CULTURE | 2024/01/31

Spotifyリスナー230万人。Lampの染谷大陽が語る 「海外進出20年史」と「音楽を作って生きていく」ということ

Lampの3人。写真左から、染谷大陽(ギター/作曲、他)、榊原香保里(ボーカル/作詞、他)、永井祐介(ボーカル/作曲、他)

聞き手・構成:神保勇揮(FINDERS編集部)

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2000年に結成された3人組バンド、Lamp。これまでに9枚のアルバムをリリースしており、ブラジル音楽、そしてはっぴいえんど以降の国内ロック・ポップス史からの影響を大きく感じさせつつも、他の追随を許さないほど作り込まれたそのサウンドは、日本では主にコアな音楽好きから支持されてきた。

一方、海外に目を向けると2010年代中ごろからアメリカ(英語圏)で局地的に話題となり、コロナ禍を経た2020年代にはTikTokでも彼らの楽曲を使った投稿が爆発的に増加。併せてYouTubeやSpotifyでの再生数も急上昇し、Spotifyの月間リスナー数は約230万人(2024年1月現在)を獲得している。

音楽メディアやアワードで取り上げられたわけでもなく、タイアップも一切なし、ライブが話題になったというわけでもなく、マーケティングも何もしていないのにリスナー数が右肩上がりに増えていくという現象は、当人たちからすれば戸惑いもあっただろう。

今回はバンドで主にギター、作曲を手掛ける染谷大陽氏に、バンドの「海外進出」にまつわる歴史、23年10月にリリースした新作アルバム『一夜のペーソス』の話、そして現状についてどう考えているのか、たっぷり話をうかがった。

Lampの「海外進出」は音楽そのものの広がり

Lamp海外ヒットの先鞭をつけた楽曲「A都市の秋」

―― 今回、過去のインタビューや染谷さんのブログなどを読み返したのですが、2020年掲載の英語インタビュー記事で「Lampが韓国での初ライブをやった2006年の時点で、東京でのライブよりチケット売上枚数が多かった」と発言されていたのが興味深かったです。

染谷:韓国ではPastel Musicという現地のレーベルが、2005年辺りから僕らのタイトルは全て韓国盤CDを作る形でやってくれていました。ライブもそのレーベルが2006年、08年、10年と何度かやっていました。特に、2006年に初めて韓国に行って、ワンマンライブに来てくれた人たちを目の前にした時に感動しました。

―― 海外リスナーについては、2014年のブログ記事でも「インターネットで少し検索すると、僕らの初期の作品に1000人以上のユーザーが星5段階評価を付けている中国語のサイトが見つかります」と書かれていましたね。

染谷:中国ではCDリリースしておらず、まだストリーミングサービスも始まっていない時代(Apple Musicのサービス開始が2015年)ですから、おそらく違法アップロードされた音源が聴かれていたということだと思うんですね。このブログ記事は不安と怒りの気持ちで書いたと記憶しています。もっと若かった頃は、自分たちの音楽を聴いてもらえることの喜びの方が上回っていて、「無料でもいいから聴いてくれ」なんて思っていたんですけどね。

―― そうした中で、最初の「海外ヒットの兆し」が、2015年に英語圏の掲示板サイトRedditで「A都市の秋」が紹介されたことになるわけですが、この頃までの間に海外ファンの反応というのは染谷さんの元に届いていたのでしょうか。

染谷:2000年代にはインディ系のミュージシャンがMySpaceをよく使っていましたよね。僕らの場合、そこに海外の人からのコメントやメッセージも結構届いていたんです。今の規模感とは全く違いますけど、その頃から国や地域関係なく世界中の国から平たく聴かれているという印象はありました。

―― Lampは最近まで公式サイトの掲示板が機能していて(※現在はサイトリニューアルに伴い廃止)、世界中のファンが日本語への翻訳を頑張りつつ感想や質問を書き込んでおり、染谷さんが回答を続けていたのが印象的です。

染谷:最近こうして海外で人気が出たことに対して取材を受けることが増えたのですが、実際自分たちは海外進出に対して能動的な動きは何もしてきていないんです。流れに身を任せてやってきました。言えることは、自分たちは録音物が大好きで、そこにものすごく思い籠めて、言ってみればそれだけをやり続けてきて、音楽そのものに宿っているパワーがすごく強いんだと思います。Lampの海外進出は音楽そのものが自ら広がっていったという、僕にとってはそんな感覚です。

