ITEM | 2019/07/08

7万円で可能な、一番コスパのいい自己投資とは?「他者を想ったスーツ選び」の秘訣【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

大切なのは「どれが似合うか」より「なぜ着るか」

井本拓海『世界で闘うためのスーツ戦略』(星海社)は、スーツを愛しすぎるがゆえに、通勤途中で見る人々の着こなしに居ても立ってもいられなくなった著者が、「正しい知見」を広めるべく一念発起して執筆した一冊だ。

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1983年生まれで、国際協力事業に従事する中で25歳からアジア・中東・アフリカ・ヨーロッパなど、世界各地での業務・駐在を経験した著者は一貫して「なぜそのスーツを着るのか」と考え続けることの大切さを説いている。

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あっさりと「僕はスーツにはお金をかけない主義だ。だから、すべてユニクロで調達している」と言うほうが、その人の生活スタイルが垣間見られるし、一本筋が通っていると思う。トレンドに踊らされて、ブランドモノを身につけるよりはずっと良い。(P24)

筆者は服にあまりこだわりがないが、服に詳しい知人から「こだわりがないと自称する人は、どこかに潜在的なこだわりがある」と聞いたことがある。実際、私は普段からバンドTシャツ(しかもローリング・ストーンズなどメジャーなものではなく、ジャーマン・プログレッシブ・ロックや現代音楽などややマニアックなもの)をよく着ている。というのも、「そのTシャツいいですね」と風変わりな趣味を持った人に声をかけられて、その後のコミュニケーションに発展することが時々あるからだ。色・質感・デザインにはあまり興味がないが、このように目的がはっきりしている点はたしかに「こだわり」と言えるのかもしれない。

著者は、「いいスーツを着ている」という評価ではなく、ビジネスパートナーや仕事を共にする人々から信頼を得ることを目的にスーツを選んでいる。ブランドものだからということで、自分の中で評価基準も設けずにスーツを着ているようでは、ビジネスもうまくいかないというのが著者の主張だ。

クールビズはルール違反?「場の常識」を懐疑的に検証する

本書を読んで「こんな細かいところまでスーツについて考えたことがなかった」と驚く方は多いはずだ。たとえば、フラップ(ジャケットの腰部分についているポケットのカバーのことで、この名前自体筆者は初めて知った)を室内では隠しておかないと「室内のゴミが入らないようにしている」と相手に映って失礼だし、そもそもポケットという利便性のあるものは、便利さと引き換えにスーツの正当性を失わせてしまうのだという。

映画『プラダを着た悪魔』ではイモっぽいアン・ハサウェイが段々とニューヨークに染まって服装も大きく変わっていく姿が描かれているが、服は着ている人の考えや気分をおおいに反映する。他にも、建築の設計図について話しているかのような徹底的なこだわりが本書には散りばめられている。

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細かく指定できる場合はプラス1.5cm、最低でもプラス0.7cmで調整する。直立した際に、手持ちの腕時計を実際に手首にはめて、腕時計のケースが隠れるように。そうすれば、立ち姿では左右対称にジャケットからシャツが覗く。左右対称であることは、安心感につながる。(P74)

自由というのは制限・枠組み・慣習があるからこそ自由たり得るという面があるが、スーツの慣習としては、2005年に環境省が主導して近年では当たり前になりつつある「クールビズ」がある。5月か6月から始める企業が多いとのことで、絶賛クールビズ中の方も多いかもしれないが、著者はその流れを一刀両断する。

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半袖のシャツがビジネスシーンでも使えるとか、半袖シャツにネクタイを締めれば礼を欠かさないとされているのは日本“だけ”の常識であって、世界的に見ればそんなドレスコードは存在しない。着用者の快・不快だけを基準にして、本来必要なものを省いてしまっている。明らかなルール違反で、礼を欠いている。(P133-134)

本書にはこうした断言的な物言いがいくらかあるものの、それはあくまで著者の視点だ。著者は世界各国を股にかけるビジネスマンなので、そうしたビジネスシーンを勘案して「礼を欠いている」と書いている。たとえば、日本の高温多湿な炎天下で汗をダラダラさせながらも、無理してスーツを着て倒れそうになっている人を目の前にしたら、「クールビズすればいいのに」と思うはずだ。ここでも大事なのは「なぜ」という問いで、ただ規則に従うばかりではなく、着用者と接する人の両方が快くコミュニケーションできる、その場その場での最適な服装が模索されるべきだというのが著者の真意であるはずだ。

他者のために7万円のスーツに投資すると、自分のためになる

ビジネスウェアを巡って、SNS上では「クールビズなのにクールビズをしない人」について、「クールビズ中だけれども、結局ジャケットは持ち歩かなければいけない」など、様々な状況報告が散見される。また、女性が仕事場でパンプスやヒールのある靴の着用を強制する慣習に疑問を唱える「#KuToo」キャンペーンが話題となっている。

著者は「とりあえずこれを持っておけば大丈夫だろう」というスタンスではなく、自分が身につけるものについてもう一歩踏み込んで考えることを推奨している。たしかに、「衣食住」という言葉で「食」と「住」と並列されているほど「衣(身にまとうもの)」は人間にとって重要なもので、それについて一歩立ち止まって深く考えることは、「生きること」を顧みることにつながる。

「人間」という言葉が示す通り、人と人の間で衣食住は営まれる。著者が自ら展開してきた持論を全て退けた上で「最も美しい」と評しているのは、他者とのつながりが表れた服のチョイスである。

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最も美しいのは、大切な人達から贈り物をされ、それを長く使用すること。この姿勢を保っている人は、ここでの僕の記述は無視されたい。たとえ1つのブランドだろうが、アイコニックなデザインだろうが、人と人との物語に勝る選択理由はないのだから。(P146)

最後にすこしだけ実践的な情報をご紹介しておこう。著者が提唱するスタイルはスーツ・シャツ・ネクタイ・靴・靴下を全て含めて約7万円で実現でき、おすすめスーツは3万円台の濃紺・ストライプのものだという(理由は本書を手にとってじっくり確認していただければと思う)。

本書には、著者がモデルとなったコーディネート写真も多数載っていて、値段やメーカーの記載も具体的にされている。メーカーはTHE SUIT COMPANYや鎌倉シャツなど、駅ビルなどでもみつけやすいチェーン店のものから、意外にもメルカリで買った商品も含まれている。日本用、海外用、オンとオフの着回しが掲載されており、約7万円という決して安いとはいえない投資(しかし著者によると「最もコスパの良い投資」)を実行に移させてくれるはずだ。

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周囲の人から見た自分に対する評価は、人によって異なる。いわば、自分のコントロールが効かない範囲だ。
一方で、敬意の表現は、自分が主体となって確認できることだ。いわば、自分のコントロールが効く部分だ。(P244)

ついつい自分本位に考えてしまうファッションを、他者に敬意を払うものとする姿勢を教えてくれる本書は、おろしたてのスーツのように、自分の「これから」に考えを巡らせてくれるフレッシュな一冊だ。


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