EVENT | 2019/07/10

クックパッド、ランサーズを急成長へと導いた、スタートアップの成功請負人が語る『逆境』の投資哲学|山口豪志(プロトスター代表取締役COO)

クックパッド、ランサーズといった気鋭ベンチャーの創業期にジョインし、急成長に大きく貢献してきた山口豪志氏。スタートアップ...

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

クックパッド、ランサーズといった気鋭ベンチャーの創業期にジョインし、急成長に大きく貢献してきた山口豪志氏。スタートアップの成功請負人として、幅広い分野でベンチャー支援を行っている。また30社以上の企業に経営参画する個人投資家としての顔も併せ持っている。

昨年、クラウドファンディングサイト『Makuake』で実施した自叙伝出版プロジェクトは目標金額50万円のところ、312万円と6倍以上の資金を調達した。そんな山口氏は、今年3月から長崎県壱岐市に移住したという。

スタートアップの波に揉まれながら、波乱万丈の人生を乗り越えてきた山口氏に話を伺った。

聞き手:米田智彦 文・構成:岩見旦 写真:神保勇揮

山口豪志

プロトスター株式会社代表取締役COO/株式会社54代表取締役社長

2006年からクックパッド株式会社にて、広告事業・マーケティング事業の創成期より参加、2009年の同社IPOにトップセールスにて貢献。12年より3人目の社員としてランサーズ株式会社に参画し、ビジネス開発部部長、社長室広報チームリーダーを歴任。15年5月に株式会社54を創業。2017年7月、プロトスター株式会社に代表取締役COOとして参画。日本のベンチャー企業・スタートアップのエコシステム創りに日夜奮闘中。2019年3月より壱岐島へ移住。著書に『0 to 100 会社を育てる戦略地図』(ポプラ社)、『逆境のビジネス略歴~山口豪志編~』(デザインエッグ社)がある。

現在34社に出資

―― 山口さんは29歳で投資家人生が始まるわけですよね。非常に早いですよね。

山口:クックパッドが上場したのが2009年の25歳の時で、若い割にまとまったお金ができたんです。その当時のストックオプションで得た金額は3000万円から4000万円になりました。お金の重みは感じてみないと分からないと思って、1800万円分くらい一気に現金化して、銀行から紙袋に札束を入れて家に持って帰ってきたんです。でも、怖いから夕方にはすぐに返しに行きましたよ(笑)。

ちなみに今年36歳の私が当時の私に言うことがあることがあるとしたらたった一つ、「株は売るな」です。だって、株って持っているだけで資産価値があるし、配当金もある。それを担保にお金も借りられるので、株は売るべきではありませんでした。だけど、当時は先輩も含めて誰もそういうお金の話は教えてくれなかったんです。

2011年にクックパッドを退職して、お金を塩漬けにしていてもしょうがないから、じゃあ何に使おうってなった時、それまでには南北アメリカ大陸と南極に行ったことがなかったので、全部旅に使おうと思いました。結局7カ月で800万円くらい使ったのかな。

ーー 結構使ったんですね。

山口:世界中を旅しながら、事業モデルを考えていた時、あの東日本大震災が起きました。私は茨城大学出身なので、友人が被災地に多く住んでいました。みんな東京や埼玉に住む場所や仕事も変わらざる得なくなった時、考えたのがクラウドソーシングの事業モデルです。時間とか場所に関係なく仕事が出来たらいいよねと。これが緩やかになったら、みんな働きやすくなるんじゃないか、と思って事業計画書を書いたんです。

その事業計画書をランサーズの秋好代表に見せたら、「俺が3年前に考えた企画書に似ているね」と言われました(笑)。彼と彼の弟はエンジニアとデザイナーで、2007年からサービスを運用していました。私は企画書だけでデザインやコーディングは出来ないので、一緒にやろうということになり、ランサーズに2012年3月にジョインしたんです。

しかし最後の最後で分かり合えないポイントがありました。365日平均睡眠時間1時間程度で働き、営業マンとしてどれだけ結果を出していても、秋好代表自身が100%株主であり、1株も持っていない私は、経営に関して一人の従業員としてしか関与出来ませんでした。株主である秋好代表とフラットに会話したくても、オーナーに絶対権力があるから結局は難しいと感じました。自分自身が経営に本当の意味でコミットメントするためには、出資して株主として一緒の船に乗るのがいいのではないかと思い、2013年から資金出資を始めたんです。

ーー 山口さんが投資するベンチャーを選ぶ基準はなんですか?

