CULTURE | 2023/11/20

「うんこなう」が許される牧歌的なSNSよ再び
「state」を開発した清水幹太が語る、
仕事と趣味が切り分けられない時代にクリエイターは何をつくるべきか問題

聞き手・文・構成・写真:神保勇揮(FINDERS編集部)

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2023年9月、「絶対に流行らない」という触れ込みの新SNS「state(ステイト)」がリリースされた。

同サービスは「最新の投稿しか見られない」「ユーザーのフォロワー数は表示されない」「LikeはできるがRTはできない」「誰からLikeされたかはわからない」といった特徴を有し、

・炎上しない、牧歌的なソーシャルネットワーク
・ヒエラルキーが全くないソーシャルネットワーク
・言論空間をつくれないソーシャルネットワーク

をコンセプトとして開発された。要するに今のX(Twitter)のアンチテーゼ全部盛りのようなSNSである。

現在は招待制ということもありユーザー数を意図的に抑えているが、リリースに際して執筆されたnote記事は現在のSNSに対する危機感を共有する人の間で話題となった。

開発したのはテクニカルディレクター・コレクティブ「BASSDRUM」の設立者の一人である清水幹太氏。ハード、ソフトを問わず、クライアントの「こんなことができないか」という要望に対し、クリエイティブとテクノロジーを横断的に理解し、設計から開発、時には自らも手を動かして制作を行う人材(テクニカルディレクター)を率いる人物だ。

stateは現状、マネタイズを一切志向しないという意味において、清水氏も「アート作品」的だと称し、実際にたった一人で開発し運営しているが、一方で「こんなコンセプチュアルなクリエイティブも可能です」というBASSDRUMの宣伝になるという面もなくはない。

副業だプロボノだとさかんに言われる昨今、本業で趣味的なプロジェクトを立ち上げるのが良いのか、副業で自分個人のスキルを活かしていくのが良いのか、「仕事と趣味」のベターなバランスを取ることに悩む人も少なくないと思うが、清水氏はどんなスタンスでstateを開発したのか。その点についても話をうかがった。

清水幹太

BASSDRUM / テクニカルディレクター

デザイナー・プログラマーなどを経て、株式会社イメージソース、株式会社PARTYでクリエイティブ・ディレクター / テクニカル・ディレクターとしてシステム構築から体験展示まで様々なフィールドに渡るコンテンツ企画・制作に関わる。2018年、テクニカルディレクター・コレクティブ「BASSDRUM」を設立。

知らない人の「日々の営み」を見て癒やされる

清水幹太氏

―― リリースから2カ月ほど経ちましたが、手応えはいかがですか。

清水:やっぱり公開してみないとわからないことだらけで、毎日見ていて楽しいです。狂騒的に話題になったClubhouseやThreadsを横目に見ていたこともあり、こうしたサービスは少しずつ伸ばしていかなきゃいけないんだという確信もありましたし、実際急に人が増えすぎてもサーバー代で破産しますし。

―― 今はどのぐらいのユーザーがいるのでしょうか?

清水:アカウント数としては600ぐらいです。使われるペースとしては毎日の人もいれば3日に1回ぐらいの人もいますが、アクティブユーザーとしては常に200人ぐらいいます。各ユーザーへの招待コードも2週間に1回程度のペースで付与しているので、少しずつ増えている感じですね。

特徴的なのは、リテンションレート(顧客維持率)が高いことなんですよ。新規ユーザーのうち、公開から2カ月で、25%ぐらいが継続して使ってくれているという。

あと、ユーザー数が少ないときのあるべきUIと、増えてきたときのあるべきUIって違うんですよ。

ーー それはどういうことですか?

清水:投稿を見るためのタブが「フォロー(をしている人)」「最新」の2つあるんですが、「最新」は現時点だと全ユーザーの最新投稿を上から順に表示しているんです。

で、面白いのがユーザーが「フォロー」の方を多く使うと思いきや、ほとんどの人が「最新」を使っているんです。今のXと違って「誰それが酷い発言をしている」みたいな投稿は全く上がらず、牧歌的なことを書き込んでいる人たちの日々の営みが見えるから良いんだと。

ーー 初期のThreadsで一番イヤだったのが「投稿の更新をするとフォローしている人の発言が全く表示されないうえに、好きでもない芸能人の投稿が大量に出てくること」だったので、普通の人たちの営みが見えて良いという気持ちはよくわかります。

清水:そう言ってくれる人が多いんですよね。「うんこなう」的な発言が存在できる状態が具現化されていて最高なんです、って。これは街の雑踏と同じなんですよ。人々が今日を営んでいる姿を見ることで、寂しさを紛らわせる装置として機能する。

