CULTURE | 2019/01/26

世代でもファンでもなくても実感!沢田研二の生き様から見る「人生100年時代」に必要なこと

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1月20日、日本武道館で行われた沢田研二 70YEARS LIVE『OLD...

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1月20日、日本武道館で行われた沢田研二 70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』に行ってきた。きっかけは、友人に招待券があるからと誘われたためだ。

だから筆者はジュリーファンでもなければ、ヒット曲もあまり知らない。ジュリーの全盛期は幼少の頃であり、ヒット曲も懐メロ番組などで知った世代だからだ。

結論から言うと、このライブには、筆者の父親世代と同じ70歳の古希を迎えるジュリーこと沢田研二の生き様が全面に投影されていて、いろんな意味で胸が熱くなった。

ジュリーの生き方、スタンスは「人生100年時代」と言われるこれからを生きるビジネスパーソンを含めたすべての人に通じるものがあると感じた。ということで、ライブを通して筆者が感じた、ジュリーから学ぶ「人生100年時代」に必要な要素を紹介したい。

文:FINDERS編集部

ドタキャン事件の余波で、取材者も入り混じる会場

会場の日本武道館に着くと、あきらかに母親世代とおぼしきシニア世代の女性ファンで溢れていた。夫婦で来ていると思われる白髪のカップルも多い。アラフォーの筆者でさえ最年少かと思ってしまうほどだ。

それに紛れるようにテレビクルーの姿も目立った。筆者も友人と待ち合わせしていたら、芸能人がスクープを恐れて止まないあの「週刊○春」の記者に逆取材されてしまった(笑)。

なぜマスコミが多いかと言えば、昨年10月17日に予定されていたさいたまスーパーアリーナでのライブのドタキャン騒動が尾を引いているからだろう。

表向きには「契約上のトラブルが発生したため」という理由だが、ネットでは「ホール内で反原発の署名集めをしようとしていた」「チケットの売上不振」といったさまざまな憶測が流れた。

真相はさておき、着席すると、観客席はほぼ満席。この日は日曜で、日本武道館での3daysツアーの中日。土曜と月曜を含めると相当な動員数になるだろう。父親と同年代のスターが未だ現役ということに驚いたが、最大で約1万4000席を確保できるという武道館を未だに埋められることにも驚いた。

生涯現役のジュリーから学ぶ、人生100年時代を生きるヒントとは?

ライブはほぼ予定通り、15時を少しまわったタイミングで首尾よくスタート。70年代の全盛期、きらびやかな電飾の衣装を身にまとい、中性的なメイクで「TOKIO」を歌ったジュリーは伝説だ。それに似た雰囲気ではあるものの、どちらかといえばピエロ的なかわいさを感じさせるカラフルできんきらのつなぎの衣装を着て登場したジュリー。しかも、今回のツアーのライブ形式はバンド編成ではなく、ジュリーの歌唱とギターのみという潔さだ。

そのシンプルな構成で往年のヒット曲ではなく、新曲中心に披露するライブパフォーマンスに、これだけ多くの席数を埋めるのは相当ハードルが高いように思われた。穿った見方をすれば、相当数プレスや関係者へのインビテーションを配っていることも考えられる。

しかし、かつて「セクシー」「中性的」などと賞賛された現在70歳のジュリーが会場に向かって投げキスするや否や、「キャー!!」という本物の黄色い歓声が湧いたのだ。もちろん、黄色い声を上げたのは、シニア世代の女性ファンたち。これは筋金入りのファンが大半だなと実感した。

ということで、実際にジュリーのライブから見る、「人生100年時代」に生きるヒントについて具体的に触れていきたい。

好きなことにいつまでも情熱を持ち続ける

会場でジュリーは、70歳とは思えない軽い足取りで、飛んだり跳ねたりステージを走り回ったりしたほか、口に含んだ水を霧吹きのように吹くパフォーマンスを披露。ジュリーファンの叔母によると、全盛期は水ではなくウイスキーを吹いていたらしい。そんなジュリーを見て感じたことは、自分の好きなことをやり続けた結果が、今ここに現れているんだろうなということだ。