事業としてこれは絶対に伸びると確信して投資するケースの他にも、起業家自体が人間としてとても魅力的であり私が勉強になるという意味で投資することもあります。人に張るというニュアンスでしょうか。割合としては9:1とか8:2のバランスですね。起業家は社会実験を行っているので、その事業に投資をすることで裏側までも見られるのが面白いです。現在は34社に出資しています。

自叙伝執筆のきっかけは友人の死

―― 今は、株式会社プロトスターと株式会社54という会社をやっているんですよね。

山口:株式会社プロトスターはベンチャー支援の会社で、大企業と協業する形で新規事業を一緒に作るということがメインビジネスです。この他にも、『StartupList』という、起業家と投資家がつながって資金調達をスムーズにするウェブサービスや、『StarBurst』という起業家コミュニティを作り、ボランティアで起業家の支援して成長させるということをやっています。株式会社54は、完全にプライベートカンパニーで、講演会や社外取締役など、個人一人で動ける業務はこの会社で行っています。

―― 今回クラウドファンディングで自叙伝『逆境のビジネス略歴』を出版しました。そもそも普通の出版社から出そうと思わなかったんですか?

山口:出版社から本を出すのは結構大変なんです。何というか、自由に書けないじゃないですか。私が以前に出した『0 to 100 会社を育てる戦略地図』は、2年掛けて何度も書き直したんです。読む人の気持ちになったらこの言い方は分かりませんとか、言い回しが難しいとか。確かに、編集者の言うことはその通りなんですが、自叙伝においてはある程度自由に自分の言葉で言いたいことを書きたいと思ったんです。

―― そもそも自叙伝を書こうと思った理由はなんですか?

山口:1年前に登山家の栗城史多君が死んだことが大きかったです。栗城君とは、2015年に共通の友人を通して一緒に新大阪駅でイベントに登壇したことがきっかけで知り合いました。栗城君は必ず誰に対しても敬語で話して、めちゃめちゃ丁寧なんです。すごく繊細で優しくて、人の好き嫌いがなく、別け隔てなく人と付き合っていました。彼の壮行会に毎年参加していて、今年も無事に帰ってきてねと見送りをしたんです。

栗城君はどうせ出来ないという不可能の壁を壊したいと考えて、それが無酸素単独エベレスト登頂でした。その姿勢はすごく尊敬するし、素晴らしいと思いながらも、私の心の中では、不可能の壁を壊すというのは、手段としては山登りでなくても良くないかと思っていました。

栗城君自身も山登り以外の否定の壁への挑戦をしたいと考えていて、アプリを作って教育事業をやろうとか、かなり具体的に詰まったアイデアを持っていたようで、実際に段取りも進めていたようでした。栗城君に対して、山登りじゃない挑戦のカタチでもいいんじゃないという気持ちが自分の中で毎年大きくなっていったのですが、周りも盛り上がっているし、私はその気持ちを声に出して伝えることが出来ませんでした。

しかし昨年5月、栗城君は結果としてエベレストから帰って来ませんでした。本当は登山という手段に対して反対の声を上げれば良かったのに、周りの顔色を見て周りの意見に同調してしまってたんです。ズルいですよね。栗城君の遺体と対峙して、そんな自分がほとほと嫌になりました。私には人に言えない弱点だったり、人に話せない様な自分の嫌な過去がいっぱいあるのですが、そういうものを全部吐き出したくなったんです。

自叙伝は2冊あって、『逆境のビジネス略歴~山口豪志編⓪~』では、ビジネスマンになる前の私の原体験として重い話を書きました。『逆境のビジネス略歴~山口豪志編①~』はビジネスの話を中心に、苦しいクックパッド時代とランサーズ時代の苦悩といったベンチャーの珍道中が載っています。

―― 本というプロダクトにこだわった理由はなんですか?