自主レーベル運営と2017年アジアツアー

―― バンド運営の全てを自分たちで決めることになった、2014年の自主レーベル「Botanical House」立ち上げはどのような経緯で行われたのでしょうか。

染谷:自主レーベルを立ち上げた理由にはネガティブな理由とポジティブな理由、両方あります。

まずネガティブな理由としては、状況的に自分たちでやらざるを得なかったというのがあります。デビュー時からずっとMOTEL BLEUというインディレーベルからリリースしていて、僕らとしてもレーベルオーナーの佐久間さんとずっと一緒に続けたいと思って活動していたのですが、特に東日本大震災後、彼と連絡がつかないことが増えていき、音信不通状態になり、断念したということがありました。おそらくですが、僕の要求や要望が多すぎてきつくなっていたのもあったかと思いますし、佐久間さんが福島県出身で、実家の方の震災被害が結構あったと聞いています。

それで今後どうしようという時に拾ってくれたのがメジャーレーベルのポリスターで、アルバム『ゆめ』(2014年リリース)はここから出しています。当初、専属契約の提案もいただいたんですが、ミーティングを重ねていく内に色々な事が息苦しく感じてしまい、アルバム完成前にワンショット契約に変えてもらうようにお願いしました。特に僕がなんですけど、「大人の事情的なものが飲み込めない」というのが大きかったです。そうした流れで立ち上げたのがBotanical Houseです。

ポジティブな理由としては、完全に自由であること、そして、新川忠さんやKidsaredeadといった「なんでこの人たちは、こんなに素晴らしい作品を正式にリリースしていないんだろう、できていないんだろう」と感じるアーティストの作品リリースにも興味があってやってみたいと思ったことです。

―― 2015年にKidsaredeadの日本ツアーを企画していますが、染谷さんは当時「このバンドを始めて以来、初めて自分たちで会場をブッキングし、ライブを開催しました」と書かれていました。それまでは全部誰かにやってもらっていたということですか。

染谷:そうですね。MOTEL BLEU時代は佐久間さんがやってくれていましたし、『ゆめ』の時はポリスターがやってくれていました。

―― それも含めてコントロールできるようにしたかったということでしょうか?

染谷:ライブに関しては特にそういうわけでもなく。インディ独立当時、バンド運営の資金が今のように余裕があったわけではなかったので、誰かを雇ったり、人に任せたりという選択が取りにくかったという部分もあります。なので、コントロールできるようにしたかったというよりは自然とそうなっていった感じですね。

―― そこから約1年後となる2015年の冬に、アルバム『彼女の時計』(2018年リリース)のレコーディングを開始したいとブログに書かれているのですが、その時は「制作資金も、前作からクオリティーを落とす事無く出来そうなくらいはなんとか溜まってきておりまして、これから動いていこうと考えています」と書かれていました。

染谷:そうでしたっけ(笑)。

―― 実際にはその半年後ぐらいに「やっぱり足りなかったのでツアーを組みます」と2016年の国内ツアー、17年の国内外ツアーにつながっていくわけですが、当時の実情はどうだったのでしょうか?

染谷:『彼女の時計』は自分たちだけで制作する最初のアルバムだったので、内容だけではなくて金銭的にもコケられないという意識が強く、他のアルバムと比べて少ない予算で作っていたんです。ちょうど80年代のブラジル音楽にはまっていた時期で、ストリングスも生楽器じゃなくてシンセを使いたいと思っていたりもして、経費は他の作品に比べると比較的少なく済みました。

―― 制作資金はCDや配信、ライブチケットや物販の売上だけでまかなえる状態でしたか?

