そういう偶発性を意図するみたいな。
―― Planned Happenstance Theoryという言葉がありますが、まさにそれですね。
本間:はい。いい音楽が鳴っていた方が人と話しやすいことを僕自身が向こう(オーストラリア)で経験していて。あの当時は英語もそんなに話せなかったし、旅をしている最中は孤独というか寂しさがあったけど、音楽が鳴っている空間に入るとすごく楽しいし、話しづらい外国人とも普通に話せた。音楽が鳴っていると友達になりやすい、と思ったんですね。
だから、僕らが目指す音楽はそっちに寄っているんですが、その挑戦がすごく難しい。一般的にアーティストやDJは聴かせてなんぼ、盛り上げてなんぼで、一方向性に人を持っていくのが基本的なスタンスというか、よくある形だと思うんです。僕らはそうではなくて、「ベクトルがバラバラな状態」を活かすため、ちょっと陰に隠れるけれども、最高の音楽をかけてほしいというわがままを言っているんです。
ゲストハウスは構想当時の自分の内面を表している
米田は4年ぶりにBackpackers’ Japanをインタビューした。
―― 石崎さんは、ウェブサイトでBackpackers’Japanのストーリーを小説風に書いていますがあれはどういう意図があったのですか?
石崎:自分たちが起業する時に、友達も親も辞めた会社の人たちもみんな心配してくれていて、最初はその人たちに報告するつもりでブログを書いていたんです。それに、「24歳の友達4人で1,000万稼いで起業を目指す」というちょっと挑戦的な状況だったので、形として残しておけば、本当に起業できても、逆にもし失敗しても、誰かのためになるかもしれないと思っていました。
―― 将来、出版したいと思っていますか?
石崎:そうですね。出版社を通すのかとか自費でつくるのかはまだ決めきっていないですが、大切な歴史なので、形にはしたいと思っています。
―― 楽しみにしています。最近メディアに出ることは多いですか?
石崎:店舗についての取材は今までもずっと受けていたんですけど、会社や本間自身の取材は最近まで受けないようにしていました。
―― それはなぜですか?
本間:僕自身が、あまり自身について話すことに欲求がないんですけど、いっしーが受けろと言うんで、最近は受けるようにしています(笑)。メディアに取り上げられて話題になるものは、いつかは廃る気がして今までは避けていたというのもあります。
それに社内では意見の不一致があったり、いざこざがあったりしながら進んでいるのに、僕が取材で答えるとそれが唯一の正解になって、あたかも完成された会社みたいに見えてしまう。代表の発言と現実が乖離すると、スタッフのモチベーションが下がることがあると思うんです。なので、外からの影響を受けずに自分たちで話しながら醸成していこうとしていました。
そろそろメディアに出ようかという話を石崎としたのは、会社として僕らが成長していく決断をしたからです。何を大事に生きていくかとか、経営していくかに関して、自分の話す言葉に自分自身が翻弄されなくなったと感じています。社内にしても自分に対しても軸がぶれないんじゃないかということが実感として固まってきて、それで受け始めたんです。
―― それは、経営者としての自覚みたいなものが芽生えてきたということですか? 今はスタッフは何人ですか?
本間:今はスタッフ全員で100名ぐらいです。昔は取材を受けたり、注目を集めたりすることで自分自身が調子に乗ってしまうことが不安だったんですが、もう調子に乗れないところまで来た気がします(笑)。描きたい未来があるし、守りたいスタッフもいるので。
―― 自分を振り返ると、僕も20代とか30代の頃は調子に乗ってましたけどね(笑)。
本間:調子に乗っている自分と、それに対して不安を感じている自分が一緒にいるみたいな時期はありました。しかも、その状態を当時は自覚できてなかった。なんとなく感じてはいたんですけどね。
「Nui.」を造った後の1年は一生懸命でなりふり構わずで、俺らはこんなのを作ったぜという思いがやっぱりあって。主張したい思いと、目立っていくことに対する戸惑いとの狭間で、とにかく飲みまくってました(笑)。
でも、ある日、「これはつまんねえな」と気付いたんです。目立っても、ちやほやされても、その先には何も残らないじゃないかと思った。そのタイミングで京都の「Len」の話が来て、「この店舗は落ち着く店舗にしよう」と皆で話しました。「toco.」がセンセーショナルに世に出て、「Nui.」でドンとやったぜという感じがあって。三つ目の「Len」はそれらを超えるんじゃなくて、自分たちの熱量を落ち着けるような店舗にしようとしたのは、自分達の内面的な熱を冷ますこともあったような気がします。
石崎:周りからの期待もすごく大きくて、次はどんなものを作るんだろう、もっと凄い場所なのかと言われるのを……。
本間:外した。ああ、うーん、いいね、みたいな(笑)。でもそれを狙おうと言っていたよね。
100人のスタッフを抱えるマネジメントとは
―― 以前聞いた、休暇で2週間旅ができるという福利厚生は今もあるんですか?
