企業の広報・ブランディング・PRの手段として定番化しつつあるYouTubeチャンネル。オウンドメディアやTwitterなどに加えて、YouTubeで自社の動画コンテンツを配信する企業は目に見えて増えた。株式会社エビリーの調査によると、YouTubeにおける国内企業チャンネルの総再生数は、2016年の179億回から2020年には437億回までに増加している。
いまやYouTubeは戦国時代。企業だけでなく一般人、芸能人、メディアなどざまざまなチャンネルが入り乱れる。効率よく視聴者を増やし、本来の事業に活かすことができる企業チャンネルは一握りと言えるだろう。
そんななか注目を集めているのが株式会社有隣堂の取り組みだ。同社は1909年に創業。神奈川県を中心に約40店舗を展開する老舗書店チェーンだ。2020年に開設したYouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」はすでに約22万人(2023年3月現在)の登録者を獲得している。
有隣堂は理念として「有隣の精神」を掲げている。「徳のある人は孤立することはない。いつかどこかで理解者が現れる。信念をもって正しいと思ったことをしよう」という意味の孔子の章句が由来だ。業界全体として書籍の売り上げ低下や、店舗数の減少に直面しながらも、地道な発信でコアファンをつかむ同社の姿勢には、まさにこの「有隣の精神」が感じられる。
有隣堂はこのチャンネルをどのような広報戦略のもとで運営しているのか。また、実際の店舗での売上や他事業にはどんな影響があるのだろうか。企業運営YouTube成功事例の裏側を紐解くために、チャンネル運営を担当する広報・マーケティング部担当課長、渡邉郁さんをたずねた。
渡邉 郁
株式会社有隣堂 広報・マーケティング部 担当課長
有隣堂に入社後、書店員、書籍バイヤーとして10年以上勤務。その後、新規事業立ち上げ、新規店舗開業等を経験。2020年より現在まで、有隣堂の公式YouTubeチャンネルの運営を担当。
聞き手・文・構成:生駒奨
写真・編集:赤井大祐(FINDERS編集部)
「正直やめたいと思った」YouTube事業
渡邉郁さんとMCキャラクターの「R.B.ブッコロー」
── 有隣堂のYouTubeチャンネル「有隣堂しか知らない世界」はいまや書店業界で最も成功しているチャンネルのひとつになっていますね。どういった経緯でチャンネルを開設したのですか?
渡邉:私はチャンネル立ち上げ当時「企画開発部」という新規事業の企画・立ち上げを担う部署にいました。書店の枠にとらわれない新業態の店舗を考えて形にしたり、店舗以外でも新規事業を調査するというような仕事をしていて、YouTubeもその業務の一環で始めたんです。
── 新店舗の立ち上げがおもな業務だったんですね。YouTubeはかなり毛色が違うチャレンジのように思えます。
渡邉:2019年に当社の現社長・松信健太郎(当時副社長)が「これからは動画の時代だ。YouTubeをやってみよう!」と宣言したのが始まりでした。それに、この宣言よりも以前から、松信は「書店を再定義する」ということを発信し、企画開発部としてもそれに取り組んでいました。
具体的に取り組んでいたことはふたつ。ひとつは書店として110年以上営業してきた信用力を活かし、書籍以外のモノ・コト・トキを売ること。ふたつめは、そうしたモノ・コト・トキの力を借りて書籍を売るという本業を持続していくこと。その想いで、カフェや居酒屋、眼鏡店などの、新しい事業にも挑戦してきました。そういった新しい挑戦の一方、やはりこれからの時代、自社メディアの必要性も感じており、YouTubeをやる、ということに繋がったのだと思っています。
── チャンネルを始めた当初はどんな動画を配信していたのですか? また、その当時の反響や手応えはどんなものだったのでしょうか。
渡邉:最初は書籍を紹介する動画を配信していました。アニメーションにナレーションをつけ、話題の書籍のあらすじや見どころを紹介するというものでした。これが、正直まったく反響がなくて……。登録者数も再生数もまったく増えず、やっている私たちも楽しいとは思えない状況でした。松信とは「お試しで3カ月間やってみよう」と決めてスタートしたのですが、2週間くらいで「正直、やめたい」と感じていましたね。
── 企業運営のYouTubeだからこそ、KPIや目標到達期限がプレッシャーになりますよね。うまくいかなかったなかで続けられた要因はなんだったのでしょうか。
渡邉:とにかく「やってみること」が大事とわかっていたからです。動画による自社メディアは必要だということは認識していましたし、社長から「失敗してもいいからチャレンジすることが大事」と常々言われていました。ですので、このやり方がうまくいかなくても、それにこだわらずに次の方法を探すということを意識していました。
なによりも「視聴者にとっておもしろいもの」を
── そこからチャンネルを軌道に乗せ、事業として成立させていくのは難しいチャレンジだったと思います。なにかターニングポイントのような出来事があったのでしょうか?