冒頭のMCでは、かつて60年代にビートルズが日本武道館で初来日公演を行った際、ジュリー自身も大阪から足を運び、南西2階席で観たと後述。「今あらためて、この歳になってもあのビートルズと同じ舞台に立てることを心から嬉しく思います」と観客に向かって現在の心境を語った。

音楽好きだった少年時代のジュリーは高校をドロップアウト。京都のダンス喫茶「田園」でのアルバイト時代にグループサウンズのバンドにスカウトされた。それを皮切りに、ザ・タイガースのメンバーとしてグループサウンズの頂点を極め、甘いマスクと美声でアイドル的な人気を博していく。

その後は、ジュリーと萩原健一のツインボーカルという伝説のバンド「PYG」を経て、1971年にソロデビューし、70〜80年代を代表する歌手として数多くのヒット曲を世に輩出したことは今さら筆者が説明するまでもない。ソロデビュー以来、ジュリーが毎年新作アルバムをリリースし続けたことは、大人の事情があるのかもしれないが、ジュリーの音楽に対する情熱の表れに他ならない。

その後もバンド「CO-CoLO」を結成し、さらに音楽プロデューサーの朝本浩文らがメンバーとしても知られる「JAZZ MASTER」にも参加。歌手として音楽性の幅を広げ、誰がどう評価しようと着実に自身が愛する歌や音楽の可能性を広げてきたことが伺える。

実は、フランスやイギリス、香港などにも進出していたというジュリー。しかも、フランスではシングル「巴里にひとり」のフランス語バージョン「MON AMOUR JE VIENS DU BOUT DU MONDE」が20万枚を売り上げるヒットを記録。すでに述べたように、今回のツアーのライブ形式はバンド編成ではなく、ギター伴奏のみで勝負するという時点でも、歌唱力に自信がある証左と言えよう。

筆者にはジュリーが、「自分の好きなことにいつまでも情熱を失わず生きることが大事」ということをステージ上で体現しているように思えてならなかった。

いつまでもロック精神を忘れない

さいたまスーパーアリーナのライブでのドタキャン騒動で、「ホール内で反原発の署名集めをしようとしていた」という噂が立ったのには理由がある。実際、ジュリーは震災後の2012年に、自身が作詞を手がけたミニアルバムで脱原発をテーマにした曲をリリースしているからだ。

ジュリーはステージ上で、反骨精神が旺盛だった若い頃を振り返り、次のように述べていた。

「この業界に長い間おりますが、僕は若い頃から、芸能界の常識を喝破してきた方だし、こういう仕事である以上、反体制派であるべきだと考えます。60歳を過ぎたあたりから、もう好きなようにやらせてもらおうと決意しました」

実際、ジュリーが言ったとおり、1995年以降、自分のやりたい音楽をやりたいようにやっていくことを宣言し、以来、全アルバムをセルフプロデュースでリリースし続けている。新曲を出し続けることで、懐メロ歌手ではなく、“生涯現役”のスタンスを示したところにも、ジュリーのロックな生き様が表れているのではないだろうか。

感謝の気持ちと謙虚な心を持つべし

唸りを上げるエレキギターの伴奏でアグレッシブにさまざまなナンバーを歌い上げたジュリーだが、1曲歌うごとに、「センキュー!ありがとー!ありがとね!」と、全方位に広がる観客席に向かって何度も叫び、ていねいにお辞儀を重ねていた姿が印象的だった。

筆者はこれまで数多くの芸能人に取材したことがあるが、群雄割拠の芸能界で長年活躍している人は例外なくいい意味で常識があり、感謝の気持ちがあって人に気遣いできる人が多い。ご多聞にもれず、ジュリーもそういう部分がステージ上から滲み出ていた。

一方で有名なのが、1976年の「いもジュリー事件」。大阪公演の後、若かりし日のジュリーは、新幹線乗車中に出くわした一般人から「いもジュリー」とからかわれたことから、相手と乱闘騒ぎになった事件だ。というか、いつの時代にもいますよね。こういう血気盛んな若者(笑)。

