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受験古文「ゴロゴ」の板野博行は、若手社会人に「飢える力が足りない」と叱咤激励する!

今年も暮れに近づいてきて、ニュースから流れる「大学受験」という言葉が社会人にとってはもはや懐かしい。書店の参考書コーナー...

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今年も暮れに近づいてきて、ニュースから流れる「大学受験」という言葉が社会人にとってはもはや懐かしい。書店の参考書コーナーで今でも必ず見かける『ゴロゴ』シリーズ(古文・漢文の単語を語呂合わせで覚えられる本)を受験時に愛読していた人も多いだろう。

『ゴロゴ』シリーズの作者であり、今も大手予備校の東進ハイスクールの講師である板野博行氏は、著書『大学生活を極める55のヒント』(大和書房)で大学生に向けてエールを送っている。私を含めた社会人も、受験シーズンのように日々悩むこともまだある。ぜひ迷子の社会人に叱咤激励をしていただきたいと、お話を伺った。

文:立石愛香 写真:神保勇揮

板野博行

受験研究所アルスファクトリー 代表取締役

京都大学文学部国文学科卒。代々木ゼミナールを経て、東進ハイスクール、東進衛星予備校にて現代文・古文を担当。実践的解法を追及し、映像授業で日本全国の受験生から支持を受けている。TVドラマ「ドラゴン桜」でも取り上げられた古文単語の大ベストセラー『古文単語ゴロゴ』等、多数の参考書・問題集も執筆。

賢いヤツほど『ゴロゴ』を使う

―― 『ゴロゴ』には私も受験当時、大変お世話になりました。この本が誕生したのはどんな背景があったのですか?

多くの受験生がお世話になった『古文単語ゴロゴ』の最新バージョン

板野:当時の生徒がなかなか勉強しない子たちで、どうしたら勉強する? と聞いたら「面白かったら古文単語や漢文を覚えられる」と言ったので、だったらゴロ(語呂)にしてみようかと思いました。最初のバージョンが発売されたのは1997年で、当時は今みたいに若い子全員がケータイを持っているわけではなかったので、友人の電話番号は語呂で覚えていたんですよ。それがヒントになりました。

―― それでゴロを565個も生み出したのがすごいですね。

板野:毎年平均80個ぐらい作りました。500個超えたあたりで、本にしたいと思い本の題名を決める投票会を開きました。『ゴロゴ』というタイトルは教え子のアイデアなんですよ。

―― 『ゴロゴ』は覚えたい古語がゴロの頭にあるので、自然に意味が思い出せますね。

板野:覚えるべき単語と意味をゴロの中に非常にシンプルに落とし込んであります。でも、古文単語を最初に持ってくるのが意外に難しいんですよ。

これなんか「むげー!ひでー!」ですからね。ノリの勢いしかない(笑)。普通は「むごいな、おまえのやっていることはひどいな」みたいな感じのゴロをどうしても作ってしまうんです。そうすると文章としてはわかりやすいけど、それが500個もあったら覚えられないです。シンプルイズベストが一番! とわかったのは、かなりゴロをたくさん作ってからですね。これは、一見簡単そうに見えて難しい作業です。

僕の作った『ゴロゴ』に本質的なオリジナリティとか個性があると見抜ける受験生は勘が鋭い生徒で、東大とか早稲田に行くような賢い人ほど使って合格してくれています。中途半端な人ほど、表面的な第一印象だけで判断して、「こんなゴロで覚えて何になるんだ」と言うんです。『ゴロゴ』を批判する人は古文単語を覚えるのに本質的な勉強方法があると信じている人たちでしょう。でも僕は一応、京大文学部国文科を出ていますのでかなり本質本格的なハズです(笑)。その僕が『ゴロゴ』を作っているという意味を考えてほしいと思います。

超絶激務を乗り切ったうえで「日本的な生き方はやめよう」と決意

―― 今では『ゴロゴ』シリーズはベストセラーですが、出版までの経緯はどんな感じだったんですか?