で、雑踏にいる人の顔って基本的に覚えてないじゃないですか。でも「最新」タイムラインをずっと見ていると知らないおじさんの顔アイコンとかもたまに出てくる(笑)。雑踏にしてはちょっと人の顔の距離が近いですよね。

そんなことを指摘されてなるほどと思ったんですが、思いつきで10月下旬に、全ユーザーのアイコンが色違いの猫のイラストになる「猫モード」を実装しました。これは「最新」タイムラインのみに適用されます。

ーー それこそXでは「こういうアイコンの人は、こんなやらかし発言をしがち」的な負の記憶が積み重なってしまっているので、確かに猫モードを使ってみるとそれを気にしなくていい、気楽な感じがしました。

清水:私も仕事の案件で「この機能を実装するとユーザーはこう思うんじゃないか」といった机上の空論をああだこうだこねくり回しがちなんですが、やっぱり不完全な状態であっても、とにかくユーザーにぶつけるというのは本当に大事だと改めて痛感しました。

あと、stateは完全に私一人で好きなようにコントロールできるということも良い方向に働いていると思います。誰かから要望を言われれば、自分が持っているプロダクトに対する憲法みたいなものに即して応える・応えないを決めればいい。誰にも忖度する必要がない。もしかするとこれはイーロン・マスクがXに対して感じているカタルシスに近いとすら言えるのかもしれません。

「Twitterへの危機感」が共有されなかった時代の前身サービスたち

かつて清水氏が開発に携わった「mnmm」

―― このstateを開発する前に、「mnmm(ミニマム)」という、前身となるSNSを2016年7月にリリースしていますね。

清水:はい。stateの原型になるようなコンセプトでリリースしていましたが、当時は周囲もほとんど共感してくれませんでした。

私がTwitterのアカウントを作ったのが2009年1月でしたが、「これからはソーシャルメディアの発展によってより多くの人の声が届けられるようになる、民主化が進む!」的なことを言われていることに同意できず、「むしろ退化なんじゃないか」と思っていたんですよ。

ーー 当時は楽観的な空気が支配的でした。

清水:そうですね。私が子ども時代だった90年代はフジテレビ全盛期で、カルチャーを支配しているかのようにも思えていました。マスメディアの中で展開されている世界が向こう岸にあって、そこですごく楽しいことが繰り広げられている。選ばれし発信者たちと、それを消費するだけの愚民どもみたいな構図がずっとあったんです。

私はオタクの側なので、インターネットが登場して「ようやく自分たちの居場所が見つかったね」と思い、ものを作ったりネットで発信したりしていました。ですがソーシャルメディアは拡声器なので大きな声が出せる人の発言がより届くようになる、つまり「フジテレビが支配するようなマスメディアが再生産されるだけだ」という危機意識を持ちました。

ーー 一応は当時も「これで小さな者の意見もより広まるようになるはずだ」と希望を抱く人も多かったですが…。

清水:おっしゃることもわかります。でも、結局は皆が数字に囚われざるを得なくなってしまう構造自体が「退化」に思えて仕方なかったんです。

なので当時から、ソーシャルメディアを茶化すようなプロダクトをいくつか作ってきたんですよ。例えば2014年には「Super Important Tweet」というサービスを、トムという当時の同僚と一緒にリリースしました。文字を画像化したら声を大きくできて目立つだろうと。アメリカでは結構注目されて、The Webby Awards(ウェビー賞)というネットのアカデミー賞みたいなアワードももらいました。

Super Important Tweet

もうひとつが、Twitter APPを用いた「Goodbye Unfollower」というサービスでです。

―― これはどんな内容ですか?

清水:Twitterのフォローが外された際、相手に「さようなら。今までありがとう」という手紙の画像をリプライで送るようにするというものです。コンセプトは「フォロワーが増えようが増えまいが、どうでもいいじゃないか」ですね。

Goodbye Unfollower

当時、有用な情報、面白い情報を書かないとフォロワーが減るということに対して、すごく恐怖を抱く人が増えてきた時期だったんですよ。

―― 趣味ごとにアカウントを分ける人も多いですし、実際に「日常の話とかするのやめてください!」と突撃する人も少なくありません。

清水:そうそう。ちなみに私は大相撲が好きなんですけど、相撲関連のツイートをすると如実にフォロワーが減ります。

こういった、ソーシャルメディアに対するある種の批評みたいな活動を、ただ文句を言うだけじゃなくてコードを書いて発信していたんですが、その延長線で作ったのがmnmmでした。

