ITEM | 2019/07/29

「悪法(マイナス)」の是正はゼロだけじゃなくプラスにもできる。風営法改正に尽力した弁護士が考えるアカルイミライ【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

ある弁護士の人生を変えた、2010年のダンスクラブ一斉摘発

齋藤貴弘『ルールメイキング ナイトタイムエコノミーで実践した社会を変える方法論』(学芸出版社)は、勤務弁護士から独立して、日常的な法律相談・訴訟業務の相談や風営法改正の主導に勤しむ著者が、ルールをコントロールすることから社会を変えようと試み続けてきた記録である。

世の中には数々の問題があって、多くの議論が繰り広げられている。しかし、問題があまりにも広範にわたっていて、その網目から抜け落ちてしまう議題も数多い。

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問題をいかに解決するかという議題の前に、問題をいかに政策アジェンダに載せるかを検証することは極めて重要である。なぜそれが問題として取り上げられたのか? 取り上げられる問題と無視される問題の違いはどこにあるのか?(P17)

「無視されていた問題」が一気に「取り上げられる問題」となった一例が風営法である。風営法の制定は1948年に遡る。当時、ダンスホールやナイトクラブが売春の斡旋所も兼ねていたという実態があったため、客にダンスをさせる営業が、接待営業や麻雀営業とともに「風俗営業」とみなされるようになった。制定当時の社会背景から目まぐるしく時代が変わっても、風営法はそのまま残り続けたものの、それまでの規定では深夜0時以降の営業が違法、つまり日本のほぼ全てのクラブ(や深夜イベントを行うライブハウス)が違法状態にあるという、実態に合わない環境となってしまっていた。しかし、喧嘩や騒音などが目立たない限り警察はクラブを取り締まらなかったため、経営者は曖昧な基準に心を不安にさせられながらも、「目立つと摘発されるかもしれない」ということで声を上げることもできず、いわゆる「グレーゾーン」のグラデーションを崩さないように法改正に向けて動きを見せることはなかった。

ところが、2010年から一斉摘発がはじまり、その秩序は大きく崩れ始めた。そうした状況に対しても、クラブ経営者たちはなかなか声をあげることができなかった。こうして、約70年前の法律が業界内のタブーとして居座っている状況に居ても立ってもいられなくなった音楽好きの著者は、2013年に「ルールづくり(ルールメイキング)」の世界に乗り出した。

新しいルールづくりに必要な「翻訳作業」と「ふわっとしたリーダー」

意図せざるかたちで「取り上げられる問題」の土俵に上がった風営法に関する議論は、SNSを中心に拡大していき、業界内のタブーは音楽を愛する各界の著名人などによって外から破られる形となった。筆者の知り合いが監督したドキュメンタリー映画『SAVE THE CLUB NOON』(宮本杜朗監督)は、2012年に大阪の老舗クラブ・NOONが摘発されたことをきっかけに撮られた作品で(ちなみに2016年、同店の元経営者は最高裁で検察の上告が棄却されたことにより無罪が確定した)、その経緯は本書にも書かれているが、七尾旅人・ハナレグミ・いとうせいこうなどといった有名ミュージシャンの見解とともに当時の貴重なフッテージがおさめられている。

著者は、弁護士として風営法改正をどのような「フレーミング」でとらえるかに尽力した。「フレーミング」は公共政策学の一分野で、問題解決の方向性を示す用語だ。たとえば、少子化の解決方法として、出産・育児環境の改善だけではなく、女性の就労環境の改善にも注力していくことが大事だ。時には重点的な対策が必要な問題はあるが、あまり偏りすぎてもいけない。

風営法改正を例にとってみても、

・クラブで合法的に朝まで踊れることを目的にする
・ダンスが持つ価値を伸ばしていく
・夜間という時間帯の価値を伸ばしていく

というように、個人的・集団的なレベルで、多重なフレームが重なり合っている。「違法薬物の温床」という偏見を持つ人も多いクラブ空間の未来形成の必要性を、クラブカルチャーにゆかりがない人に説明するには当然困難が伴う。

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感性や体験を共有できていない多くの人たちに対して、その場が持つ価値をどう翻訳して伝えていくか。そのためには、かなり高度なコミュニケーションスキルが要求される。文化の世界(とりわけ夜の時間帯)と政治や行政の世界で語られる言葉は、同じ日本語ではあるがまったく異なる。双方の言葉に通じていないと翻訳は困難である。(P40)