山口:実は私の父親は大学教授で、本をいくつも書いていました。私の父親が書いた本は国立国会図書館に残るじゃないですか。私はそれに感動したんです。父親は私が二十歳のときに亡くなったので、大学の研究員、教授として何を成したかは、当時子供だった私は知りませんでした。でも、国会図書館で父親の残した学びが、時を越えて読むことができて、本であることの意味を感じたんです。私も自叙伝は、国会図書館に自分で納書しに行きました。後世に私みたいな奴がいたということを残して、私の子供たちが大きくなったときに、手に取ってくれたら嬉しいかなと。

『Yahoo!ジオシティーズ』も今年3月にサービスを終了したように、インターネットサービスなんかはいきなりホスティング辞めますとか、閉じますとか言うじゃないですか。だから、インターネットはどこか信用していなくて(笑)。

東京、香港、壱岐での3拠点生活

―― これから香港で、新たな事業を手がけるそうですね。

山口:プロトスターで香港に子会社を作ったんです。世界中に今必要とされているのは、シンプルに新事業、新産業を創出することで、そのコアは起業家です。プロトスターの存在意義は、起業したての起業家を支援できるようなプラットフォームを作ることで、これまで私たちは日本で起業家育成を行ってきたネットワークもあるので、この仕組みを香港に持っていきます。

香港で『Jumpstart Magazine』というフリーペーパーを発行している会社と業務提携して、その日本版を私たちは展開するのですが、香港のネットワークのある人たちと組んで、香港のベンチャーを日本に進出させるお手伝いと、日本のベンチャーを海外進出するお手伝いをやろうとしています。私も子会社社長として香港に渡って、どんどんビジネスを発展させようと思っています。

―― だけど、九州玄界灘の離島である壱岐に移住されたとか。それはなぜですか?

山口:香港と東京を行き来するので、本当は福岡に住もうと思っていたんです。しかしアジアに近く便利というメリットがある反面、女性が巻き込まれる犯罪が多いという不安点がありました。私の場合、妻と小さい娘が2人いるので、福岡から近いエリアで探しました。たまたま昨年5月のゴールデンウィークに誘われて、壱岐島に行ったんです。離島はそれだけですべてが完結していて、元々ちょっとした憧れがありました。壱岐島には温泉があったり、トレッキングもできたり、海ではたくさん魚が取れるし。壱岐牛というブランド牛や、野菜やお米も美味しくてとても気に入り、移住することにしました。

今後は、香港で2週間、壱岐で1週間プラスアルファ、東京で平日5日間のような3拠点生活をする予定です。

―― 2拠点生活者を指す「デュアラー」という言葉が流行語になりつつありますが、山口さんの場合は3拠点ですね。壱岐からの移動は不便じゃないですか?

山口:壱岐から福岡へはフェリーで2時間、ジェットフォイルだと1時間で移動でき、実はとても近いです。ジェットフォイルも毎日往復3便か4便あります。ジェットフォイルを使い、福岡で乗り換えて、東京まで4時間弱で行くことができます。あと壱岐空港もあるので、移動には困りません。

―― 意外と近いんですね。

山口:そうですね。壱岐はいいですよ。私の家は港の真ん前で、よく桟橋の先でサビキ釣りをしています。するとアジが1時間程度で25匹も取れるんです。小さいアジはすぐに素揚げで、大きいアジは干すネットに入れて、アジの開きやみりん干しにします。ガチで狩猟採取生活です。