染谷:当時はメンバー3人とも音楽とは別の仕事をしてましたから、生活費は全部そっちでまかなうという意識でしたし。バンドで得た資金はすべて活動費としてプールしていて、バンドにそれなりのお金はあったはずです。

―― 2017年からは海外でのライブが増えていきます。2010年代中盤ごろから日本と東南アジア圏のインディバンドが互いの国に行き来することが珍しくなくなりましたが、Lampはどのような経緯で決まっていったのでしょうか。

染谷:中国の場合、個人でライブのイベンターをやっている中国人の方がバンドにメールをくれて、僕らより大分若い女性なんですけど、しばらくやり取りした後に日本に来るというので渋谷で会ったんです。で、人となりもわかったし呼んでくれるならやろうと。香港はその彼女の繋がりで行けることになり、台湾の場合は以前から僕らの台湾でのライブに興味を持ってくれていた人たちに話を持ち込んだと記憶しています。そういう流れで東アジアのワンマンツアーをやりました。その後に韓国からもライブの誘いがあり、12月に実現しています。

2017年、上海でのライブの模様

―― 海外のお客さんのライブのノリは、日本と違ったりするものなのでしょうか。

染谷:それぞれ全然違いますね。僕らから見て一番真面目に静かに聴くのが日本の、特に東京のリスナーで、その感覚に少し近いのがソウルのお客さんです。でも東京と比べるとソウルの方がだいぶ熱いですね。

台湾はもっと歓迎具合が熱狂的というか、メンバーに対してかけ声が入ってくる感じ、一方中国は良くも悪くも軽いノリでライブに行く文化があるんだなと感じました。出演するバンド自体にあまり興味がない人も結構いる感じで、「とりあえず何か音楽を聞きに来た」という人もいたりするというか。

―― 「とりあえず何か音楽を聞きに来た」は日本でもあると思いますが、もう少しその層も含めて盛り上げまくるタイプのアーティストは他にいるんじゃとも思ってしまいます(笑)。

染谷:そうしたある種のライト層みたいな人が僕らのライブに来るのも、「日本から外タレ来るらしいよ」ぐらいの感じで、ライブに行くことがちょっとオシャレなレジャーのひとつになっているということでもあって。だからこそ中国は他の国よりも演奏する会場が一回り大きかったりもするんですよね。

結成18年目、ようやく音楽だけで食べていけるように

―― 2018年には中国、香港、台湾、韓国だけでなく、インドネシアのジャカルタでもライブを行っています。染谷さんもXでポストしていましたが、お客さんが合唱していたのが結構衝撃でした。

合唱が巻き起こるライブの模様。日本人としても「ずっとライブを待ち望んでいた、大好きな海外バンドの初来日公演」なら同様に合唱したくなる気持ちはわかるはず

染谷:2018年は、春にアルバム『彼女の時計』をリリースしたので、そのリリースツアーとして「日本だけでなく海外でもライブをやった方が良い」と永井が言っていて、自分たちの方から能動的に動いてツアーを実現しました。2017年のツアーが上手くいったので、実現できたかなと思います。そんな中、インドネシアからも誘いが来て、行くことになりました。

インドネシアは僕らの音楽が広がりやすい土壌があって、柔らかい響きを持った音楽が好まれる傾向を感じました。平日のライブだったんですがかなりのお客さんが来てくれましたし、熱狂的ですごいと感じました。普段あまりライブを楽しめない僕ですらステージで楽しくなりましたから(笑)。みんなYouTubeで歌詞も覚えて来たみたいで、色んな意味でびっくりしました。

―― このツアーが終わった2018年11月には「20代の頃から今までずっと続けてきたバイトを今年いっぱいで辞めて、来年からは音楽だけでやっていきたいなと考えています」というブログ記事を書いています。

染谷:バイトを辞める=収入が音楽のみになる、ということなので、生活が苦しい状況になった時に音楽を仕事的にしないようにできるかなという不安な気持ちがありました。お金の為に音楽をやりたくなかったので。それで長い間踏み切れないところが大きかったんです。「食べていける/いけない」でいうともっと早い時期から音楽だけで食べていけたかもしれなかったんですが、そうすることで音楽を犠牲にしたくないという気持ちを持ち続けていました。

―― この時の音楽収入の柱は何だったんでしょうか?

