イノベーションがなかなか生み出せない日本。そんな背景とは逆行し、次々と次世代の発明を生み出す未来志向の「デジタルネイチャー研究室」(筑波大学)が注目を集めている。
主宰するのは、研究者、大学教員、メディアアーティスト、実業家など数多くの肩書きを持ち、国内外問わず脚光を浴びる落合陽一氏だ。
米国や欧州では、新たな創造プロセスを生む大学と企業の提携による「オープンサイエンス」が進んでいると言われている。だが、日本では、産学連携の予算規模は拡大しているものの、その投資の多くは海外の大学に流れているのが現状(※)。落合氏のように、自ら会社を起ち上げて、企業と国内の大学の提携によって研究室を運営するスタイルは稀だ。
ちなみに、なんとこのデジタルネイチャー研究室に、FINDERS編集長・米田の従兄弟違い(従兄弟の息子)が在籍していることが発覚(笑)。
ということで、人もお金も集まり、社会実装できるイノベーションについて話を聞くべく、急遽、研究室のある筑波大学で落合氏を直撃した。
※文部科学省による参考資料「大学等における産学官連携活動について」より。
聞き手:米田智彦 文・構成:庄司真美 写真:神保勇揮
落合陽一
筑波大学 准教授・学長補佐、メディアアーティスト、実業家、博士(学際情報学)
1987年東京生まれ。筑波大学情報学群情報メディア創成学類卒業後、2015年東京大学大学院学際情報学府博士課程を早期修了。2015年に筑波大に着任しデジタルネイチャー 研究室を発足。同じく2015年にピクシーダストテクノロジーズ株式会社を設立。メディアアーティストとして自然とテクノロジーの調和の中に作品を作る一方、コンピューターと応用物理を組み合わせた視聴触覚への情報提示や最適化計算などの研究を行う。機関や組織の枠を超え、一般への生涯教育向けにDMM オンラインサロンにて「落合陽一塾」を開設するなど、制作・研究・経営・教育を通じてさまざまな社会貢献や社会実装を広げている。
落合氏が主宰する筑波大学「デジタルネイチャー研究室」には、現在40人の学生が在籍。
落合ラボ生が生み出す、イノベーションの卵とは?
現在、40人の学生が在籍する筑波大学「デジタルネイチャー研究室」。この研究室の大きな特徴は、2015年に落合氏が設立したピクシーダストテクノロジーズ社と筑波大学がテクノロジーをスムーズに社会実装させるための特別共同研究契約を締結している点にある。
まずは同社でエンジニアとして業務をしながら研究室にも在籍する、現在、筑波大学4年生の大峠和基(おおたお・かずき)さんに話を聞いた。
筑波大学「デジタルネイチャー研究室」で研究し、ピクシーダストテクノロジーズ社にも勤務する4年の大峠和基さん。昨年、「ミスター筑波大学」にも選ばれた。
―― マスコミにも数多く登場し、今最も注目度の高い研究者の落合氏が主宰する研究室だけに、配属を希望する学生は多いと思いますが、どんな選抜が行われているのですか?
大峠:僕は別の高専から3年次に編入して研究室に入りましたが、前の研究室での実績が評価されたかたちです。1年生の場合は、論文を読んでどんなテーマが好きなのかを落合先生とディスカッションしながら選抜されます。落合先生としては、好きなことに100%取り組めるような人材を選んでいらっしゃるようです。
―― 実は、僕の従兄弟違いが現在、筑波大学の1年生で、デジタルネイチャー研究室に在籍していて、彼の「semi-Cannon」という研究発表を落合先生がツイッターでリツイートしているのを見て知りました(笑)。親戚ながら、セミに電気を流して鳴き声を制御するなんて奇抜で面白い発想だと思いますが、デジタルネイチャー研究室ではどんな研究が行われているのですか?
