EVENT | 2019/06/28

格闘技を一過性のブームで終わらせない!メディア出身プロデューサーの『王道』戦略|中村拓己(K-1プロデューサー)

2000年代前半、日本中に巻き起こった格闘技ブームの中心に君臨した「K-1」。立ち技格闘技の世界最高峰のリングとして、ア...

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2000年代前半、日本中に巻き起こった格闘技ブームの中心に君臨した「K-1」。立ち技格闘技の世界最高峰のリングとして、アンディ・フグ、ピーター・アーツ、アーネスト・ホーストといった重量級の選手が熱戦を繰り広げ、人気を集めたものの2011年活動休止に。

そして2014年、装い新たにK-1が復活。日本人選手の活躍する軽・中量級にもスポットを当てて定期的に開催し、武尊という新たなカリスマを生み出した。今年3月、さいたまスーパーアリーナで行われた「K'FESTA.2」では1万6000人を集客し、かつてと勝るとも劣らない盛況を見せた。

一体K-1は、どのような戦略で格闘技界に再び新しい風を起こすことが出来たのか? 浮き沈みの激しい格闘技界において、100年継続する事業展開を見据える、K-1プロデューサーの中村拓己氏に格闘技記者経験のある編集長の米田が話を伺った。

聞き手:米田智彦 文・構成:岩見旦 写真:神保勇揮

中村拓己

K-1プロデューサー

1981年8月18日生まれ、福岡県出身。格闘技WEBマガジン『GBR』編集部を経て、2012年からフリーに。格闘技ライターとして活動を続け、K-1・Krushのテレビ解説を務める。『K-STYLES』創刊により、同マガジンの編集を担当。2018年12月17日、K-1プロデューサーに就任した。

「100年続くK-1」のため発揮されるメディア出身のプロデューサーの手腕

―― 中村さんは元々格闘技メディア出身ですよね。私も格闘技記者時代があったのですが、いつも会見や試合などの現場でご一緒していましたよね。格闘技記者からK-1のプロデューサーに就任した経緯を教えてください。

中村:元々プロレスファンで、その流れで格闘技が好きになり、格闘技の仕事を選ぶとなった時、消去法で選手やプロモーターを削って、最終的に残ったのが記者でした。格闘技ブームの兆しがあった2000年に上京し、『ゴング格闘技』のアルバイトとなり、大学卒業後は格闘技サイト『格闘技ウェブマガジンGBR(現・eFight)』の運営をしながら、格闘技専門誌で記事を書いていました。

2011年にフリーランスになって、最初に声を掛けてもらったのがK-1前プロデューサーの宮田充さんが手掛けていたKrush(現・K-1 KRUSH FIGHT)でした。会社員時代からずっと務めていた解説に加えて、公式サイトやパンフレットの製作をしていました。

2014年にKrushが協力する形でK-1が新体制でスタートしたのですが、引き続き仕事を依頼したいということで、オフィシャルライターのような形で関わったのが最初のきっかけです。それから少しずつK-1の仕事の比重が増えていき、公式YouTubeチャンネルの番組MCや公式フリーマガジン「K-STYLE」の編集といった仕事も受けるようになりました。2018年の秋に、若い世代のK-1スタッフを引っ張る新しいプロデューサーになってみませんかと話をもらって、昨年末から本格的にプロデューサーの仕事をしています。

K-1のプロデューサーとして運営に関するさまざまなことに携わっています。「K-1実行委員会」という形でイベントを開催しており、複数のチームがあるので、私もそこの話し合いに入って色々決めごとを進めています。

―― 今、K-1が成長しているという手応えはありますか?

中村:2014年にK-1が新体制になって、「100年続くK-1」を一つのコンセプトに掲げており、かつてのK-1と内容がかなり違うんです。

昔はボブ・サップとかチェ・ホンマンとか曙とか、重量級のモンスター路線のイメージが強かったと思います。現在は「K-1 JAPAN GROUP」と契約した選手で試合を組んで、イベントを行うスタイルに変わりました。日本人がより活躍できるように、軽・中量級も含めて体重別に9階級と細分化しています。またプロの大会もK-1をトップとして、K-1 KRUSH FIGHT やK-1 KHAOS NIGHTといった大会も開催しており、さらにジムやアマチュアの大会もあって、ピラミッド構造がしっかり作られています。

当初は代々木第2体育館で年4回開催していたのが、2017年にさいたまスーパーアリーナのコミュニティアリーナに進出して、2018年に初めてメインアリーナで大会を開きました。今年はさいたまスーパーアリーナの他、両国国技館、エディオンアリーナ大阪、横浜アリーナ、ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)と少しずつ会場の規模も大きくなり、全国展開が出来るようになりました。

もちろん1大会1大会、お客さんを入れて盛り上げるという勝負ではありますが、今のコンセプトを崩さずに成長できているなと感じています。

K-1の全国展開と、外国人選手を含めた世界観作り

―― そんな中で武尊選手というスーパースターも誕生しました。

中村:武尊選手がK-1に出始めた時は、特にずば抜けたカリスマ性があったわけではなく、一つの階級のチャンピオンに過ぎませんでした。彼が自らどんどん地位を築いていき、結果的に現状頭が一つ抜けた存在にはなっています。元々は全員にチャンスがあったと思います。

