CULTURE | 2019/09/21

人生という名の冒険と神話【連載】浮上せよとメディアは言う〜編集長コラム(4)

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12の神話の要素
20世紀の神話学者、ジョーゼフ・...

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12の神話の要素

20世紀の神話学者、ジョーゼフ・キャンベルが書いた『神話の力』という本をご存知だろうか?

世界中の英雄譚や伝説にはある一定の法則があるという内容で、小説や脚本を書く人なら多くの人が読んでいる本だ。

あの村上春樹もこの本におそらく大きな影響を受けて、小説の構造に取り入れていると噂されている。

この本にインスパイアされ、映画や小説のシナリオテクニックに応用したのがクリストファー・ボグラーの書いた『神話の法則』という本だ。

ボグラーは古今東西の神話の中には、人間が体験する物語の12のステージ、8パターンのキャラクターという雛形がすべてつまっていて、それを類型化できると語っている。

村上春樹の他にも、キャンベルの本に影響を受けたと思われるのが、映画監督のジョージ・ルーカスだ。彼の代表作『スター・ウォーズ』シリーズは、一人の若者が「出立」「通過儀礼」「帰還」という3つの構造を経ながら成長する物語を初期3部作で見事に描いている。ボグラーの本には「強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術」という副題がついているくらいだから、ハリウッドではお馴染みなのだろう。

何より、ご存知かもしれないがが、『スター・ウォーズ』のあの有名なイントロは、宇宙を舞台にした未来のお話のはずが、「遠い昔、はるか銀河系の彼方で……」という太古の神話風の文章で始まる。

他にも『ロード・オブ・ザ・リング』や『マッドマックス』、『マトリックス』とか、そりゃもう、キャンベルか、それをアレンジしたボグラーの影響を受けていると思われる。というか、面白い話を創ろうとするとボグラーの理論に自然と辿り着くのかもしれない。

おそらく日本のマンガやアニメにそういった流れを転用した作品も多いと思う。

そういえば、『ドラゴンクエスト』でも『ファイナルファンタジー』も、神話風の物語だ。

その構造というのは具体的に言うと、ざっとこんな感じ。

1、 日常世界
2、 冒険への誘い
3、 冒険の拒否
4、 賢者との出会い
5、 新しい世界への入り口
6、 試練、仲間、敵の登場
7、 危険な場所への接近
8、最大の試練
9、報酬
10、帰路
11、復活
12、 宝を持ち帰っての帰還

という流れだ。

「あの映画やあのマンガも確かにそうだ!」

と思い当たる節がないだろうか?

映画や小説で、構成が強い、というのは、主人公が上記のような試練を経て、成長するからだ。だから、ラストで鑑賞者や読者は感情移入をして一緒に旅をしたり、成長したりしたような気分が得られるというわけだ。

今、自分は神話のどこに立っているんだろう?

そこで、僕はこんなことをよく考える。

自分が自分の一生という物語の中だと、この12個の項目でどの辺にいるんだろうか? と。

生きるうえで避けられない障害(別離、裏切り、喪失など)は多々あるが、キャンベルやボグラーの本に出会って以来、「人生ってそういうものなんだよな〜」と何となく俯瞰するもう一人の自分がいるような気持ちになった。

物語の構造というのが理解できていれば、人というのは必ず<試練>に出会い、一度瀕死になって、やがて<帰還>すると思うことができるんじゃないか。やけになって、悲劇的な結末は避けられるのかもしれないし、悲嘆に暮れることが少し楽になるかもしれない。

なぜなら、もういっぱいいっぱいに囚われている目の前の困難の先には「宝の報酬」があるかもしれないという期待がもてるから。

それは自分の成長だったり、経済的な成功だったり色々だとは思う。でも、これは自己暗示に近いが、物語の主人公は必ず<還ってくる>。

僕は、8年前、ノマド・トーキョーという家を無くして東京放浪するというプロジェクトをやり、数年後、自著としてようやく出版することができたが、この間は、人生で心身ともに最もタフでヘヴィな時期だった。

ノマド・トーキョー中は東日本大震災があった。その直後に、親しい人との死別と離別が本当に隔月誌のように訪れもした。実は一度鬱状態に陥り、一週間外に出れなかった時期もあった。当時は「やっちまった!」とか「なんでこんなに災難が連続するんだ」と嘆いたものだ。

でも、今では、無事であった自分の身のことだけは「あーそんなことあったなー!」とすべて終わって笑って話せる。人が生きていくうえで、誰もが通過することでもあるし、それは前に進むための<イニシエーション>なんだ、そう言い聞かせる自分がいつもいた。

なぜなら、人の人生も、人生という物語も上がって下がり、下がって上がるからだ。

世界中の神話や物語にそのことが書かれてある。

主人公が穴に落ちる。

穴から出てくるか、穴に落ちたままか。ものすごく乱暴に省略すると物語とはそういうもの。

何かを失って、そのことで凹む。

でも、その凹みに本人が思ってもみなかったことが、パカッとハマる。

僕はクールな人間ではない。トークショーをやった時など、稀に、お客さんから、「元からエリートのように思えた」、「成功者に見える」、と言われることがあってものすごく驚くことがある。

表面上は取り繕ってるだけで、僕もみんなと同じように懊悩し、七転八倒しながら、匍匐前進のように這いながら、今に至っている。

そして、寺山修司的にいうと、「人生曇ったり降ったり」、そして、たまに晴れたり。

人生という長期戦の何処かで「晴天」が来て、それこそが我が人生、とはまったく思ってはいない。

人生のほとんどは、曇りか時にどしゃ降りで、その時を、不幸と思うと、人生の大半が不幸だと思い込んでしまうと思っている。どしゃ降りの中の軍の進軍や撤退こそが人生の時間の多くだと感じている。有能な指揮官は撤退戦にこそ、その能力を発揮するとは昔から言われていることだ。

だから、人生の撤退戦、それさえも楽しんだ方がいいとさえ思う。ま、当事者であるときはものすごく大変な状況なんですが。

僕らの人生も古代の神話となんら変わらない。馬や戦争や狩りが出てこないけれど、それは仕事や恋愛になっているだけかもしれない。表面上は、戦争も騒乱も起こってなくても、

神話のようなストーリーの展開がなぜ繰り返し繰り返し小説や舞台、映画やマンガで登場するか。人間という生き物は、どの部族、どの国民でも、昔からあまり変わってない。僕は、人間の内面には、「自分だけの神話」がいつもあると思っている。

神話の研究というのはとても面白いので、興味があったら、キャンベルやボグラーの本を読んでみてほしい。

ただし、訳がひどいので読むのは結構しんどいですよ(笑)。