板野:当時、『ゴロゴ』の企画書を出版社に持ち込んだんですが、すべてきれいに断られましたね。

―― ええ!そうなんですか? 出版社は大きな魚を逃しましたね。

板野:なので自費出版しようと自分で会社を設立するために銀行にお金を借りに行ったら、担保はあるのかと聞かれました。そんなものがあるんだったらわざわざ銀行に借りに来ないよと思って、自分の頭を指差しながら「担保はここじゃダメですか?」と嫌味を言いました(笑)。

―― おお…。

板野:本当に銀行マンって人を見る気がないなと思いましたね。担保があるかどうかだけでしか融資の判断ができないなら、いずれロボットやAIに置き換えられちゃうじゃないですか。あと、いまだに当時断られた出版社の編集者に「自分のところで『ゴロゴ』を出せばよかった」と言われますが、それはきっと本心ではないと思います。結果を見てからの逆算でモノを言っているだけで、結果が出てから言うならだれでも言えます。大半の人は仕事に対して自分の人生を賭けてやっていない。リスクを取らないですね。仕方がないとは思いますが、そんなサラリーマン気質なんて何にもならないですよね。今でもその気持ちは変わっていません。

―― では会社立ち上げ時にはすべて自分のお金で?

板野:はい。親友と二人で、自分たちが働いて貯めたお金だけで立ち上げました。初期投資を回収するまでが大変で、立ち上げから4年後にやっとお金が入ってきました。

――会社員時代はどんなことをしていたのですか?

板野:新卒入社で、当時日本一の株価だった電気機器メーカーでしばらく働きました。月平均200時間の残業を当たり前にしていて、帰るのも面倒なので給湯室でみんなで背中を拭いて、机の上に寝るんです。人事だったから社員の残業時間もわかるんですが、400時間残業している人もいました(笑)。

国内より輸出比率のほうが高い会社だったので、世界20カ国の同僚と一緒に働いて、その後の人生に確実に影響を与えられた場所ですね。たとえばスペインの方と話をした時には「板野さん、君は京大まで出てよくこんなところで働いているね、僕なら辞めるよ。スペイン人だったら間違いなく革命が起きてる(笑)」と言うわけです。

それから、ドイツの方に言われたのは、「日本はすごく中流階級が分厚くて、頭のいい人は損している。給料から社会的な地位から、日本で東大、京大を出た人はすごく損して見える」と。ドイツでは、労働者階級とエリート階級の違いがすごくはっきりしているんですよね。

アメリカの方とは、「アメリカはベンチャーの会社が挑戦できる基盤が日本より整っているから、仕事ができる人はそもそも会社に入らない」という話をずっとしていました。さきほどの銀行の担保の話などもアメリカは全く違っていて、一度失敗した人にこそ銀行は融資をしたがるという話を聞きました。チャレンジ精神に対する考え方が日本とアメリカとでは雲泥の差があることを痛感しました。

今まで20何年間日本の価値観を信じて生きてきたけれども、いろんな国のいろんな話を聞いて、日本と世界はまったく違うんだなというのがわかったのは大きかったですね。だから、会社を辞めるときも日本的なサラリーマンはこれでもうさよならだ、自分の価値観に従って自己責任でやるだけやってみようと思いました。

代ゼミの盛衰にみる「生き残る会社選びのポイント」 

―― それから塾講師へとステージを変えたんですね。

板野:当時26歳になっていましたから、学生時代のアルバイトの経験から予備校の先生がいいと思いました。教えるのが大好きだったんです。しかし、大きな会社はもうこりごりだったので生徒が2人の小さな塾からスタートしました。

―― それから代々木ゼミナール(以下、代ゼミ)を経て東進ハイスクール(以下、東進)へ転職された理由は?