武尊選手のようなエースが出てくるのはもちろん嬉しいですが、そうでない選手にもスポットライトが当たることも同時にやりたいですね。今はSNSとか個人でメディアを持つことが出来る時代なので、かつての格闘技ブームとは選手の発信力も全然違います。局地的に人気がある選手が生まれやすい環境ではあるので、そういう選手が10人20人でてくることも新しい形だとは思います。

K-1と一緒に自分も大きくなりたいという気持ちがある選手がいると、プロモーターとしては助かります。6月30日の両国国技館の大会に出場するスーパー・バンタム級王者の武居由樹選手は、「自分もトーナメント3試合で武尊選手の試合を超えたいです。代わりというか自分がK-1を背負うつもりで戦いたい」とコメントに出していて、そういう選手が少しずつ増えてきてはいるので、わざわざ一個一個説明していなくても、選手たちには伝わっているのかなと思います。その中で誰が主役になっていくかなという感じですかね。

K-1 WORLD GP 2019 JAPAN ~K-1スーパー・バンタム級世界最強決定トーナメント~

―― K-1選手がメディア露出することも増えましたね。

中村:K-1はプロモーションをサポートする体制が整っていて、選手をマネジメントする別チームが同じグループ内にあります。試合する場所はあげます、あとは頑張ってくださいといった形ではなく、試合に紐づく芸能活動やメディア活動に興味のある選手は、同時進行で芸能の面で売っていくことが出来るのが強みです。

AbemaTVのリアリティショーなどに出演したことをきっかけに脚光を浴びる選手もいて、今の状況にうまくハマっているんじゃないかと思います。

―― 今年3月にさいたまスーパーアリーナのメインアリーナで開催された「K'FESTA.2」では、日本人選手と外国人選手の7対7の試合が組まれ、武尊選手が現役ムエタイ王者に勝利する衝撃のフィナーレを迎えました。外国人選手の発掘はどのようにお考えですか?

中村:「K-1 WORLD GP」という名前でやっているので、昔のアンディ・フグのような外国人の人気選手がいる世界観は華やかで魅力的です。今は細かく階級が分かれていて定着する外国人選手が作りにくい状況かもしれませんが、オランダのジョーダン・ピケオー選手は2015年から4年間、毎年2、3試合くらいしていて人気も出てきました。外国人選手でも日本人に好かれる選手が出てくると、またK-1の幅が出てくると思います。

今は、日本の地域でイベントを開催する全国展開プラス外国人選手を含めた世界観のようなものを作っていく段階なのかなと思っています。

K-1選手はK-1の世界の登場人物。他の団体の話はしない

―― 中村さん自身、メディアの出身ということで、K-1プロデューサーに転身したことで一番生きていることはなんですか?

中村:キャラクターの発信力でしょうか。K-1の選手たちは最初に大会の出場が決まると、まず記者会見でしゃべって、個別のインタビューと公開練習、前日会見、一夜明け会見でしゃべってと、4、5回公式の場だけで話す機会があります。2カ月前に試合が決まって、週に1回くらいはその選手の何かの情報を発信するわけですが、その中で大会当日にフォーカスさせ、盛り上がりの山場を作るようにしています。私自身が記者出身ということもあり、統一感を持って世界観を伝えることは、意識していると思います。選手の個性を受け入れ、あまりこちら側がこうして欲しいということをカチッと言いすぎず、道を整備してあげるイメージでしょうか。

一方で、選手の発言とか言葉のチョイスはとことんこだわっています。現在K-1はK-1の専属選手だけで興行を行っていて、他団体と交流をしません。K-1選手はK-1の世界の登場人物として、どのような話をするかをお客さんに楽しんでもらいたいので、K-1以外の団体についての発言は基本的にカットしています。例えば『ドラゴンボール』のキャラクターは他の漫画の話をしないじゃないですか。このような世界観とかストーリーを作る目線は、記者をやっていた側の独特のものなのかなと思います。

―― 今後のK-1の展望を教えて下さい。

中村:「K-1実行委員会」には、業界の先輩方がいるので、そういった方たちの過去の経験や反省点を踏まえて、「100年続くK-1」という最初のコンセプトが作られました。私もそのスタイルが格闘技のプロモーションとして生き残っていく理想形であると感じています。変にプラスアルファとかまったく違う要素を足すのではなく、今やっていることを大きくすることが一番やりたいですね。

アマチュアの大会も今年から東京に加え大阪で始まって、まだ2カ月に1回のペースですけど、究極は各地域全部でやるとか、全国で毎週アマチュアの大会をやるとか、K-1直営のジムも全国展開して47都道府県全部に作るとか、裾野を広げる方向の活動をしたいです。上だけ大きくなるとピラミッドがいびついな形になるので、下を大きくすることで、全体的に大きくするような形にすることを目指しています。

2014年に新たにK-1が始まって、最初は選手出身の前田憲作さんがプロデューサーになって、次に興行出身の宮田充さんが引き継いで、そしてメディア出身の私がバトンタッチし、少しずつ規模が大きくなったので、大会のステップに合わせてプロデューサーが就任していると思います。私の中で、今のK-1は格闘技イベントの理想形なので、携わらせてもらえるなら今後もずっと続けていきたいです。


K-1公式サイト