「ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」を副題として、2014年に刊行スタートしたムック本『Jazz The New Chapter』(シンコーミュージック・エンタテイメント)。瞬く間に話題を呼び、この6月には第5号を世に送り出したのが、同シリーズ監修を務める音楽評論家、柳樂光隆氏だ。
ジャズという、ある種の格式を強く帯びる音楽に新風を吹き込んだ本の持つ価値は、「新世代ジャズの入門書」というありきたりな冠で語るには物足りない。2000年以降の現代ジャズシーンをはじめとする「21世紀の音楽」の語り部として注目を集める柳樂氏本人の目線は、今メディアが世に何かを問うときのあるべき振る舞いを教えてくれる。
聞き手:米田智彦 文・構成:年吉聡太 写真:神保勇揮
柳樂光隆(なぎらみつたか)
音楽評論家
1979年、島根県・出雲市生まれ。音楽評論家。元レコードショップ店員。21世紀以降のジャズをまとめた世界初のジャズ本「Jazz The New Chapter」シリーズ、現代の視点からマイルス・デイヴィスを考察した『Miles Reimagined』監修者。共著に後藤雅洋、村井康司との鼎談集『100年のジャズを聴く』など。ジャズの名門ブルーノート・レコーズのピアノ音源をまとめた『All God's Children Got Piano』などコンピレーションの選曲も多数。
レコード屋勤務で編集的センスを培った
ーー 柳樂さんの肩書は音楽ライターではありますが、『Jazz The New Chapter』(以下、JTNC)には編集者的な視点を強く感じます。柳樂さんはもともとレコード屋の店員さんだったんですよね?
柳樂:以前は「珍屋(めずらしや)」という、国分寺と立川にある、いわゆる街のレコード屋で働いてましたね。ディスクユニオンで働いていたこともあります。
ーー そこからライター・評論家として世に出られるようになったわけですが、編集経験を経ずして5冊続くシリーズをトータルプロデュースできたことに驚かされます。
6月19日に発売したばかりの『JTNC5』では、新作が完成したカマシ・ワシントンらを取り上げる「サックスとジャズ」、スヌープ・ドッグからケンドリック・ラマーまでLAヒップホップの多様性を捉え直し、密接につながる最先端のLAジャズ・シーンに迫る「LA再考」、クラシックやアメリカ音楽との関係を軸に、ジャズの起点に立ち返って「今」を紐解く「ジャズとは何か」の3つの特集が組まれている。
柳樂:それは、レコード屋の店長として店を切り盛りしていた経験が大きいでしょうね。店内の壁を塗り直したり照明を替えたり棚をつくり替えたり。編集的な考え方は、若い人がお店に入りやすいようにと自分でやっていた、店づくりと近いかもしれません。フライヤーをつくったり、フロアの中をデザインしたり、SNSのアカウントをつくったり。お店の経営者の感覚の延長に、編集があったんですね。それは珍屋のようなスタッフに裁量がある個人店でしか得られない経験だったと思います。
グラスパーに“賭けた”編集方針が奏功した
ーー『JTNC』にとって、ロバート・グラスパー(ジャズピアニストでレコーディングプロデューサー。2012年の第55回グラミー賞で最優秀R&Bアルバム賞を獲得)というスターの登場はすごく大きいですよね。彼の存在がなかったら『JTNC』も存在しなかったのではないかとさえ思いますが、いかがですか?
柳樂:まさにそうですね。グラスパーが売れ出した当時、業界にはグラスパーを評価するかどうか半信半疑な雰囲気があったんですが、そんな時期にグラスパーに“賭け”ていたのは、僕らくらいだったんじゃないかな。
『JTNC3』に掲載されたロバート・グラスパーのインタビュー記事。グラスパーは毎号何らかのテーマで登場している。
ーー でも、結果としてはロック・ポップスファンなども含め多くのリスナーがグラスパーに惹かれ、21世紀以降の新しいジャズを聴き始めたわけです。『JTNC』はそのガイドブックとしても非常に高い価値を発揮していますよね。
柳樂:刊行を重ねるごとに方向性は変わってきていますが、最初は「とにかくグラスパー推し」でした。彼を中心に置いて彼を取り巻く状況を整理する。そうすることで、ジャズに限らずヒップホップやR&Bも含めた幅広いところで、今何が起きているかを分かりやすく説明できていたのでしょうね。
「新譜中心」のインタビューから抜け出すこと
ーー 『JTNC』は、ウェブではなく紙ベースのプロジェクトだったのがよかったという気もします。
柳樂:そうですね。『JTNC』は1年に1冊ぐらいのペースで刊行していますが、続けていくと「あれが足りない」とか「こういうことをやったらいいんじゃないか」というアイデアが出てきます。どの号も1年分ぐらいのストーリーが1冊にまとまっているわけですね。
ーー レコード会社の反応はどうですか?
