ITEM | 2019/04/08

未来はつまらないはずがない 世界最先端の電子国家・エストニア見聞録【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

自律的で、分散的な小国・エストニア

かつてはラトビア、リトアニア、エストニアとセットで「バルト三国」と習うことや、Skype誕生の国という以外になかなか縁を持ちにくかった国・エストニアが多方面で注目されている。小島健志『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来』(ダイヤモンド社)は、人口約130万人(さいたま市と同程度)の小さな国が作り出す壮大な未来のビジョンを探り出す。

本書は経済誌『週刊ダイヤモンド』で、連続起業家・孫泰蔵(孫正義の実兄)を取材した連載『孫氏の教え』のスピンアウト企画だ。取材する内に孫泰蔵がエストニアに大きな関心を持っていることから、著者が現地に足を運ぶに至ったという。

引っ越しすると巡礼のように役所をまわったり、ライフライン系の手続きのために電話をかけたりする。これが日本の当たり前だが、「電子政府」を樹立したことで名高いエストニアでは、出生届けを含む行政手続きの99%をオンラインで済ませることができるそうだ。

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実際にエストニア人と交流を重ねれば、気づくことでしょう。僕らが常識だと思っていたことが、実はそうでないことを。「何だ、縮こまる必要なんてない」、そして、「僕たちはもっと自由になれる」ということを。何より、「つまらない」と思っていた社会を僕らが変えられるということを———(P4)

エストニアは「ヒューマン・オートノミー」を目指しているという。人々が自由に考えて行動することができるような環境のことだ。「自律性」「分散性」がキーワードであるエストニアに対して、著者は日本の現状を「パイの奪い合い」(限られたプレイヤーで限られた市場を奪い合うこと)と表現している。地理的にも文化的にも遠く離れたエストニアから、私たちは何を学び取ることができるのだろうか。

電子政府は管理せず、データを自分で保有させてくれる

「電子政府」という言葉を聞いて、マイナンバーを思い浮かべる方も多いだろう。マイナンバーカードの普及率は2018年7月時点で全人口の11.5%しかない(ちなみに筆者も持っていない)。日本でもポータルサイト「マイナポータル」から確定申告や子育て支援制度の申請や、どの機関が情報をいつ使ったのかを把握できるようになっているが、エストニア政府元高官は「マイナンバーではなくユアナンバーではないか」と著者に話したという。

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これはどういう意味かといえば、「政府が国民の情報をコントロールしたいがための制度であり、現状、国民にとって利便性のある制度になっていない。政府にとっての『マイナンバー』であり、国民にとっての『マイナンバー』になっていない」という指摘なのである。(P83-84)

エストニアにデジタルIDカード「e-Estonia」が導入されたのは2002年。その前年の2001年に、大きなデータベースを作るのではなく、バラバラのデータベースをつなぐ目的で「X-Road」というデータ交換基盤システムが構築された。

2014年にはe-residency(電子居住)が開始された。これは、非エストニア居住者にもエストニアのデジタルIDを発行するものだ。これにより、本人認証や会社登記が可能になる。

2018年に建国100周年を迎えたエストニアは、なぜそのような仕組みを築くに至ったのか。デンマーク、ドイツ、スウェーデン、ロシアなどに占領されてきた歴史を持つエストニアは、常に国土を追われる存在だった。

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もし国が攻め込まれて、占領されたらどうするか。日本人には考えにくいテーマであるが、エストニア人はこの問いを突きつけられてきた。
そこで出した答えの1つが、「領土が奪われて、国民が散り散りになったとしても、国民国家のデータさえあれば再建できる」という考え方である。(P119)

まるでパソコンを変えてもブラウザを立ち上げてログインすればすべての設定や情報が保存されているかのようだが、クリミア侵攻など近年のロシアの動向は小国・エストニアにとっては大変な脅威なのだ。国土がもしもの場合には失われることもありえるという切迫性もまた、先端技術を生み出す原動力の一つとなっている。

自律的な国民たちが成し遂げた偉業―3年と2,200万ユーロの節約

著者が「電子政府エストニアを理解するための原則」の一つとして挙げているノーレガシーの法則も、日本人が見習わなければいけない点だろう。レガシーとは過去の遺産、捉え方を変えれば「古いもの」と言える。政府の公的部門は13年以上(干支が一周するぐらい)、同じITソリューションツールを重要なものとして使ってはいけないそうだ。一旦会得した価値観や手法を批判的に見つめ、時には捨て去る「アンラーニング」のプロセスを、国が主導しているのだ。

こうした自律的な国家規範は、国民の行動にも影響する。2008年5月3日、自律的なe-residentたちは、1万トンの不法投棄ゴミを1日で回収した。環境保護を打ち出した政党がIT起業家と組んだキャンペーンによるもので、ゴミのある場所を1万650箇所「見える化」した。グーグルマップを利用したシンプルなツールによってマッピングはなされた。結果的に、「ゴミが多いな」と日頃から感じていた人の心を揺り動かし、5万人以上のボランティアがそれらを1日で回収した。

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当初、3年で2,250万ユーロ(約29億円)かかると見られていた作業も、たった1日で、しかも当初の見積もり額のわずか2%の50万ユーロ(6,500万円)で済んだ。3年という時間と2,200万ユーロの費用を節約できたのだ。(P247)

本書には多くのエストニア国民のインタビューが収められているが、エストニア初の女性大統領であるケルスティ・カリユライドも取材対象となっている。

ともすると、AIなどのテクノロジーは「人間の仕事を奪うもの」とみなされてしまうが、電子国家の大統領はテクノロジーをどのようなものと考えているのだろうか。「制約がなくなることで、愛国心や国家への忠誠心がなくなってしまうのではないか」という質問に対して、あくまでもe-residentの一人として彼女はこう答えている。

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テクノロジーは何も変えないと思います。私はオンラインのときもオフラインのときもエストニア人です。あなたがオフラインのときに日本人であれば、オンラインで英国人に変わることはありません。
つまり、テクノロジーは何も変えず、物事をより効率的かつ透明にするだけです。人間を変えることはないのです。(P303)

自閉症の人がうまくコミュニケーションをとれる技術。会社にいく必要をなくし、子育てをしながら働ける環境。グローバルフリーランサーを組み込む柔軟な体制。そうした「人のため」のツールとして技術を認識し、考えをアップデートしていけば決して技術に飲み込まれることはないという自信を、彼女のインタビューの節々からうかがい知ることができる。

エストニア流に言えば、未来は「つまらなくない」にきまっている。そうした考え方に憧れるだけではなく、そこに加担できるヒントを本書は明らかにしてくれる。