染谷:ライブ会場で販売していたCDやコード譜ですね。それと定期的な収入はオンラインショップの物販だったと思います。

―― 2018年12月には、染谷さんがSpotifyでの国・都市別のリスナーデータについてブログで言及していて、当時の月間リスナー7万人のうち、北米の10〜20代に結構聴かれていたことがわかります。

染谷:ここから数年かけて、先ほどの独立後の気持ちが不安定な時期を脱していくんですが、それはサブスク解禁後、僕らの過去の作品が評価されていく中で「自分たちがやってきたことは間違いじゃなかった」ということを改めて実感できたことが大きかったです。自分たちはずっと音楽の内容だけ考えていればいい。そのスタンスが正解で、そこに集中しろといわれているようなものだなと、背中を後押しされた様な感じでした。

言葉が通じない海外のリスナーに音楽を届けるということ

2018年、ジャカルタでのライブの模様

―― そうしてコロナ禍を経て、2021年にはTikTokで『ランプ幻想』の収録曲「ゆめうつつ」が使用されることでストリーミングの再生数も急激に伸び、今に至る「Lampの海外ヒット」の先鞭をつけることになりました。変な言い方ですが、以降は結構金銭面でも余裕が出てきたのではないでしょうか。

染谷:一昨年以降、ストリーミングサービスからの分配だけで十分な収入が得られるようになりました。

一方、CDが売れないと言われて久しいですが、ありがたいことに僕たちのCDって今かなり動いていて。自分たちのオンラインストアなんかでもそれを感じるんですが、この前明細で報告を受けた『ランプ幻想』の出庫数が新譜並みの動きをしていてびっくりしました。このアルバムはリクープするのに10年掛かったんですよね。リクープ後に印税が発生する契約をしていて、印税を初めてもらえたのが2018年だったと記憶しています。

実際海外の人がよく訪れるというタワーレコード渋谷店では、僕らのCDが昨年あたりからずっと面出しされているみたいです。そういうこともあり、年明けに300枚が追加納品された『恋人へ』のCDも1カ月足らずで更に追加プレスをかけることになって。これ、昨年6月に4000枚作ったんですが、ほどなくして全部売れそうなんです。再発盤ではありますが、20年前の作品とは思えないペースで動いています。

―― デジタル配信とCDとを比べるとどうですか?ざっくりとした肌感覚として、ストリーミングで月に何百万再生ぐらいされると生活が成り立つのかも気になります。

染谷:売上の構成比でいうと、比べ物にならないくらい配信が大きいです。感覚的には80~90%くらいが配信になってます。

前提として再生回数も大事ですが、レコード会社やレーベルとの契約条件の料率の部分も重要だと思います。よくサブスクでのアーティストの収入が少ないと話題になったりしますが、メジャーだとここの数字がかなり小さいんだと思います。

僕らはそういう意味ではラッキーだったというか、iTunesが出てきて音楽のダウンロード販売自体が始まったばかりの時代に契約をしていたんです。売上構成のメインはCDだったので、契約上、配信のアーティストの取り分(分配率)が僕の知る限りでは一般的に50%と、そこそこ大きかったんです。その料率が今のサブスクの印税計算にもそのまま適用されているんです。会社によってはサブスク登場後に改めて契約し直したり、料率の見直しを求められたりする場合もありますが。当時、会社側としては、デジタルはそんなに大きな収入になっていなかった為、そこまで気にかけてなかったという時代背景があるかもしれません。

―― 「Lampが海外で聴かれるようになった経緯」の話をうかがっていても、ゼロ年代の違法アップロードの話もあり、かつ当時から既に韓国でライブをやっていたわけですよね。そういう20年がかりの話なんだという。

染谷:敢えて僕が「海外で売れるには」を自分たちの体験から語るとすると、まず「海外から反応がある/ない」の前に、音楽を作る段階で「意識が遠くに向いているか」という事が重要だと思います。僕の場合、自分が生まれるよりも前の時代の海外の音楽に感化されて音楽をやってきて、言葉の前に音楽があると思っている人間なので。だからLampが海外の人にも受け入れられやすかったと考えています。

もう一つが「流行りなんか気にするな」ということです。そもそも流行りを追っている時点で遅れているんですよね。そして流行りを追うことで他との差異も生まれにくくなる。だったら自分が好きなことや感覚的に良いと思うことを追求した方が、自分自身の納得含め最終的には良いと僕は思います。音楽だけでなく、写真、映像など僕らが出しているものに、どこか引っ掛かるような(良い意味での)違和感があったんだと思います。

新作『一夜のペーソス』と「一瞬の夢」としての人生

―― ここまでのお話を踏まえて、新作『一夜のペーソス』についてうかがっていきたいです。

染谷:今の時代はインターネットのおかげで各国お互いの文化の距離がぐっと縮まり、双方アクセスが容易になりましたし、リリース形態も世界同時配信が当たり前となっています。そうなったことによって、アーティスト本人が、国内・海外の両方を意識してアルバムタイトルを付けるという時代になったと感じているんです。

