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サブカル好き、彼氏いない歴5年、30歳。キラキラした生き方はできないし報われなくても生きていくための「倫理」【冬野梅子『まじめな会社員』】
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  • 2022.03.03
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サブカル好き、彼氏いない歴5年、30歳。キラキラした生き方はできないし報われなくても生きていくための「倫理」【冬野梅子『まじめな会社員』】

神保慶政

映画監督

東京出身、福岡在住。二児の父。秘境専門旅行会社に勤めた後、昆虫少年の成長を描いた長編『僕はもうすぐ十一歳になる。』を監督。国内外で好評を博し、日本映画監督協会新人賞にノミネート。第一子の誕生を機に、福岡に拠点を移してアジア各国へネットワークを広げる。2021年にはベルリン国際映画祭主催の人材育成事業ベルリナーレ・タレンツに参加。企業と連携して子ども映画ワークショップを開催するなど、分野を横断して活動中。最新作はイラン・シンガポールとの合作、5カ国ロケの長編『On the Zero Line』(公開準備中)。
https://y-jimbo.com/

「まじめ」であるがゆえに自分の殻を破らない未婚サブカル女子・あみ子

「未婚女性、彼氏いない歴5年、30歳」

これら3つのキーワードを並べただけで、その女性が親戚・友人・仕事の同僚から日々どんなことを言われ、何に悶々としている可能性があるかは、だいたい察しがつく人も多いのではないかと思います。

結婚は?
孫の顔見せてあげたくない?
子供は?
老後は?
今の仕事で生きていける?
株は? FXは?
キャリアプランは?
5年後の自分 イメージできる?
似たような友達とダラダラつるんでいるのが問題とは思わない?

「働く! 生き地獄コメディ」とキャッチコピーが付けられた、冬野梅子『まじめな会社員』(講談社)の主人公・菊池あみ子は第1巻の序盤で、こういった言葉を投げかけられることを「裁判」と呼びます。彼女はオンラインショップが開けるアプリサービスの問い合わせ回答業務に従事する契約社員で、楽しくないわけではないもののすごく楽しいとは決して言えない、基本的にはマニュアルに沿った仕事を、文句は多々あるものの会社で口には出さず、日々まじめにこなしています。

脳内であれこれ毒を吐いていますが、たとえ小さな達成であっても好きなバンドのライブに参加する、ちょっと良いランチに行くなど自分で自分にご褒美をあげたりしながらバランスをとっていて、恋愛に関しては奥手というわけではなくマッチング・アプリで「相手探し」をしばしばしています。しかし、デートの時間中でもテンプレートに沿ったようなことばかりしか言えず、本音が行方不明な状態です。

一方同じ職場で働く独身の綾ちゃんは、あみ子同様にまじめに働いているのですが、仕事場の外にある自分の世界を大切にするために、仕事は割り切って淡々とこなしています。「ブルックリンにいる友達」の話題をサラッと会話に織り交ぜられ、「やりたいこと」や「追い求める夢」のようなものがあって突き進んでおり、あみ子にとって綾ちゃんは輝いて見えます。

サブカル好きで文学・音楽も嗜む、いわゆる「自意識こじらせ系女子」として描写されるあみ子は、以前からウェブライターとして知っていた今村という男性にある日リアルで会い、Instagramのアカウントを交換することに成功し、一気に青春時代に戻ったような気分になります。しかし、今村と綾ちゃんは恋仲であることが判明し、あみ子の思うようになかなか人生は好転していきません。ここまでが第1巻で、第2巻では作品内でもコロナ禍に突入していくことで周囲の環境が目まぐるしく変化していきます。

現在もマンガ配信サイト「コミックDAYS」で連載中なので「こういう話」と本作をひと括りにはまだできませんが、あみ子はカルチャー業界で自由にきらびやかに生きている人たちに強烈に憧れているにも関わらず、実現のために軽くトライしてみる一歩さえ踏み出せない、その恐れをごまかすように「地味でまじめで堅実な人生こそが良い」という世間で言われる価値観に(不満ながらも)乗っかってきてしまったからこそ自分の殻を破りませんでした。