柳樂:『JTNC』は、いわゆる音楽雑誌づくりのプロセスとはちょっと違うんです。アルバムが出たからアーティストのインタビューをやるという感じではなく、特集のテーマに合うからインタビューするという感じ。これまでのレコード会社のルールとは違うわけで、「新譜プロモーションのためのメディア露出」という意味では歓迎されていない部分も感じます。
ーー そうなんですね。
柳樂:アルバムが出て、そのタイミングでセッティングされた取材でも、そのアルバムのことをほとんど聞かなかったりするという(笑)。
ーー アルバムのプロモーションにならないじゃないですか(笑)。
柳樂:でも、新譜について、一応ちゃんと話は聞くんです。ただ、その新譜1枚だけじゃなくて“アーティストの存在”をプロモーションするというかたちにしている。そのアルバム単体で利益を得るためにやるんじゃなくて、そのアーティストのキャリア全体を扱って、この先の作品やライブにもつながるようにする。だから、記事としての射程が長くなるんだと思います。
レコードショップがJTNCを強力サポートしたワケ
ーー 『JTNC』が世間に受け入れられたと感じたきっかけはありますか?
柳樂:そうですね……。僕、レコード屋の店員にとって「ジャズの新譜」って売りづらいだろうってずっと思ってきたんですよね。
ーー 「売りづらい」、ですか。
柳樂:店頭で新譜を推したとしても、古参ジャズファンの方々からは「なんでこれを推してるんだ。それよりソニー・ロリンズを聴け」だとか、「ビル・エヴァンスの方がいいだろう」みたいに言われそうじゃないですか。
ーー お叱りを受けるわけですね。
柳樂:だから、その後ろ盾になりたいと思っていたんです。それで「1」を出したんですが、その後すぐ、ショップの反応がすごく良かったんです。CDショップがこの本を見てコーナーをつくりたいと言ってくれた。CDショップの人が『JTNC』とCDとを一緒に並べてくれてムーブメントにしてくれたという感じがあります。
ーー 今、音楽の聴き方はサブスクリプションサービス中心に移行していますが、ショップがあって本が置かれることって、まだ需要があるんですね。
柳樂:ありますよ。面白いことに、Spotifyでもなんでも、新曲が次々出る中でプレイリストをつくると、どれもみんな似たような内容になるという現象があるんです。そしてそれは、一般のリスナーでも、プロのライターやDJが選んでもそうなる。
それは、“制約”が少ないことも関係しているかもしれません。すべてある中で今面白いことが何かを選び取ると、売れてる人や、最近フックアップされて有名になった人がさらに流行る構図になってしまう。
アルゴリズム的につくろうとすると「似たようなものを統合してつくった一番いいやつ」みたいなものができてしまう。でも、レコード屋だったら、いずれかの楽曲を推したければ、売り場の面積でも試聴機に入れる順番でも、いろいろ違いをつくれるじゃないですか。
ーー 優先順位をつけられるわけですね。
柳樂:そこには、いまだに“ここだけの情報”がある。話題の新譜の横に置いてもらうことで、全然違う接続が生まれることもあります。それはウェブだとなかなかできないですよね。
「リスナーとプレイヤーとのちょうど間」を探るメディア
ーー 読者として、ミレニアル層への意識はされていますか?
柳樂:ええ。
ーー 20代ぐらいの若い読者も多いんじゃないですか?
柳樂:多いですね。その層をつかまえている既存メディアはほとんどなかったのでしょうから、自分でもすごいことだと思っています。
ーー 何かしら、ほかにない工夫があるんですか?
柳樂:どうだろう……。プレイヤー(アーティスト)にインタビューをしているとよく当人から「おまえは楽器をやっているのか」と訊ねられるんです。「いや、まったく」と答えるわけですが。
ーー はい(笑)。
柳樂:つまり、プレイヤーにとっても読んで楽しめる内容にするための質問を、意識的にしています。具体的な演奏手法を質問したりもするんですが、そういった「リスナーとプレイヤーとのちょうど間」を探るメディアは、今まであまりなかったと思うんです。新しい音楽との付き合い方を模索したという意図はありますね。
ーー “やる側”の視点ですね。
柳樂:はい。あとSNSをやっていてよく分かったのは、今までメディア・ライターはミュージシャンとの関係を“絶てていた”と思うんです。
ーー どういうことですか?