本間:あれは死守しています(笑)。数字が厳しい時などはこの日数を削ろうよと何回か議論されてきましたが、まだ残っていて。むしろ適用範囲が広がり、Nui.を作った当時より多くのスタッフが行けるようになりました。
―― スタッフの数が増えて、経営者としてのマネジメントや組織論みたいなものは変わりましたか?
本間:個人的な感情で言うと、クリティカルなところを全部自分の手中に収めておきたい、決定的な判断は自分ですべて把握しておきたい、という時代が終わった気がします。ここ「CITAN」は本当に自分の好きなように造らせてもらったと思っていて、そこで気持ちが一段落したような感じでしょうか。
最近は自分が決定権を持ちたいというよりも、みんなに決めてほしいというのがメインになりました。それによって組織論が大きく変わって来たと思います。
―― それは、よりスタッフの自発性が出てくるということですか?
本間:はい。あとは、空間に対するこだわりみたいなものは前の方が強かったんですが、かけている音楽や空間の雰囲気や接客の仕方みたいなものが、自分の理想と違っても、これはこれでいいかなと思えることが増えました。
―― 余裕が出たんじゃないですか?
本間:それは余裕とも言えるし、自信とも言えるのかもしれないし、信頼とも言えるのかもしれないですけど。あとは、やりたいことが変わったとも言えますね。
―― また、次も考えているわけですよね。どういう構想をしているのですか?
本間:米田さんとお会いしていない時間の中で、一番僕らに変化があったのが実はこの数カ月なんです。役員が4人から3人増えて、7名になりました。まず同い年の岡雄大という者が加わりました。彼は元々、米国の大きなホテル投資会社で務めたのち、シンガポールで独立してホテル投資と運営の会社を作りました。同い年なのに世界各地で既にホテルを作っている人です。彼が入って、世界への展開ってこんな感じでやっていくんだなということが近くで見えて、とても大きな刺激があったんです。
その次に、元々中東でエネルギー系のコンサルティングをやっていた友人が入りました。彼が面白いのは、ビジネスは拡大してなんぼだということを純粋に信じていることなんです。良いものは拡大したほうがいい、良いものだったら拡大しない理由は無いということを心から言えるんです。その二人が入って、僕の中で展開に向けての意思が固まりました。
あとは、「Len」のマネージャーだった藤城が役員になって、既存店舗全てのオペレーションを統括することになりました。そんな役員7名が全員同意の上で、国内外に向かって会社を大きくしていこう、社会の役に立つような大きな会社にしていこうと決意を固めたのが最近です。
―― すごい激動じゃないですか(笑)。
本間:ここから動かします。僕は20代の頃はずっと助走だと思って動いてきました。そしてきっと30代は働き盛りで社会的に信頼もあるし、今までよりも発言が通りやすい。やっとここから飛び立つぞ、という所です。
具体的に言うと、今までBackpackers’ Japan一本だったのが、これから新しいプロジェクトを複数立ち上げることで会社がホールディングスになります。なので、一人の意思の下にでっかい三角形を作るのではじゃなくて、それぞれの会社に代表それぞれの意思があって、それぞれが信じるかたちで動いていく。
―― それをスタッフに共有するのはすごく大変だったりもすると思うんですけど、自発的に人が集まってきた中でそういうことが生まれているんですか?
本間:自発性に関しては、求めてもいるし歓迎もしています。でもそれ以上に、瞬間的な熱量を大事にしたいという思いがあります。そのために各チームを動きやすくしておきたい。会社の理念として北極星みたいなものだけを定めておいて、あとはその時に縁があって一緒に働ける人たちと、最大限のスピードでそっちに向かって走るという感じです。
若者は社会の影響を受け、素直に表現している
―― この5年ほど、不動産ビジネスは非常に好調でしたし、訪日観光客の数もうなぎ登りでホテル産業も大盛況です。Backpackers’ Japanが行っている事業は、不動産の市況的なものと関係あると思いますか?
