CULTURE | 2018/09/07

さくらももことポップスのありかた 『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の記憶|矢野利裕


矢野利裕
批評家/ライター/DJ
1983年、東京都生まれ。批評家、DJ。著書に『SMAPは終わらない』(垣内出...

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矢野利裕

批評家/ライター/DJ

1983年、東京都生まれ。批評家、DJ。著書に『SMAPは終わらない』(垣内出版)『ジャニーズと日本』(講談社)、共著に大谷能生・速水健朗・矢野利裕『ジャニ研!』(原書房)、宇佐美毅・千田洋幸編『村上春樹と二十一世紀年代』(おうふう)など。

ずっと心に残っていた『わたしの好きな歌』

僕のiPodにずっと、『サトウハチロー記念館 童謡・コロムビア編』というアルバムが入っているのは、1992年に公開されたアニメ映画『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』が好きだからです。本作中、図工の授業で「わたしの好きな歌」というテーマで絵を描くことになったまるちゃんは、「めんこい仔馬」という童謡を選ぶのですが、『サトウハチロー記念館』という曲集には、その「めんこい仔馬」(サトウハチロー作詞)が収録されているのです。戦時下の軍馬のことを歌った「めんこい仔馬」という曲は、物語において(父・ヒロシの替え歌とともに)欠かせないもので、当時9歳、子どもながらに印象深い曲として残っていました。

多くの人と同じように、僕もさくらももこさんのファンでした。『ちびまる子ちゃん』はもちろん、『コジコジ』や『神のちから』、『永沢君』なども愛読していました。エッセイも読んでいました。その中で、思い入れが強いものを選ぶとすれば、やはり先述の『わたしの好きな歌』になります。

音楽劇のような本作では、「めんこい仔馬」のほかにも、大瀧詠一「1969年のドラッグ・レース」や細野晴臣「はらいそ」、たま「星を食べる」、笠置シヅ子「買い物ブギ」などが、独立した音楽パートとして、魅力的な映像とともに流されます。久保田麻琴がアレンジをしていた「ダンドゥット・レゲエ」もありました。意識的に音楽を摂取するようになるずっと以前、大瀧詠一のことも細野晴臣のことも久保田麻琴のことも笠置シヅ子のことも知らなかったけど(たまは同時代の人気バンドとして認識していた気がする)、これらの曲は、大好きなアニメ映画に流れていた音楽として、物語とともに、ずっと心に残っていました。

なぜ「さくらももこアニメの音楽」はあんなにも魅力的だったのか

それにしても、さくらももこさんは、音楽が本当に好きなのだと思います。

さくらももこさんが渋谷系の音楽を好んでいた、ということはよく言われます。たしかに、彼女の仕事は渋谷系周辺と親和性が高い。例えば、アニメ『ちびまる子ちゃん』のオープニング曲、小山田圭吾が作曲・編曲をし、カヒミ・カリィが歌った「ハミングがきこえる」、アニメ『コジコジ』のエンディング曲、電気グルーヴ「ポケット・カウボーイ」といった一連の主題歌。フリッパーズ・ギター解散を最初にラジオで伝えたというエピソードもあります。なにより『コジコジ』において、人間界に出かけていった半魚鳥が「今日はコーネリアスと電気グルーヴのCD買えたから来たかいあったぜ」と言いながら渋谷のタワレコから帰ってくるひとコマは、当時の「渋谷系」的な雰囲気を強く感じさせます。作中で固有名をさらりと出す感じまで含め、「渋谷系」っぽいと言えるかもしれません。

でも、ここでの「さくらももこさんは音楽が好き」は、渋谷系を好んでいたということでは必ずしもありません。通好みの固有名が登場するとか通好みの選曲がされているとか、そういうことですらありません。僕が「さくらももこさんは、本当に音楽が好きなのだ」と感じるのは、物語と音楽が同じ水準にあると感じるからです。もう少し言うと、物語それ自体も音楽的な喜びとしてあると感じるからです

音楽がもたらすメロディとリズムは、ささいな日常をかけがえのないものに変えてくれます。すぐれた物語もまた、固有のメロディとリズムによって、唯一の世界を作ります。『わたしの好きな歌』に広がっていたユーモラスで切ない世界は、合間に流れる音楽パートの一変奏としてありました。ビートルズの『イエローサブマリン』のような映像作品を意識した本作のこと、実際に、物語と音楽を同じ地平で捉えるような感覚で作られたのではないかと想像します。『ちびまる子ちゃん』をはじめとするさくらももこさんの作品は、人々の日常を彩るポップス(=大衆的なもの)としてありました。

大滝詠一・スーダラ節・踊るポンポコリン

人々の日常を彩るポップスの魅力。さくらももこさんもファンだった大瀧詠一もまた、そのようなポップスの魅力を伝えた人でした。大瀧詠一がアニメ『ちびまる子ちゃん』の主題歌「うれしい予感」を作る数年前、1991年にリリースされた植木等のアルバム『スーダラ伝説』には、「厚家羅漢」名義による大瀧詠一の解説が付されています。

大瀧詠一がクレージーキャッツの熱狂的なファンであることはよく知られています。そんな彼は、「大人になれ!!と逆説的に説いた植木等は、最後の〈子供の教育者〉であったかもしれない」という「スーダラ節」への指摘と対比させるかたちで、「最初の〈大人の教育者である子供〉は〈ちびまる子〉ということだろうか!?」と書いています。この解説で大瀧詠一は、大人から子どもまで歌える曲として、「スーダラ節」と「踊るポンポコリン」を対比的に挙げているのです。まるちゃんが「スーダラ節」の歌詞に感銘を受けて、のちに「踊るポンポコリン」を作詞する、という『ちびまる子ちゃん』のエピソードが思い出されます。

さくらももこさんの表現も大瀧詠一の表現も、ポップスとして、多くの人を魅了し続けていました。大瀧詠一や細野晴臣といった名前を知る以前から(もちろんはっぴいえんどやナイアガラを知る以前から)、「1969年のドラッグ・レース」や「はらいそ」、あるいは「買い物ブギ」などの曲が僕の心にいつのまにか残っていたということは、ポップスのありかたとしてすごく大事なことだと思います。

ふと、『わたしの好きな歌』の記憶とともに「めんこい仔馬」が聴きたくなるということは、ポップスのありかたとして大事なことだと思います。そういえば、大瀧詠一さんが戦後日本のポップスの始まりとしたのは、サトウハチロー作詞の「リンゴの唄」でした。いまから振り返ると僕は、音楽が好きだと自覚する以前から『ちびまる子ちゃん』を通して、ポップスの魅力的なありかたに触れていた気がします

さくらももこさんのご冥福を、心よりお祈りいたします。