「semi-Cannon」。セミに電気を流し、その周波数の違いを駆使してセミが楽器のように鳴く研究を発表し、昨年、話題に。「適切音程でセミを鳴かせるために電圧を制御しましたが、手動のためミスが多く、2週間ほぼ不眠不休でセミの捕獲、撮影、編集を繰り返しました。でも、死ぬほど楽しかったです」(佃さん)
大峠:おおまかには、光や音響の制御の研究が多いのですが、その中でも佃君の研究にはすごく刺激を受けています(笑)。研究室では、デジタルネイチャーの考えの枠組みに沿った研究が行われています。一般的な研究室の場合、たとえばテーマが「機械学習」であれば、それしか扱わないのが普通です。この研究室の場合、“デジタルネイチャー”という大枠があって、それに関わる研究であればどんな研究をしてもいいのが面白いところであり、特徴でもあります。
それから、AIと人との双方向での調和の追求、次時代に向けた、個々に最適化されたファブリケーションの分野です。具体的にはたとえば、これまでにはなかった、一方向にしか曲がらないバネを作るなど、材質や構造をコンピューターで研究し、いかにパーソナライズされたモノに実装するかということに取り組んでいます。
それとは別に、佃君がやっているような生物ハック的な研究もあります。3Dプリンタで蚕を作り、蚕が糸を吐き出す性質とコンピューターの幾何学を計算することで蚕の糸が形状どおりに入ってくるといった研究も発表しています。
デジタルネイチャー研究室に置かれた3Dプリンタ。
―― 大峠さんはどんな研究をしているのですか?
大峠:僕はARゴーグルの研究をしています。これまでにはない空中映像を実現するために、今まで使われたことのないゴーグルの光学素子を追究しているところです。この研究は僕以外の学生も多く携わっていて、まったく別分野で使われていたような音や光の研究での相互援助をしていくのも、デジタルネイチャー研究室の特色なんです。
―― そうした研究は、将来的に商品化することを想定して開発しているのですか?
大峠:通常、大学の研究室で生まれた発明の知財(特許を受ける権利)は大学に帰属するケースが多いのですが、ピクシーダストテクノロジーズ社の場合、筑波大と特別共同研究契約によって、ピクシーダストテクノロジーズ社の新株予約権を筑波大に付与する代わりに、デジタルネイチャー研究室で生まれた知財はピクシーダストテクノロジーズ社に帰属することになります。
つまり、大学で生まれた技術が企業でスムーズに製品化されることで、研究成果が社会実装されやすい仕組みになっています。
―― 現在、デジタルネイチャー研究所で研究をするメリットをどのように感じていますか?
大峠:学生として大学で毎日勉強や研究に没頭しながら、会社からは給料をいただき、製品開発などにも関わることができるので、インプットとアウトプットが同時にできる点はとても大きなメリットだと感じています。
現在4年生の小川航平さんの研究テーマは、3Dプリンタを使ったペンの開発。ペン先には細い溝があり、そこからインクを吸収することで書ける構造を転用し、3Dプリンタでモデリングしたガラスペンを製作。「たとえば、バネのような感触のペン先を作れば、書き心地のいいペンを作るといった応用ができるようになります」と語る。
3Dプリンタで作られたさまざまな書き味のあるペン「Design Method of Digitally Fabricated Spring Glass Pen」。
日本では稀な企業と大学の提携が、スムーズな社会実装を実現
そして、いよいよ落合陽一氏を直撃。自身の会社と大学を連携させることで、研究成果をスムーズに社会実装できる仕組みを築いた落合氏だが、イノベーションの源泉とも言えるデジタルネイチャー研究室で、どのようなビジョンを持って挑戦を続けているのだろうか。
―― 「FINDERS」というメディアのネーミングには「ファインダー越しに世界を覗く」という意味もありまして、先日、写真展を開催したメディアアーティストでもある落合さんが手がける写真、映像、光といった未来志向の分野についてぜひお話を伺いたいと思っていました。
落合:僕の研究テーマは主に音や光、デジタルファブリケーション、AIやロボティクスの現場への応用ですが、どれも何らかの計算機的な最適化をしないと論文が通らないので、シミュレーションには特に力を入れています。たとえば、音と光で何かを最適化し、それをシミュレーションしてみて、実験結果と合致するか、そしてさらにパラメータの設定を変え得るかどうかというアプローチを続けています。
そのアプローチは、物質的なものから波動までさまざまです。そんな実験を続けていると、いつの間にか「デジタルネイチャー」の枠組みになってくるんですよ。ナチュラル・コンピューティング(※)という自然現象にある計算状態にいかにデジタルを介在させるかという研究分野がありますが、それと逆向きのディスプレイやプリンティングのようないわば「コンピューテーショナルなネイチャー」を組み合わせてループにするような発想です。
※自然現象の背後にある計算的もしくは情報処理的側面、原理を追及する計算機科学分野のこと。
自社と筑波大学を提携することで、研究結果が社会実装しやすい仕組みを築いた研究者、大学教員の落合陽一氏。
―― 現在、筑波大でのデジタルネイチャー研究室ではどのような講義をしていますか?