本間:もちろん関係あると思います。ただ会社を興す時にも、市場を見るのではなく、自分たちが好きなことをやろうとはっきり話していました。それが、たまたま市場の流れに適合すれば会社は大きくなるし、適合しなければしっぽり1店舗やって終わるだけだと。それで言うと、インバウンドの流れとか不動産ビジネスの流れがドンピシャで合ったんだと思っています。それはラッキーだった。
―― アベノミクスがスタートしたのが2013年からでしたから、ドンピシャですね。
本間:はい。今あの頃を振り返って思うことは、日本社会の中で生きてきた23、24歳の若者がやりたいと強く思うことは、社会に適合しやすいんだろうなということです。僕の意思は僕個人の意思じゃなくて、生まれた環境であり日本という社会の流れであり、その中でのいろいろな情報収集の結果、自分というものが形成されていくじゃないですか。そいつらがやりたいと思うことはきっと、その年代の人たちがみんなやりたいと思っていることに近いはずなんです。だから純粋に何かを表現していったら、それがきっと流行る。そういう意味では、市場の盛り上がりというのは自分たちの世代としてやりたいことを表現していた結果なんだろうなと感じます。
―― 本間さんほど、マーケティングに遠い人はいないと思うけどね、直感的だし(笑)。
本間:そうですね(笑)。一応やっているんだけど。答え合わせのマーケティングですね。
―― ただ東京オリンピック後は経済の調整期に入り、不況が来るかもしれないと言われていますが、そのへんはどうですか?
本間:不動産価格で言うと、全体的な機運からちょっと下がるだろうと言われていて、ホテルは供給過多の方に少しずつ傾いていくと思うんです。
なので、今のうちに僕らは海外に行きます。未来は誰にも予想できなくて、超一流の経済アナリストが言うことが外れるし、不動産ファンドでごりごりやっている人も外すこともある。それを僕が予想しても絶対に分からないので、だったら分散するというすごく単純な方向に僕らは行こうとしていますね。
―― 将来を見据えたリスクマネジメントですね。
本間:日本が悪い時でも、カンボジアは良いかもしれないし、カンボジアが悪い時はタイが良いかもしれない。きっと順繰りに、良い市場というのは移り変わっていくものだと思うんです。
行き着くところはシンプルに、自分たちの好きなことで人の役に立ちたい
―― 成長拡大路線という言葉がありましたけど、5年後、10年後の目標はありますか?
本間:まさにこの前役員合宿をやって、10年後を考えようという話をしたんです。今32歳なので、42歳までに事業規模で4、5百億円ぐらいまでは行きたい。僕に関して言えば、今までやりたいことをやりたい奴らと、思いっきりやらせてもらったと思っていて。そして、このまま調子を変えずに仕事をしていたら、この先に何があるのか大体予想が付く。それはそれでハッピーな人生なのですが、予想が付く方向に行くのは自分の中で一区切りで、今はそれ以上に「社会の役に立ちたい」思うようになったんです。
20代の頃は、役に立ちたいと言っている人ほどうさん臭く見えてしょうがなかったし、そんなことを自分で言いたくなかった。けれど、一通りやりたいことを全部やったら、純粋に役に立ちたいと思えるようになったんです。それが自分の中で嘘じゃなく発言できるようになった。そんな時、社会の役に立つって何だろうと考えたときに、「社会」という言葉が表す範囲を決めなければいけない、と思ったんです。
私たちが言う「社会」とは自分の友達なのか家族なのか、町なのか市なのか県なのか、はたまた国なのか、世界なのか。それで言うと僕の中の「社会」とは「人間」という意味に近くて。特定の地域や国でなく、人間がどう次のステップに行くのかに興味があります。今で言うと戦争や環境などいろいろな課題があるけど、人間はどうそれを解決していくんだろうか、どんな未来に向かって進んでいくんだろうか、ということ考えたい。僕が指す「社会」は地域じゃなくて、もっと広いものなんだと思いました。その社会をより良くしようとすると、事業規模が無いと嘘になるので、ひとまず4、5百億を目指そうという話をしています。
その10年後ぐらいに1、2千億円ぐらいまでいったら、僕らは52歳だから、そこから10年かけて次の人に継いでいって、そこからまた大きくなっていけば、もしかしたら僕らが言う「社会」の役に立てるような会社が作れるんじゃないかと。10年でそのくらいまでいかないと、そもそも何にもならないと思っていて。しかも、それを役員全員の合意の下で形成されたことが奇跡的だと思います。そんなに、そもそも上昇志向の人間の集まりでもないし。
石崎:そうだね。
本間:俺が時々突っ走っちゃうことはあっても、みんながそれに対して、よっしゃ、やろう! となったのは、メンバーそれぞれにも気持ちの変化が起きていたんだろうなと思います。
―― 拡大路線の方が、自分たちにとっても社会のためにとっても人のためにとってもいいんじゃないかと思えるように、自然になったと。最終的には、誰かのために役に立つというシンプルなことに行き着くんですね。
本間:そう思います。誰かの役に立つのが一番面白い。自分たちの得意なことで、しかも自分たちがやっていて楽しいことを通して役に立てるのであれば、なおさら最高ですね。