―― mnmmのサービス開始って、実は米トランプ政権が誕生する4カ月前なんですよね。「SNSは本当にシャレにならない混乱を生み出してしまうのでは」と多くの人が危機感を共有し始めたのはこれ以降だった印象があります。

清水:mnmmは当時、PARTYのプロダクトとして4人ぐらいで開発しました。デザイナー、フロントエンドデベロッパー、バックエンドデベッロッパーに加えて私という体制で、企画・立案だけして実際に手を動かす作業は忙しかったこともありほとんどできなかったんですが、他のメンバーが誰もピンと来ていなかったので、モチベーション維持も大変で。

ただ、自分も本来は手を動かせるし、BASSDRUMを立ち上げたり、TwitterがXになって壮絶な自爆をしたりとうつろってきたタイミングで、ただ文句を言っているだけじゃなくてまたやってみるかとstateを作ったというのが開発の経緯です。

本当に辛かった2010年代のインターネット

―― 少し話が戻るのですが、清水さんにとって「SNS以前のインターネット」はどのような点に居心地の良さを感じていたのでしょうか。

清水:これは父からの影響が大きいんですよ。私の父は清水鱗造という人でして、彼はずっと詩や批評を書いてきました。パソコン通信なんかもやっていた人間ですが、ある日おもむろに自宅サーバーを立てて、自分のサイトを立ち上げたんです。もしかすると日本で最初に自作の詩をアップした人かもしれない。

で、彼のホームページにどんどんどんどん、もの好きたちが集まってきてコネクションが形成されるんです。私も大衆的なものよりはマイナーな文化を好むタイプなので、リアル世界では周囲で趣味の話ができる人間がほとんどいないのに、ここではできるなんてすげえ、と素直に感動したんですよ。

当時、私が大相撲ファン同士のオフ会に行った時も感じたことなんですが、やっぱりみんな「小さいころは本当に孤独だった」と言うんですね。自分だけが相撲雑誌を読みまくって、この「力士は西幕下筆頭で5勝2敗なので上がれなくてかわいそうだ」みたいな話を誰ともできなかった。

ーー ただ、2010年代前半ぐらいまでの「ネットで稼ぐ」が前景化していなかった頃、あるいは今でもSNSを通じてそうやって同好の士を見つける機会は少なからず発生しているとは思います。

清水:それはおっしゃる通りです。でも不可避的に、目立つもの、映えるものはラッセンの絵や、ヒットチャートの音楽的なものばかりになってしまうのが残念なんですよ。

ーー そうですね。SNSの「罪」として近年大きいと思っているのは、主に政治や芸能人スキャンダルの話題で「友達が簡単にできすぎてしまう」ということにあると思っています。左右問わず下品なインフルエンサーが声高にやっている非難をそのままコピペすれば、すぐにいいね・RTが集まりフォロワーも増える。本人は「正義の味方」になれたつもりで毎日が楽しくなるものの、やっていることは他人を追い詰める誹謗中傷に過ぎないという。

清水:それもあると思います。結果的に2010年代は私が危惧した通りの流れになってしまって、本当に辛かったんですよね…。

つくりたいものなんか無い。クリエイターの苦しみをどう乗り越えるか

清水:今のところ、stateが上手くいっているとすれば、その要因は「一人で作り、一人で運営しているから」に尽きると思ってるんです。VCから資金調達していたり親会社がいたりすると、絶対にユーザー数増加を求められるじゃないですか。

ーー 絶対にそうなりますね。

清水:一人でやっていると「今は無理にユーザーを増やさなくてもいいかな」「マネタイズもしなくていいかな」というような、全てサービスのフィロソフィーありきで物事を判断できるんです。自分で考えて自分の手でつくれて、ある程度発信できてしまうという人は世の中にそんなにいないということもあり、競合もそこまで考えなくていいですし。

―― ちなみに清水さんはstateをどれぐらいの期間でつくったんですか。

清水:1日1時間の作業を日課としてやっていて、5カ月かかりました。すごく孤独な作業ではありましたが、商業的な動機ナシでSNSを作る人もほとんどいないはずだということで、これは一種のアートプロジェクトなんだと言い聞かせながら作業していました。とはいえ一応は私がやっているBASSDRUMで「こんなこともできますよ」というプロモーションも兼ねてはいますけどね。

ーー 完全に趣味だと割り切るプロジェクトはそれで良いとして、自分の本業に関連する、あるいはフリー的に請けられる余地が少しでもある分野だと、どういう姿勢で望むのがベターなのかがわからず、モヤモヤしてしまうことがあります。