落合:僕の最大の仕事は、学生がやりたいことをいかに研究畑の要素とお見合いさせたり研究色の味付けをして研究テーマにするかということです。基本的な指導としては、週に1度は長い夜のゼミがあって、週4日は早朝の定例研究ミーティングがあるかたちですね。僕がやりたいことをやらせても続かないのでそこは教育者として僕の研究と学生の研究で微妙にやり口を分けています。
―― 落合さんの研究室に入る学生たちは、「デジタルネイチャー」の概念をちゃんと理解して入って来るのですか?
落合:いえ、基本的にわかってないですね(笑)。研究を続けるうちに、自分なりに解像度や処理能力、物質と波動の関係がだんだんわかってくる感じです。
―― そうなんですね(笑)。研究室には、僕の従兄弟違いの佃君もいますが、研究室だけでなく、大峠さんのように会社員としてもジョインしてもらう学生はどんな素質の人ですか?
落合:比較的、研究処理能力が高い人です。年の初めに研究室には全学年合わせて30〜40人の新人が入りますが、だんだん来なくなる人も多いのです(笑)。最後は5人くらい残るのかな。なぜなら、最初は僕の研究室で皆が何を言っているのか、まったく理解できないから。それでもかじりついて勉強する人じゃないと残れないのです。基本的には単語がわからないのと価値基準がわからないだけで、海外の学会とか行けばだいたいわかるようになるし、やりとりは論理的ではありますから、修行の問題でもあります。
―― 最近、落合さんが面白いと思った研究はありましたか?
落合:難しいですが、すでに発表されたものだと、「Eholo glass」はなかなかいいと思いましたね。レンズを使わない網膜投影の光学系レンズで、なおかつ通常のレーザースキャン式ではなく、ホログラフィ式なのです。つまり、ホログラムを直接目に打ち込む構造ですが、レンズを使わず、SLMとメタマテリアルを使うことで、収差が少なく視野角が広く体積が小さいのが特徴です。ただし、計算処理は非常に重いのですが。おそらくああいう感じは、ARグラスの最終到達点の一つだと思います。
アジアにおけるコンピュータグラフィックスとインタラクティブ技術に関するカンファレンス「SIGGRAPH ASIA2018 TOKYO」で「デジタルネイチャー研究室」が発表した「Eholo glass」。
―― グラスを通して映像やさまざまな情報が見られるわけですね。そういうものを制作するとき、学生にはどんなアドバイスをされるのですか?
落合:んー、上の研究は悩んでいた学生に、光学系レンズと部材のミラーを「ほい」と渡して、「さぁ、置いたから動け」というくらいです(笑)。そうしたら、彼は「お、うまくいった…!このミラーなんていうんですか?」と聞いてくるので、「sashimiだよ」と教えました(笑)。少し前にうちの社員がそのミラーを見たときに「刺身みたい」って言っていたからです。
そんなやりとりをしていたら、彼は本当に論文に「sashimiミラー」って書いたんですよ。そんな名前じゃないのに(笑)。でも、そもそも名前のない装置だから論文中でどんなネーミングにしようが自由なのですが。彼はネイティブの日本語話者じゃないので、それを聞いたときに何か特殊な光学部材だと思ったんでしょうね。これは面白いから言わないでおこうと思いました(笑)。
―― 自由な雰囲気というか、部活っぽいノリなんですね(笑)。今、落合さんは数多くの肩書きをお持ちですが、全体の内訳として、デジタルネイチャー研究室はどのくらいの割合なのですか?
落合:ノリは軽いですね(笑)。研究室は3分の1ですね。残りの3分の1ずつが、会社の経営、アーティストです。
デジタルネイチャー研究室の資料室の一角には、落合氏の栄光の数々が蓄積されている。
―― 先日開催された、落合さんの写真展「質量への憧憬 ~前計算機自然のパースペクティブ~」を見てきました。人間がほぼ登場しない、かつ汚れや風化など時間の経過がわかる、看板や建物など無機物の写真が中心でしたが、もしこれら無機物が無に帰したとしても、画像のデジタルデータはどこかに残り続けるはずで、世界の終わりの「その先の時間」のイメージを強く想起させる興味深い内容でした。アーティストとしての活動は主にどこでされているのですか?
