神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
「YouTubeがない社会」はもうあり得ない
「将来なりたい職業」を子どもに聞いて「YouTuber」と言われても、さほど私たちは驚かなくなった。「YouTuber」が何をやっていて、どのように収益が入るのかも多くの人が想像できるようになったのだ(チャンネル登録者数や再生時間によって変動するが、だいたい100万回再生だと10万円弱の収益だと言われている)。
YouTubeの画期性は、サービスが開始された2005年頃からじわじわと口コミで広まっていった。筆者も当時のmixiを振り返ってみたところ、2006年2月に「すごいサイトがある」と、好きなUKロックバンドのライブ映像とともに、興奮した様子で日記に言及していた。
ロバート・キンセル、マーニー・ペイヴァン『YouTube革命 メディアを変える挑戦者たち』(文藝春秋)は、YouTubeがどのように私たちの「当たり前」を変えてきたか、そしてこれから社会の重要な構成要素として何をもたらしていくのかが語られている。
主な著者であるロバート・キンセルは、共産主義下のチェコスロバキアに生まれ、アメリカのケーブルテレビ局・HBOやNetflixでの勤務を経て、現在はYouTubeの副社長を務めている。若い頃は冷戦時代で、「鉄のカーテン」の東側から西側を眺める立場だった。当時は、検閲を受けていないコンテンツを見る機会は非常に限られていたという。そうした背景を持つ著者は、YouTubeの存在のありがたみを、「鏡」という言葉を使ってユニークに表している。
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いまYouTubeのチーフ・ビジネス・オフィサーである私の仕事は、情報やエンターテインメントを世界中の十億人以上の人々に届けるのを助けることだ。その中には政府がアクセスを制限しようとしている国も多くある。そしてYouTubeは世界をかいま見せるというよりかは、人間の経験すべてに鏡を向けて、すべての喜び、すべての苦悩、すべてのニュース、すべての歴史を映し出している。(P13)
自分のカメラで、自分が好きなことを、自分が好きなタイミングでアップロードできる。著者は「アップロード」という行為を芸術の域まで高めた映像監督やエンターテイナーのことを「ストリームパンク」と呼んでいるが、鏡の前に立てば自分の姿が映し出されるように、映像を一度アップロードすれば世界中にたちまちシェアされることが、いかに人々の救いになり、パンクロックのように社会の殻を破っていく原動力になり得るかを一冊かけて読者に訴えかける。
「マニアックさ」「マイノリティ」に普遍性をもたらす、YouTubeの力
パソコンやスマホのディスプレイに映る映像の世界に浸ることは、内向的な行為だと思われがちだ。しかし、「ストリームパンク」たちはすごい映像を撮って人に自慢するという自己顕示に明け暮れる、バーチャルな世界に閉じこもった人々なのではなく、むしろ進んで社会と関わりを求める人たちなのだと、著者は本書で証明している。
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YouTubeは、何かを堂々と好きになってもいいこと、知的研究は賞賛にあたいすること、病気を自分の特徴と思う必要はないこと、若くして死んでも充実した人生を送り、その影響が遠くにまで及ぶことを理解する助けとなる。(P71)
日本でも「好きなことで生きていく」というキャッチコピーとともに、YouTuberの広告が大々的にされた時期が3年ほど前にあった。本書で紹介されている、全米で最も成功したYouTuber、ジョン・グリーンとその弟のハンク・グリーンはその最たる例だ。ジョン・グリーンは、一定の成功を収めている作家活動とは別にVlogBrothersというユニットを結成し、弟とビデオブログを往復書簡のように展開、累計何十億という再生回数を現在も更新し続けている。
グリーン兄弟はnerd(オタク)であることを肯定する。対象の如何を問わず、何かに関して突っ込んで考えることは他者とのつながりを深めることにも通じるため、YouTubeは相互理解を深める学校のような場所なのだと信じているという。
また、MeToo運動にも見られるように、何か言いたくても言えなかったことを言う場としてもYouTubeは機能する。ゲイのYouTuberであるタイラー・オークリーは、自身がカミングアウトするか否かという次元を越えて、ゲイという存在を当たり前のものとして描いたチャンネルを展開しており、その人物像自体が『君は君のままで』というドキュメンタリーとして作品化されている。
「当たり前」の次の「当たり前」
誰にでもYouTuberになる門は開かれている。しかしヒカキンがNHKのテレビ番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演した際、徹夜も厭わず取材・撮影・編集に明け暮れる私生活を公開したように、生計を立てていく道はそう甘くない。YouTuberがチャンネル登録者との距離感について語る言葉は、「企業努力」の概念に似ている。
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チャンネル登録している人は、わずかなコンテンツのために登録する。壮大な長いドラマを観たいわけじゃない。だから何か違うことをすると―誰もがやりたくなることだけど―離れる人もいる。ぼくは一本の動画に千人のチャンネル登録者がつくより、すべての動画に十人ずつついたほうがいいと思っている。(P81)
効率的に、不特定多数にコンテンツを投稿するよりも、時間をかけて個人間の密なつながりを築くようなスタンスがYouTuberとして生きていくコツだということを、このコメントは示している。
また、「パンク」なメディアとして有名なVice MediaのCEOであり、共同創業者でもあるシェーン・スミスと著者のやりとりの中では、Viceコンテンツの平均視聴時間が17分を越えているという情報が紹介されている。
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シリア内戦を現地で撮影した映像、火星探査機『キュリオシティ』が無事に着陸したあとにNASAのジェット推進研究所が配信したライブ映像、ミット・ロムニーが国民の四十七パーセントは所得税を払っておらず政府に依存しているので自分には投票しないだろうという失言をしたときのリーク映像も、若者たちは観ているのだ。(P217)
動画時間の長さは問題ではない。どんな熱意が込められているのかが動画にとっては重要で、YouTuberの才能とは、ひとつひとつの動画をなおざりにせず、コンスタントに熱量を保って世の中に投じることができることを言うのかもしれない。YouTuberになりたい読者にとっても、事業の紹介動画をつくってみたいなど計画している読者にとっても、本書は近年軽視されつつある「視聴者の想像力」を信じる一助となるはずだ。
そうしたYouTuberを擁するYouTube自体も、新しい「当たり前」をつくるべく未来の方向を向いている。
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オープンであるということは、満足させるべき人が数多くいるということだ。私たちの成功が続くかどうかは、十年前に比べてはるかに選択肢の多い現在のメディアの状況の中で、視聴者、クリエーター、広告主らすべてが、納得できるものをつくることにかかっている。 (P327)
Youという英単語は不思議で、複数形でもYouなのだが、YouTubeを命名した創設者たちは自然とそのことを意識しているはずだ。世界70億人のうち数多くが知っているはずのYouTubeは、未来の共感をどのように集めようとしているか。ぜひ本書を読んで確認して頂きたい。