粘り強く「翻訳」を続けた著者は、他者から自分が風営法改正のキーパーソンのひとりになっていることに気付かされる。約70年の間、30回以上の改正が行われてきたにも関わらず、一貫して「ダンスをすること自体」に規制がなされてきたこと、その事実に対して異を唱えられなかったことを前にして、たくさんの靄(もや)がかかっていたことだろう。その靄の中で新たな枠組みを模索していた著者は、意図せずして取りまとめ役的な存在となっていったのだ。

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さまざまな意見を引き出すために自分が出すぎてはならない。いかに多くのステークホルダーから共感を集められるかが肝である。仮に誰かカリスマ的なクラブプロデューサーが風営法改正を主導したら、その人が抱くクラブの世界観を具現化する風営法改正になってしまうかもしれない。 (P80)

こうしたマルチステークホルダー・プロセスは、風営法改正だけでなくプロジェクト・マネジメントにも応用できる学びに溢れている。がっちりとしたルールを形作るために、隙間にすっと入っていけるような、「ふわっとしたリーダー」が必要な場は今後も増えていくはずだ。

ナイトタイムエコノミーと、「約束されていない未来」の明るさ

2016年に改正風営法が施行され、取り締まり以外でクラブに訪れたことがなかった警察関係者による視察訪問や意見交換会も実現した。すべてが解決したわけではなく道半ばだというが、併行して著者はナイトタイムエコノミーの推進に視点を「リフレーミング」していった。

ナイトタイムエコノミーとは夜間に昼と全く同じ行動がとれる環境が実現すれば、より多くの経済効果が生まれるとして提唱されている概念のことで、夜間の安全確保、コンテンツの充実、場の整備によって経済活動をより活発にさせる方法を著者は模索している。

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日中の京都はインバウンド観光客で溢れかえっている。もはやオーバーツーリズムと言うべき状況であるが、夜になると一転、外国人観光客は街から姿を消す。京都の夜間活性化は消費の拡大だけではなく、観光客を夜間に分散させてオーバーツーリズムを軽減する狙いもある。(P140)

本書には、ナイト・メイヤー(夜の市長)というポストがあるアムステルダム、ロンドン、ベルリン、ニューヨークといった欧米の大都市、クラブやリゾートとして有名なスペインのイビザ島におけるナイトエコノミー拡大のための実践が紹介されている。

著者がナイトエコノミーに関心を持つのは、観光客の思考・行動・感情(カスタマー・ジャーニー)に考えを巡らせて経済活動の可能枠を広げて考えることは、働き方・生き方の多様性を推進することにもつながるからだということが、紹介が進むにつれて明らかになってくる。

終身雇用制度は既に崩壊し、約束された未来や安定を得ることは難しくなったが、代わりに人々は自らライフスタイルを選択していくことが可能となり、自分に合った豊かさを追い求められる時代に現代社会は変わりつつある。だがそうした状況でも、夜に経済活動が活発化することに対する反対意見は間違いなく多いことを著者は既に予測している。なぜならば、従来の画一的な社会システムにとって、多様なライフスタイルは邪魔だったからだ。

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風営法は、夜12時以降の飲食店での遊興やダンスを禁止していた。このような経済システムを安定的に駆動させるために、夜は寝て、昼に働くというライフスタイルが重要になる。同じ時間に出勤し全員一斉に仕事をする。そのためには享楽を煽る接待やダンス、射幸心を煽る賭博や遊戯は厳しく管理しなければいけない。(P235-236)

私たちの自由は法律という大きなフレームの影響下にある。本記事を書いている間にも、ベルリン(家賃が安いことにより世界各国からアーティストが集まってきていた)の家賃を5年間原則値上げ禁止とする法案のニュースが報道されたが、生き方が多様になった現代社会で、そのフレームはより柔軟で民意を反映したものである必要がある。しかし、柔軟すぎて形そのものが崩れ去ってしまっては元も子もない。時に個人個人が独力で、時に皆が手を取り合って協力し、ルールを繭のようにしっかりと紡いでいけば、未来へ跳躍できると信じさせてくれる一冊だ。