実はジュリーはこの手の暴行事件を何度か起こし、謹慎期間もあったというが、その後も失速することなく飛躍した経緯を考えると、多少やんちゃはしても、罪は憎んで人は憎まずで、周囲から守られてきたのではないだろうか。当然、輝かしいセールスを叩き出し、きっちり結果を出してきたことももちろん大きいと思う。この日、ステージ上でも支えてくれる人やファンへの感謝の気持ちを述べていたジュリー。こうした謙虚さや感謝の気持ちが大事なのは、どの業界でも言える話だ。

自分で自分を愛し、マイスタイルを貫こう

どんなに派手な衣装を着ようとも、等身大のジュリーは70歳の“オールド・ガイ”であり、頭髪はほぼ白髪で、体型も若い頃から比べたらずんぐりとした印象だ。

ご本人曰く、そうしたことを叩かれることにはナイーブなようで、「最後に僕が紅白に出たとき、黄色の腹出しニットを着て出演したのですが、週刊誌に、『若作りだ』とか『気持ち悪い』とか書かれちゃって。僕は意外と世間からそうやって叩かれることにはすごく弱いんです(笑)」とファンの前で率直な心境を吐露するひと幕も。

ジュリーが最後に紅白歌合戦に出演したのは90年代前半の話だが、近年は恰幅のいい体型に加え、白髪にひげをたくわえた姿が「劣化している」などとネットでも話題になっていた。

「日頃、不精ひげを生やしているのですが、伸びてくるとなんとなく愛着が湧いて剃れなくなるんです。白髪染めをすると、自分らしくなくて鏡で見るとギョッとするほどしっくりこなくて好きじゃない。太ってきたのも一朝一夕になったんじゃなくて、長い年月をかけてこうなったわけです(笑)。とはいえ、スポーツジムの会員券もあるけど、僕が懸命にシェイプアップに励む姿は美しくないからやりたくない。ファンの皆様にしても、今の僕が嫌ならほかの洗練されたスターを追いかければいいわけだし、そっちの方が手っ取り早いと思うんです。でも、こうして大勢の皆さんがライブに来てくださっている。だから、これでいいじゃない…!(笑)」

ジュリーの言葉を賞賛するように温かい拍手が鳴り響く会場。ジュリーが言っていることは、「世間にどんなに叩かれようが、僕は今の自分が好き」ということだろう。さらにジュリーは続ける。

「僕が太ろうが、誰がどう思おうと、僕は歌うのが好きで、僕の歌を好きと言っていただけることが無常の喜びです」

自分の才能を信じ、大好きな歌を多くの人の前で歌い続けることがジュリーにとっての幸せ。本当に自分が好きなことをするのは、自分への愛そのものだ。そんな発言の裏に、ジュリーのコアな部分を見た気がした。ジュリーのように等身大の自分を愛し、自己肯定感を高めることも、現代のビジネスパーソンに必要な要素だと思う。

一世を風靡した後、近年、ネットで若作りや劣化を指摘される筆者の同世代の歌手でいえば、現在40歳の浜崎あゆみあたりがいい例だが、ジュリーに比べたらまだまだ若輩者。さまざまな伝説を築いて70歳になった現在のジュリーがなんら若作りすることなく、等身大で「太ってても白髪でもいいじゃない。僕はそんな今の自分が好き」と言えるからこそ、説得力があるのだ。

 “生きがい”や“自己肯定感”、“感謝の心”、“ロック魂”を持って人生を全うしようという熱いメッセージを放っていた、沢田研二 70YEARS LIVE『OLD GUYS ROCK』は、全18曲を披露し、あっさり幕を閉じた。

「これからも可能なかぎりステージに立ち続けます」とステージ上であらためて宣言したジュリーの生き様は、これからの「人生100年時代」と言われる時代に、我々現役世代にも、リタイヤした世代にも、学ぶべき要素として大いに参考にするべきだろう。