だけれど今からでも新しい自分になりたいと七転び八起きの苦闘を始める、2020年代日本を生きる30代未婚の女性契約社員の物語がいまのところ展開されています。

資本主義の重圧を回避する「私+否定形」という倫理

「自分の殻を破るに至らない」とあみ子について紹介したものの、人間は皆自分の殻を破る必要はあるのかと問われれば、答えはNOでしょう。でも、若い内や働き盛りの世代においては、何かと自分の殻を破ることが必要とされます。そもそも、それはなぜなのでしょうか。

端的に言うならば、それは日本社会が資本主義を中心にまわっているからだと思います。マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)という20世紀初頭の古典では、「勤勉に働くことが神の意志に最も適う」というキリスト教・プロテスタント派の倫理が、資本主義の生まれるきっかけとなったことが説かれていますが、「神の意志に適う」を今風に翻訳すると「殻を破る」になると私は考えます。

祈りを重ねれば必ず報われるならば、人生のアップ・ダウンや社会のいざこざはもっと減るのかもしれません。しかし、祈っても報われない、勤勉に働いても報われないことが現実には往々にしてあります。本作で神の代わりにあみ子の人生を操るのは、自分の「心の声」です。

あみ子は他人が自分をどう見ているかをとても気にしていて、読書会で手を挙げるか挙げないかや終了後に退席するタイミングを巡って、ひたすら自分自身に対する投げかけを脳内に鳴り響かせています。そして、まじめに着実な選択を重ねていき、神の万能性が溶け込んだかのように「他人からは大丈夫に見えてしまう」オーラをまといます。自分でそのオーラを吹き払うことは至難の業であることをあみ子自身はあまり意識しておらず、図らずも「付き合うとか興味ない系」などと呼ばれて、コロナ禍が訪れようともまじめに自粛し、人からは大丈夫に見え続けます。

とても細かいのですが、第2巻の表紙にも印刷されている「ビデオチャットをする時にPCをちょうどいい高さにするために、靴が入っていたダンボールの上にPCを乗せている」という描写があります。このディテールから私は、あみ子が背負い込んでいる日々の「心の声」の片鱗を感じました。

パソコンの位置を上げるスタンドを買えば良いところですが、あみ子はおそらくそこまでパソコン周辺機器にこだわりがないし、「そんなものを買うなら〇〇に使いたい」という何か別の対象があるのかもしれません。でも、「いつメン(いつものメンバー)」とつるむことに憧れるあみ子は、友達と話したり新たな出会いに期待したり、「新しい生活様式」なるものにまじめに対処するため、靴の箱を取り出してきたのだと想像しました(ちなみにビデオチャット前に台を靴のダンボールに決める経緯は描かれておらず、省略のしかたが絶妙です)。

全ての物事に本質があるとは限らないですし、ビジョンを持たない働き方もありますし、達成感がない仕事というのもあります。でも、ビジネス誌や先進的トピックを据えたトークイベントなどで取り沙汰されるのは、だいたいにおいて「本質を探索する」「明確なビジョンを持つ」「大小さまざまな達成を重ねる」というような話題です。これらは「意識高い系」と揶揄されることもあります。

意識の高い人が「〜すべきだ」「〜を変えなければいけない」という思考回路で動くのに対して、あみ子は「私のような地味人間がすべきではない」「とりえのない私がやっても良い結果にはならない」というような「私+否定形」の思考回路を中心に物事を考えます。この思考回路は「諦め」ではなく、あみ子が資本主義社会で生き抜くために身に付けた「倫理」です。誰もサポート業務に就きたがらなければアプリのユーザーは困ってしまいますし、この倫理がもし否定されてしまうとしたら現代日本はガタガタと崩れ落ちていくと思いますが、166万PVという本作が達成した閲覧数は、多くの熱烈な後援者たちの存在を明らかにしています。

次ページ:好きなことを「仕事」にし続けられるだろうか

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