今回、そういった状況を踏まえて、日本語と英語の両方のアルバムタイトルを知ってもらった時に、その意味も含め、何か感じられるものにしたら面白いと考えて付けました。これは、プロデュース作であり、アルバムタイトルも付けさせてもらったNegiccoのKaedeさんのアルバム(邦題『秋の惑星、ハートはナイトブルー。』、洋題『Stardust in Blue』/2020年)でも、同じような方法論をとっています。

―― 今回のアルバムは、ほとんどの楽曲が3分台で揃っていること、また前半10曲がこれまでLampサウンドにはなかった要素のある染谷さん曲が並び、後半10曲は永井さんによる「いつものLamp」な曲が増えてくる2枚組的な分かれ方をしているようにも感じられ、さらに歌詞を読むと春夏秋冬の流れ、あるいは夕方、夜ぐらいから深夜、明け方の一晩の流れを表現しているようにも思えて、何かしらのコンセプト性がありそうだと感じました。

染谷:コンセプトはあると言えばある、ないと言えばない、といった感じです。僕らの場合、どの作品もそうなんですが、毎回明確なコンセプトがあるわけではなく、歌詞や曲を持ち寄っていく過程で固まっていきます。

コンセプトの他にミックスなんかもそうですが、音楽って繰り返し楽しんでもらうものなので、ガチガチに決めちゃったり、雑味を無くしてしまったり、綺麗に整えてしまうとつまらないものになりがちなので、余白があること、理解に余白を残すことはとても大切だと考えてます。その方が作品に奥行きを感じられると思うんです。意図が何もないわけではないけれど、全部はそうなっていない、パズルの未完成部分みたいなところは聴いた人が好きに受け留めてくれればいいというか。

―― 確かにサウンドも歌詞も、詰め込みすぎていないというか、「ここはこうかもしれないな」と自然に考えさせてくれる余白があると感じられました。

染谷:音楽の内容だけでなく、写真とか映像、バンドの活動自体もそうですが、基本的に僕は人に理解されたくないんですよね。理解されたらお終いというか。これまでも理解されないことをやるのがとても重要だと僕は考えて活動してきました。だから僕らを追ってくれている人たちはいつもどこかしら不満かもしれません(笑)。

サブスク全盛の時代に20曲75分のアルバムを出すというのもなかなか意味分からないじゃないですか。昔からそういうのが活動の原動力の一つになっていました。そこは自分でも自分が理解できないですけど(笑)。

―― Lampのアルバムは『ゆめ』以降、4〜5年に1枚のペースでリリースされているのでファンは毎回首を長くして待っているのですが、このぐらいの年月があるとメンバーの生活環境も変わったりもしますよね。

染谷:そうですね。今回も大変な難産で、永井が2年ぐらい全く曲を持ってこなくなってきちゃったり、レコーディングの日までに全く練習してないことが発覚したりとか、ベーシックレコーディング後も半年くらい僕が言うまでトラックに手を付けてなかったり。。。散々でした。

僕個人についても、この間に子どもが生まれましたし、自分自身が突発性難聴のようになって作業を続けるのが難しくなったり、余命宣告された母親の介護と離別を経験したり、色々あって。あと、3人で会社を作りましたし。そんなこんなで、これだけの時間が掛かってしまいました。

母親を介護していたある夜明けに「一生ってどうだった?」と聞いたんですね。そうしたら、「一瞬の夢だった」ということを言っていて。僕もLampを始めるよりもずっと昔から「人生って死ぬ前に振り返った時に、きっと一瞬の夢のようだったと感じるだろうな」ということを思っていて、母親も同じことを言ったので、そこでなんか「ガーン」となって。その「一瞬の人生」を僕は「一晩」の中に閉じ込めようと思って。夕方が人生の始まりで、夜明けが人生の終わりという。そういうコンセプトでアルバムタイトルを付けました。

―― 今作の最終曲「未だ見ぬ夜明け」の歌詞は「遙かな宇宙の彼方 君の時間が刻まれていた」という2行だけですが、「確かな職人技をずっと発揮してきたLampの歴史があり、遂にワールドワイドに聴かれるようになったな…」と解釈して感動していたんですけど、そうした背景を聞くとより感慨が増しました。