板野:80年代から90年代初頭にかけてはまだ今ほど大学の数が多くなく、かつ子どもの数も多かったので、受験生の6割近くは浪人していました。予備校全盛の時代です。その頃、僕は代ゼミにいたんですが、代ゼミは経常利益額が日本のベスト20に入っていたんです。

―― 予備校バブル時代ですね。

板野:はい。僕が代ゼミの講師採用試験を受けた時は、倍率が200倍なんて当たり前でした。年収や人気度は総合商社と同じか上で、都市銀行に入るのよりはるかに難関の職業でした。予備校は教室と人と紙しか要らないビジネスなので、優秀な講師を囲い込もうと給料が死ぬほど上がっていったわけです。ただし、契約は一年更新。保証がないという意味では、野球やサッカーなどのプロ選手に似ています。

一方の東進は、いわゆる代ゼミ、河合、駿台のビッグスリーに続いて後発の4番手で、会社の創業期は全部そうなんですが、イケイケどんどんはいいのですが、かなり先行き怪しい会社だったわけです。

ただ当時僕が考えていたのは、「文科省が大学の入学定員を増やすための取り組みをいろいろ進めていて、そうなれば浪人の数も減り、今のようなバブルは終わるだろう、よって生授業の需要も減り、僕たちの仕事は激減するだろう」ということでしたが、そう思っていた矢先、ビデオやDVDの映像を使って授業をする東進が出てきたわけです。これは「渡りに船」だと思いました。それで僕が代ゼミから東進に転職すると言ったら、軟禁状態にされて社内の人に入れ替わり立ち替わり長時間説得され、最後に副理事長に「うちは資本力があるんだ、東進のやり方が成功しても、後から追い掛ければうちは余裕で追い越せる」と言われ、逆に辞める決心がつきました。

―― ここにいたらダメだと思ったんですね。

板野:そうですね。当時の代ゼミはすでに「おごれるものは久しからず」の状態だと判断しました。もし皆さんが就職・転職する時は、その会社のトップの人を見るべきです。余程の大きい組織は別ですが、トップの人が考えを間違えると基本、会社は全部ダメになります。どんなに能力がある人でも、サラリーマンをやる以上はその会社全体がダメになっていった時に、一人や二人の力でひっくり返せるものではないんです。

ただ、オーナー企業とサラリーマン社長では違ってきますが、サラリーマン社長の場合は特に周りの取り巻きも含めたシステムや組織を見る必要がありますね。

僕は何かをやる時は基本、命懸けでやるべきだという考えを持っています。何だかんだ言ってみんな親方日の丸、あるいは会社がバックにいるという考え方で責任を回避して生きている人が多いと思います。しかし、本当は生きていると言うことは1分1秒が大切で、目の前で何か起きるかわからないあらゆる可能性があるということを、心の底から思える力があるかどうかがその人の生き方を全部決めてしまうと思うんですけど、残念ながら日本の教育とかシステムはそうじゃないですよね。

―― 日本の会社では上の人を立てたり、気を遣わなくてはいけないことばかりです。

板野:「近ごろの若者はなっとらん」というのは古代から刻まれていて、人類は4000年以上言い続けてきているわけです。それを裏返して言うと、どの時代もずっとそう言い続けてきた以上、年を取った人から見たら若者は変でおかしい。だけど、変革するのが若者ですよね。

そして今は、年寄りが完全に置いてけぼりをくらっているでしょう。昔や、職人の世界では、大工に修行に行ったら10年間カンナばかり削らされたりしていた。でも今では下積みをするにももっと効率的な方法があって、若い人がITやらネットで新しいものをつくり上げていける時代になっているんですね。

―― もちろん下の世代ができないこともあるので、お互いが世代を超えて得意なことで補えればいいですよね。

板野:日本の企業社会は基本的に奴隷制度あるいは軍隊の名残が残っている(笑)ので、「これをやれ」と命令したことにイエスと言ってくれるヤツじゃない限りは雇い続けられないんです。イエスマンが出世する構図ですよね。企業という一つの生命体としては異分子、つまりガンみたいなヤツは排除するしかないわけです。本当は異分子こそ全体のためになる可能性があるのですけど、今の日本社会ではなかなかそれが見極められないし生かすこともできないのです。

学生の永遠の疑問。なぜ勉強をするのか

―― 毎年多くの受験生と接していると、「何のために受験勉強をする必要があるのか?」と聞かれることも多いと思うんですが、その時はどのように答えているのですか?