渡邉:大きかったのは、動画クリエイターのハヤシユタカさんの存在です。じつは、ハヤシさんは以前から松信に「有隣堂でYouTubeをやったらどうですか?」と提案していた人物。私たちがチャンネルのリニューアルを考えているタイミングで「協力します」と名乗り出てくれて。ハヤシさんがプロデューサー兼ディレクターとして有隣堂のYouTubeチームと協力する現在の体制が出来上がりました。
── 「有隣堂しか知らない世界」はMCを務めるオリジナルキャラクター「R.B.ブッコロー」と社員または外部から招いたゲストでトークを進行していくスタイルですが、この形にはどうやってたどり着いたのでしょうか?
渡邉:このスタイルはハヤシさんが発案してくれました。一からチャンネルの方向性を考え直すにあたり、ハヤシさんの頭のなかにあったのが『saku saku』(テレビ神奈川)と『マツコの知らない世界』(TBS)というふたつのテレビ番組。「このふたつを組み合わせて、有隣堂らしさが活きるスタイルをつくりましょう!」と提案してくれて、いまの形になりました。
── 「有隣堂らしさ」とは、具体的になんなのでしょうか?
渡邉:それは、社員の「商品愛」ですね。有隣堂は本はもちろん、文具や食品などさまざまな商品を扱っていて、それらに関するプロが社内にいます。そうした社員たちは、自身が扱うモノ・コトに対する熱量がすごいんです。社員に出演してもらって商品について熱く語ってもらうことこそ「有隣堂にしかできないこと」だと考えました。
── 社内のいろいろな部署・店舗から社員が出演することによって、たとえば台湾の商品を扱うセレクトショップ「誠品生活日本橋」が有隣堂の事業であるという認知度が高まる、といった広報的な効果もあったと思います。動画一つひとつの企画にもそうした狙いが込められているのですか?
渡邉:いえ、動画の企画に関しては、「会社の意向」や「広報戦略」といったことは反映されていません。それよりも「動画としておもしろいか?」を第一基準にしています。
制作の流れとしては、企画考案は私たち有隣堂社内のYouTubeチームが行なって、プロデューサーのハヤシさんに提案し、OKが出たものが採用されます。私たちは社内で熱量をもった人材を探す。実際の動画では、コンテンツのプロであるハヤシさんやブッコローが「視聴者にとっておもしろいもの」に仕上げる。そのおもしろさが、結果として広報につながっているんです。
蔦屋書店もヴィレヴァンも出演。ライバルも巻き込むコンテンツ制作
── 「有隣堂しか知らない世界」の特徴として、自社社員だけでなく文具メーカーのような取引先、さらには蔦屋書店のようなライバル企業まで出演するところにあると思います。これも「有隣堂らしさ」を考え抜いた結果なのでしょうか。
渡邉:出版社さんや文房具メーカーさんといったお取引先さまは「有隣堂なら出てあげるよ」と快諾していただけることが多いです。これまで築いてきた関係性の深さは、歴史ある書店企業ならではかな、と思います。
蔦屋書店さんやヴィレッジヴァンガードさんといった同業他社さんへの出演依頼は、正直躊躇しました。でも、ハヤシさんが視聴者目線に立って「絶対おもしろいからやりましょう。依頼してみないとわからないですよ!」と背中を押してくれたんです。実際お声がけしてみると、蔦屋さんもヴィレヴァンさんもおもしろがってくれて、喜んで出演してくださいました。
── 「取り引き先」を持つ、企業ならでは の強みを活かしながら、ハヤシさんの客観性を加えて「おもしろい動画」を追求してきたのですね。店舗への影響はいかがですか?