染谷:前作のタイトル『彼女の時計』もその曲とテーマは同じで、「時間」を意識しているんですけど、自分が知っている人の時間が、自分の知らないところで確かに流れ続けているんだよな…みたいな感覚が頭の中にずっとあるんですよ。

―― 今回は「深夜便」の歌詞に過去のLamp楽曲タイトルがいくつも散りばめられていて、そういう遊び心も楽しめました。

染谷:Kaedeさんのアルバムを一緒にプロデュースしたウワノソラの角谷君が以前、「Lampの歌詞は常に同じ男性と女性が登場していて、どのアルバムにもずっとその人たちの物語が連なっている」ということを言っていて、意図していたわけじゃなかったんですがその説に結構納得しちゃったんですよ。この曲もそういう風に、これまで登場してきた男女がまた出てきた感じと言えるかもしれません。

長く聴き続けられるアルバムを目指して

―― 今回のアルバム収録曲には、音楽的な参照項はあるのでしょうか?個人的には、特に前半10曲の染谷さん曲の中に、ある種のベッドルームR&Bというか、くぐもったサウンドでちょっとソウルテイストが入った実験性を感じるものがいくつかありました。

染谷:今回、特に現行の音楽からの参照はほぼ無かったです。古っぽくしたいとか、もっと汚したいとかは思ったりしましたけど。ミックス作業もずっと僕一人でやっていて、自分の脳内で欲しいと思うサウンドをダイレクトに反映させるみたいな作業の連続でした。

―― 染谷さんの方から「この部分にぜひ注目してほしい」というオススメポイントはありますか?

染谷: 注目というのとは違いますが、全体性でしょうか。特にラスト3曲の流れは美しいと思ってて、個人的にはそこが一番好きです。

―― 他の作品と比べると、確かに1曲1曲が短くて通して聴きやすいように感じました。「いつの間にか終わっちゃった」という風になって、また聴き返したくなるという。

染谷:最近はまた60年代~70年代の音楽を聴くことが多くなってて、その頃の音楽って展開も多くなく、時間も短めなんですよね。そういうところで影響を受けていると思います。更にその時代って本当にミックスが自由なんですよ。聴いていると、「音楽なんだから、もっと自由に作って良いんだよ」と言われている感じもする。そして、その要素によって音楽が古びないというか、飽きずに聴ける重要な要素になっているとも感じるんです。

―― 今回はリリース前に完成音源を聞いたのがメンバーとエンジニアだけになったそうですが、どういう流れでそうなったんですか。

染谷: そもそも僕らは完全自主で、スタッフもマネージャーも周りに誰も居ないので、本当に駆け出しのバンドと何も変わらないというか。なんならマスタリングのエンジニアさんも、僕が何回も何回もやり直しを求めるので、最終的には音も聴かずに僕が伝えた数値を修正して送ってもらうみたいなやり取りになって、永井と香保里さんも僕に任せていたので、リリース前の最終バージョンを聴いたのは僕だけなんです。

最低でもあと1枚はアルバムを出したい

―― 最後に、今後の活動に関する考えなどをお聞かせいただければと思うのですが、どうでしょうか。

染谷:『一夜のペーソス』のCDやアナログを出す予定であることは既に軽くアナウンスしていましたが、ライブについては今年8月末からMitskiさんの北米ツアー7公演にサポートアクトとして参加することになりました。さらにその後、自分たちのワールドツアーをやる話も持ち上がっています。そうしたかたちでライブをやる方向に動いてはいるので、かなり先のことにはなりそうですが、国内でもライブをやれると思います。

―― ワールドツアーをやって現地のミュージシャンと知り合い、そこからコラボや共演も…というのはあり得たりするのでしょうか。

染谷: 音楽ですから、何かに心を動かされたりしたらあるかもしれないですね。今は分かりません。

―― 新作についても、あと1〜2年ぐらい経った段階で染谷さんが何か活動報告してくれると思っています。

染谷:自分がバンドを結成した時から、生涯にアルバムを10枚は出そうというのが目標だったんです。Lampは『そよ風アパートメント201』、『八月の詩情』を入れるといま9枚目なんですね。だから少なくともあと1枚は出したいですね。