子どもたちは壱岐の幼稚園に行っています。東京にいたときは、私立の幼稚園に行っていたのですが、みんなスクールバスで通っていて、家の近くに友達がいませんでした。あんまり幼稚園も好きじゃなかったようです。

でも、今は全校で20人しか生徒がいない幼稚園に通っていて、4、5人の先生がすごく手厚く面倒を見てくれています。子どもたちも幼稚園に行くのが楽しいみたいで、週末には早く幼稚園に行きたいって言うんです。まだ移住して3カ月ですけど、変わっているのが分かってすごく嬉しいです。妻も近所付き合いがちゃんとあるのが楽しそうで、充実して暮らしています。

―― 地方は閉鎖的な印象もありますが、その点に関してはどう感じましたか?

山口:壱岐島はいわゆる田舎特有のクローズドな感じはないですね。離島であり港町だからでしょうが、基本的には大らかで好奇心旺盛で友好的です。

島に男嶽神社という場所があるんですが、そこの神主の吉野さんが私と年も1つしか違わなくて、本当に良くしてもらっています。島の色んな人を紹介してくれたり、みんなで一緒に魚釣りに行ったりして、一緒に遊ぶことを通じてめちゃくちゃ仲良くなります。ビジネス的な付き合いどうこうではなく、本当に食事の場とか遊びの場での友達なので、そういう人間関係も島で得られました。

―― これからのデュアラーは島を目指せってことですね。

山口:ありだと思います。本当は、公共交通機関がもっと発展すべきなんです。重要なのは、衣食住医だけでなく、移動の「移」も含めた衣食住医移です。

衣食住医移と言った時、東京の方がコストが高いとみんな言いますが、私は嘘だと思っています。まず洋服代(衣)はECで買ったりファストファッションだったり、そんなに変わらないはずです。食費(食)に関しては、むしろ東京の方が安いと思います。東京は牛丼店やファストフードなどが充実していて食費を抑えることが出来ますが、地方はコンビニ弁当くらいしかないですし、食材を買って一から作ろうとすると結果としては食費は高くなります。

住居費(住)が地方の方が安いというのも真っ赤な嘘で、地方で本当に安いところは、結構ヤバい物件です。トイレが汲み取り式だったりとか、ホラーハウスみたいなボロ家だったりとか。地方で家族で暮らすため、普通の戸建てを借りようとするとそれなりに掛かります。なぜなら選択肢がほとんど無いんです。一方、東京は共同トイレで風呂なしの家賃数千円のところから、100万円代の高級マンションまでバリエーションが豊かなだけです。医療費(医)は全国一律でフラットですよね。

だけど、最後の移動費が問題です。東京の移動費は従量課金制で、移動したいときに電車やバス、タクシーに乗りますし、職場に通うだけならそれほどの金額は掛かりません。でも、地方はちょっと出歩くのにも車が必須です。車を壱岐で保有しようと思ったら、購入費を除いて、オイル代、ガソリン代、車検費用を合わせると、軽自動車でも年間18万円以上掛かるんです。普通車だと更に税金が高いので年間25万円以上掛かります。

地方の初任給は年収200万円切ります。手取り額だと140万円程度でしょうか。そこに先ほどの車の所有費が20万円くらいが絶対にかかるので、余裕のある生活は当然できません。移動費をみんながシェアできる環境を作らないと、地方や離島は住めません。公共交通機関が機能しない地域は滅ぶと思っています。移動に関わる事業MaaS(Mobility as a Service)をゆくゆくはやってみたいなと思っています。

* * *

ITベンチャーを成功に導いた個人投資家と聞くと、「意識高い系(笑)」と悪態をつきたくなるが、山口氏の半生は決して単純明快なサクセスストーリーではなく、まさに愚直で泥臭い戦いの連続だった。そして、その「逆境」は今もなお続いているようだ。

東京、香港、壱岐を股にかけ新たなチャレンジに挑む、山口氏の今後の動向に注目したい。