渡邉:確実にいい影響が出ていますね。社員のなかで動画にもっとも多く出演している文房具バイヤーの岡﨑弘子(事業開発部 商材開発・店舗プロモーション課)がセレクトしたガラスペンを販売する「ガラスペンフェア」を開催したときには、日本全国からお客さまがご来店くださいました。その9割9分は「YouTubeを見て来ました」とおっしゃっていて、影響力の大きさを実感しましたね。
── YouTubeが意外な形でほかの事業に影響することもあったのでしょうか。
渡邉:有隣堂は小売業だけでなく、法人や公共機関を相手にした事業も行っているのですが、あるとき「YouTubeを見て有隣堂を知りました。ぜひ商談がしたい」という電話があって、契約につながったことがあったと聞きました。お相手は普段だったらなかなかお取引できない大企業だったそうです。地道な発信が大きな利益に結びついたことは、私たちYouTubeチームにとっても自信になりました。
有隣堂YouTube事業の課題とこれから
── 有隣堂には多くの店舗があり、全社的な一体感・帰属意識をもつことが難しいシーンもあるのではと感じます。YouTubeが、本社と店舗をつなぎ合わせる役割を果たしているという側面もあるのでしょうか?
渡邉:企業YouTubeは社内広報としても有効だと考えていますが、正直まだまだ上手くいっていないというのが現状です。まさにいま課題に感じているところですね。
有隣堂 伊勢佐木町本店レジ前にはグッズコーナーが設けられている
たとえばYouTubeで商品を紹介して、お客さまがそれを求めてご来店されても、スタッフがその動画を見ておらずうまくご案内できない、といったこともあります。
それに、社内の人材も全員が快く動画に出演してくれるかといったらそうではないです。有隣堂には社員が約360人、アルバイトなども含めた従業員は約2300人ほどが在籍していて、なかには「YouTubeは自分には関係ない」という人もいます。これだけ多くの従業員がいるなかで「全員が一致団結してYouTubeを盛り上げよう!」というのも無理な話。少しずつ少しずつ、社内でも仲間を増やしていきたいと思っています。
── 2月24日には書籍『老舗書店「有隣堂」が作る企業YouTubeの世界~「チャンネル登録」すら知らなかった社員が登録者数20万人に育てるまで~』が発売されましたが、鳴かず飛ばずで始まった企業YouTubeが出版社に書籍化を持ちかけられるまでに成長するというのも御社が掲げる「有隣の精神」が現れたストーリーのように感じます。
『老舗書店「有隣堂」が作る企業YouTubeの世界~「チャンネル登録」すら知らなかった社員が登録者数20万人に育てるまで~』(発行:ホーム社 発売:集英社)
渡邉:ありがとうございます(笑)。この本を出せたことは個人的にすごくうれしいことでした。私も最初は書店員として有隣堂に入ったので、「本が売れる喜び」は知っているつもりです。これまでにもブッコローのぬいぐるみなどのグッズは販売していましたが、やはり書店としては自社についての本が出版されて、それが売れるというのはこの上ないことです。
それに、社内での販売も行なったのですが、50冊用意した本が販売開始から30分ですべて売れてしまったんです。「友人や親戚にも有隣堂のYouTubeを紹介したいから」と複数冊買っていってくれる社員もいて。自社のYouTubeに興味を示さない人も多かったなかで、本が出たことで認められはじめたのかな、と思うと本当にうれしかったです。
── この本を、どんな人に読んでもらいたいですか?
渡邉:この本には、地味な地方書店がYouTubeを始めて、どんなふうに悪戦苦闘してきたかが率直に記されています。なので、もちろん視聴者の方々にはおもしろく読んでいただけるかと思うのですが、企業のなかでYouTubeを担当している方にも参考にしていただけるんじゃないかなと思います。
悩みや失敗は隠さずに書いたつもりです。こんな私たちでもなんとかYouTubeを軌道に乗せて、会社に貢献できている。答えがなく、迷うことばかりですが、同じように悩んでいる人に少しでもヒントになればうれしいです。