落合:それならよかった。ありがとうございます。アーティスト活動での制作は主に自宅ですが、一応大学でもメディアアートの授業も教えています。家の半分くらいは制作スペースなので、ブラウン管をたくさん積み上げるような作品がくると部屋が埋まります。
―― 今後の研究室に望んでいることはありますか?
落合:ナノテク分野と電磁場の領域、生体工学に興味があるので、主にその3つをリサーチしていきたいと思っています。その上で、開発したものをもっと社会に実装するために、共同研究を強化していきたいですね。それから、今後の多様性社会やタスク思考型社会に向けて、課題を解決するためのテクノロジー開発を意識していければと思っています。
これまでの1つずつ開発を進めるスタイルから、大学との提携で研究室を運営するスタイルに変わったので、その中で人を育てながら、数年単位で俯瞰して見た時に、大きなビジョンが見える価値になっていればいいなと考えています。
――現在31歳ということですが、人の数倍のスピードで生きていらっしゃる印象で、失礼な言い方かもしれませんが、老成されていますよね。これまでの経験や実績を通じて、組織をマネージメントする段階になってきたということでしょうか。
落合:まだ31歳ですが、子どもも2人いますし、マネージメントの仕事も増えていて、そういう領域に入ってきたのかなと実感しています。今後は、アーティスト活動の時以外は、なるべく人の背中を押す仕事をしていきたいです。僕1人で論文を書いていても年にトップの学会に4本通すのが限界。それならば、みんなの力を合わせて取り組んだ方が効率的だし、社会実装も早いと思うのです。そんな才能を育てるのには時間がかかる。でも、そうした方が社会が良くなると思ったのが、2014年頃の26歳の時で、だから27歳の時に大学で研究室を始めました。
一般的に研究者は、教員としてのポストや研究できる環境が欲しいから、そのために論文をたくさん書いて、さらにそこから出世するためにがんばって論文を発表する人が多くいます。でも、僕の場合、自分の会社から原資を払って教員をやっているので、大学と対等に契約して教員をしているかたちです。過去に助教から准教授になり、1回大学を辞めて、再び大学でのポストを築いている流れですし、ポストに就くとか出世するといったことに興味がないんですよ(笑)。
むしろ今は、どうやったら社会をよくするか?ということの方に興味があります。もちろん、20代の頃は、僕の書いた論文に海外メディアからの反応があればテンションが上がりましたし、引用されれば嬉しかったですが、最近はあまりそういうことには興味がなくなりました。どんなに僕の論文がほかで引用されようとも、その研究で社会課題が解決するわけではありませんから。もちろんきっかけになってビジネスが起こり、何かが解かれるかもしれない。
でもきっかけは時代が作るし、ビジネスは幾多の協力や努力があって成り立つ。その意味で研究者は時代に乗っているだけかもしれないし、他の誰かも常に思いつき得る。研究と実社会ではゲームがだいぶ違うし、そこにかじり付いたまま歳を取って行きたくないんです。論文はこの世の中に存在する多くの価値の中のあくまで評価軸の一つでしかないですから。
でも、「この研究を見たら感動した」というふうに、表現としての研究を評価されることは嬉しいです。だってそれは、エンターテインメントとして僕の研究が消費されたということですから。なかなか研究を続けていても、人を動かす具体的な何かに落とし込むことは難しいものです。
それなら、純粋にコンテンツで勝負する方がかっこいい。テクノロジーを飛び道具として使うこともありますが、写真展を開いたり、小説を書いたり、クリエイティブ・ディレクションする活動については、飛び道具抜きもいいなぁという考えがあってやっています。
テック一辺倒に頭を使ってるのは研究と経営の時で、アーティストや教育者としてはそんなにテックが重要だとも思っていません。まぁ、たくさんの背反する自分がいる中で、肩の力を抜いて自然にゆるく生きている感じでしょうか。要するに、適度に大人になってきたのだと思います(笑)。
―― ありがとうございます。今後のますますのご活躍を楽しみにしています。僕の従兄弟違いの佃のご指導も引き続きよろしくお願いします(笑)。