板野:その答えは簡単で、「とにかくできるだけいい大学に行ってみろ」と言うだけですね。それは難関大学ほど、北海道から沖縄までいろんな人が集う場所で、価値観の転換が起きる可能性があるからです。大学という場所は自分というものを、もう一度ゼロからつくり上げることができる。18歳の受験生の顔を見ていると、特に男の子はまだそいつ自身じゃないんです。親などの価値観の受け売りの顔をしています。その子の人格を認めるのは二十歳ぐらいでいいんじゃないですかね。それまでは、まだ何者でもない子どもなんです。

子どもが「なんでこんなにつまらない勉強をするんだ」とよく言いますが、何がつまらないかを知らない限りは、何が面白いかもわからないわけじゃないですか。

―― でも、できればつまらないことはしたくないです。

板野:じゃあ例えば、本当に奴隷みたいな生活を送らせたとしますよ。来る日も来る日もネジだけを巻くような仕事をしていて、どうしても僕はこのネジ巻きが嫌なんだと。そうじゃなくて俺は絵を描きたい、どんなことをしてでも絵を描くぞという気持ちになれるのは、毎日ネジを巻いているからでしょう。それを経ないで「君の好きなことをやっていいよ、毎日絵を描きなさい」と言われたら絵を描く人はどれだけいるんですかね、という話なんです。

つまり人というのは、逆境の中で自分を発見するものであって、何が本当にやりたいかということは、やりたくないことをやらされればやらされるほど分かってくるわけです。

勉強を中途半端にやった人は中途半端な自由しか手に入らないので、中途半端な権利意識と中途半端な義務意識と中途半端な自由と中途半端な不自由を手に入れているだけで、まったく何にも到達しないわけです。だから、とことん勉強をやって不自由さを知り、逆に大学に行ってその反対の自由さを見ることによって自分のバランスが取れるようになるんです。仕事も同様、結局は振り子ですよ。

―― ただ大学生活で自由を知ると、その後の社会人生活がより窮屈になりそうですね。

板野:大学で早々に自分をゼロにして、果たして自分とは何ぞや、世の中とは何ぞやということを、本を読んだり友達といろいろな話や体験をして2年間ぐらいで作り上げて、そこで専門が決まって勉強する人は勉強する人で、就活する人はするというような流れがこの2、30年はあったんですけど、それが今は真面目に4年間大学生活を送って就活するのがスタンダードになってしまっていて、高校の延長線上の大学になっているんですね。

さらに最近の働き方改革で社会人も大学生の延長線上になってきてしまったように感じます。これはどこかでおかしくなりますので、自立するのが今は下手したら30歳までズレ込む可能性が出てきましたね。それで教育がまずいと思って、センター試験をやめて「考える」ことを軸とした新テスト(新名称は「共通テスト」)にしようという話になっているんですけど、50万人以上の受験生に記述を含めた試験を課すのは、なかなか現実問題として厳しいかなというところはあります。

さらに言えばみんなが言う「やりたいこと」って、心の底からやりたいと思ってやっている人がどれぐらいいるんですかね。世界一の夕日を見たいと思ってそれを実現するためには物理的に相当努力して移動しなければならない。でも、想像力があるならビデオで観ても感じ取れる人もいるので、最後は手段の問題ではないとも思うんです。要は求める力がどこまであるかなので、手段云々はおいておくとしても飢える力をぜひ持ってもらえれば。

―― 飢える力?

板野:はい。飢えて飢えて、そして渇望してほしいですね。もっと、何か自分が足りないというものに対して、そして夢に対して真剣に。

20歳・40歳・60歳でそれぞれ生き方を変えられるか 

―― 京大時代は数学者の森毅さんの研究室でよく議論していたそうですが、森さんは「人生20年ごとに生き方を変えるべきだ」とおっしゃっていたそうですね。板野さんはこれから何に挑戦したいですか?

板野:そうですね。僕も20年ずつぐらいで生き方を変えてきているんですけど、一番現実可能で今まで生きてきた道を活かすという意味では、執筆業を通して世の中に訴えて行きたいと思っています。

あと、やりたいことがもう1つあって、僕は3社の会社で経営に参画していますが、そのうちの一つにスマホアプリを作っている会社があります。そこには非常に優秀な若い人たちがいるので、彼ら彼女らと一緒にアイデアを出して作り上げていくのも面白いかなと思っています。

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板野博行公式サイト