柳樂:SNSが登場して以降、自分の発言や書いた記事がアーティストにリツイートされることもあるし、何かコメントされることもあるじゃないですか。つまり、“距離が取れなくなった”んです。
ーー Twitterなどでも、アーティストが自身の作品へのレビューに反論する場面を見ますね。
柳樂:だから今までみたいなやり方で、メディアやライターがリスナーとプレイヤーとを分けて情報発信するのは無理なんです。既存の音楽雑誌はどうしてもリスナーとしての視点でインタビューしてしまうんですが、プレイヤーたちがこだわった部分は、演奏者にしか分からなかったりします。それを訊くことを、ずっとやっている気がしますね。そのうえで、リスナーにも楽しめるものにする。そのバランスは他にないと思いますね。
今起きていることを「歴史の一部」にする
ーー 今、音楽が好きな若いリスナーたちは、YouTubeやサブスクリプションを通してこれまでの若者よりも多くの音楽に触れています。マイナーなアーティストもよく聴いていますが、一方で最新の音楽を大量に浴び続けなきゃいけないこともあって、いわゆるレジェンドの作品まで辿れていないのかもと感じます。なのでそれこそメディアでは「今、マイルス・デイヴィスを聴かせる」ような作業が必要になっているように思います。そして、それをやっているのが『JTNC』だという印象もあります。
柳樂:何事も「歴史にする」のが一番いいんですよね。音楽雑誌は新譜紹介をベースに「このアーティストがすごい!」ってやるわけですが、それではちゃんと歴史に位置付けられないんですよね。「このアーティストは、これまでのジャンルやレジェンドたちの軌跡を踏まえたうえでこうすごいんだ」っていう感じでちゃんと歴史に接続して、起きていることを「リアルタイムで歴史の一部にしていく」のが『JTNC』のコンセプトとしてあります。
柳樂氏は自身が言及した楽曲をすぐに聴けるよう、Spotify/Apple Music用のプレイリストをいくつも制作している。上記のプレイリストは、同氏も参加した鼎談集『100年のジャズを聴く』(シンコーミュージック・エンタテイメント)の刊行記念トークイベント用に選曲したもの。
ーー 柳樂さんはあまり上の世代に迎合しない印象もあります。
柳樂:そうですね。今のアーティストが考えていること、そして、彼らが作品にしているリアリティを重要視しているということかもしれません。ジャズミュージシャンは他のジャンルよりも若手が歴史やレジェンドをリスペクトしている度合いが強いので、それを言葉にするのは僕の大事な仕事だと思っています。
ーー ミュージシャンたちが「ハービー・ハンコックから本当に大きな影響を受けたんだ」みたいなことを嬉々として語るのは、ライターやメディアが語るより説得力がありますものね。
柳樂:アーティストに説明してもらう、ということですね。
ーー 『JTNC』の書き手には、ミュージシャンも多くいらっしゃいますね。
柳樂:高橋アフィさん(TAMTAM)、吉田ヨウヘイさん(吉田ヨウヘイgroup)、岡田拓郎さん(ex.森は生きている)など、20代後半〜30代の人たちにも書いてもらっています。『JTNC』で扱うアーティストに共鳴する音楽をつくっているようなミュージシャンに多くお願いしているのが、いいんでしょうね。
ちゃんと調べて、ちゃんと考えることが一番の近道
ーー 若い編集者に対して今思うことがあれば、教えていただきたいのですが。
柳樂:それこそ音楽をサブスクで聴けるのと同じように、情報って膨大にあるわけです。そして、今のところ目立っているのが新しい情報ばかりだとしても、同時に古いものも膨大にあるわけですよね。
そんな中、ウェブの記事は一度公開したら公開され続けます。だから、賞味期限が長ければずっと読まれ続けて、累計で何十万PVを取ることも可能なわけじゃないですか。これからは「射程の長いものをつくれる人」の価値があるのではないかと思います。
ーー 「スロージャーナリズム」とも言われますね。
柳樂:ええ。それをやるには、記事や企画の中に何かしらの歴史が入っていた方がいいでしょう。新しいものに飛び付くより、長い目でじっくり調べながらやることがすごく重要だと思います。
あとは一次情報を獲ることを意識的にやるのも大事だと思います。『JTNC』でもそうしていますが、一次情報をきちんと取るための取り付けを考えるとか、みたいなことはすごく大事なことです。
ーー それは、音楽だけではないように思います。やれ「働き方」とか「ジェンダー」だとか、そういう新味のある話題を扱うことにメディアも世間も流されている気がします。
柳樂:そうですね。まだ語られていないことはいっぱいあるはずなのに、みんな同じところに行く……。
誰もが知っているようなアーティストがいて、そのアーティストについて語られまくっているけど、「その見立ては本当にそうなの?」と思うことはありませんか? そういうアーティストに限って、すでにあるレビューやディスクガイドを見てみると、全然役に立たないな、プレスリリース丸写しだな、みたいなことは結構あります。なので誰でも知っている対象をめちゃくちゃ新鮮に見せるのは、ちゃんと調べて、ちゃんと考えるという本来ライターやメディアに求められることを普通にやったらできたりすることが多いんですよね。
ーー 情報を発信する側もその受け手も「勉強すること」がすっ飛ばされている感じはすごくありますね。
柳樂:面白いと言われているメディアを見ていて感じるんですが、気軽に「ダイバーシティ」だとか言っている割には、あまり人の意見を聞かずに思ったことを書いているだけじゃん? って。
ーー いわゆる「エモい」方がウケる、みたいな方法論もあるようですしね。
柳樂:ちゃんといろいろな人の意見や視点を入れてつくればいいのにと思う記事が多いんですよね。
『JTNC』では、ミュージシャンや評論家だけでなく、デザイナーやレーベルの人の話も訊いています。プロデューサーだけじゃなくてA&Rもフィーチャーする。グラスパーを発見した人・契約した人にも話を訊く。そういうかたちの、多面的な、今の時代に合った記事の作り方があると思っているんですよね。