清水:これはあくまで私のケースですが、「プログラミング、ものづくりなどの能力を活かして、クライアントが思い描くアウトプットを形にする」ことがBASSDRUMの本業としてある中で、やっている内容自体はstate=個人プロジェクトとあまり大きな差はありません。ただ、実際に自分が手を動かすことを止めてしまうとどうしても理論屋の側面が強くなってしまいがちで、それは本業においても悪影響を及ぼしかねないという事情があるんです。

クライアントと、ものづくりをする人の間に入る中間業者のような仕事をする中で、やはりものづくりをする人の気持ちを常にわかっている必要がある。「元野球選手じゃないとプロ野球監督にはなれません」みたいな話です。加えて自分が経営者として「個人活動も色々やっていきなよ」と推奨している立場として、率先してやらなきゃダメだろうということも念頭にあります。

ただ一方で、個人でも創造的なことができる人間のみが偉いという話をしたいわけでもないんです。

ーー それはどういうことですか?

清水:簡単に言えば「世の中には受注型の人も必要」ということです。テーマを与えられて、制約がないとものをつくれない、作家性みたいなものとあまり関係がない職人さんタイプの人も世の中にはいて、それはそれで尊重されるべきなんですよね。愚直に良い質のものをつくれる人は当然尊いわけです。

私はたまに学生の就活関連の話題でインタビューされることがあるんですが、特にクリエイティブ業界志望の人の中には「何かものをつくらなきゃ!」という強迫観念に近い感情に苛まれている人が少なくありません。でも、自分がつくりたいと思うものは特になくとも、ものをつくることは好きなんだ、仕事にしたいんだという人は少なくないはずです。

ーー その通りだと思います。

清水:そうした人たちの中にも、才能を持つ人がいる可能性は全然ある。だからそういう人も不安がらず業界に来てほしいという話をよくするんです。今はちょっと、ある種の作家性を追求すること、自己実現みたいなことに対してすごく価値を置きすぎている社会だよねとすら思うところもありますし。

ーー 世の中には社会課題が山積みだからそれを絡めたプロジェクトをやろうと思っても、自分が強い興味を持ち続けられる、あるいは何らかの当事者性を有する課題が都合良く目の前にあるかというと、大抵はないんですよね。それで「自分はそういうセンスが無いんだろうか」と悩んでしまったり。

清水:課題、見つからないですよね。私自身、1年半ぐらい前にアメリカから日本に帰ってきて、正直ちょっと仕事に飽きてしまっているところがありました。自分がやっている仕事を通じて、一緒にやっている仲間たちに対してより良いものづくりの場を提供するということはできている自負はあったものの、自分自身が手を動かして何かをつくるということができなくて、フラストレーションが溜まってしまっていて。

じゃあ何かつくれよという話になるんですが、つくりたいものがなかったんですよ、全く。何もモチベーションが湧かないし、新しいテクノロジーには完全に不感症になっていてヤバいぞという自覚があって。これはもう仕事を辞めるべきなんじゃないかというぐらい落ち込んでいました。

そうして苦しむ中で、海外で仕事したら何かできるかもしれないと思ってアフリカでの仕事をつくってみたり、とにかくジタバタしながら、何をどうすれば自分がクリエイターとして再びモチベーションを取り戻せるのかと七転八倒した結果、生まれたのがこのstateなんです。

ーー なるほど。

清水:公開前は「こんなサービスは流行らないだろう」なんて言ったりもしましたが、ユーザーさんからポジティブな反応をもらってガチ泣きしてしまったんですよ。反応が嬉しくて、ここをもっと改善したいというモチベーションが生まれて、「あ。俺、まだモチベーションあったわ…」と思えたことに対して。

ものをつくっている人は、同じものを期待されてつくり続けていると飽きるんです。そこから脱却する方法は一つではなくて、いろんな道筋があると思うんですよね。半年休んでみるとか、とにかく思いついたことを全部やってみるとか。でも基本的にはずっと苦しい。そのトンネルを抜けて何かを見つけるのは、苦しいし時間がかかると思うんですよね。

自分で言うのもなんですが、「飽きる人」は「真面目な人」なんだなと思います。いつもこうやって同じことをやっていて大丈夫なのかという疑問が湧いてきてしまうし、同じ立ち位置にいることがストレスになっていく。傍から見れば「お前はそこそこ色々やれてきた立場だろう。贅沢な悩みをしやがって」と思うのかもしれませんが。

ーー ただ一方で、「何十年後も同じことだけしていれば良い仕事」というのも、今はほとんど無くなってしまったように思います。だからこそ、清水さんがおっしゃるお話は「恵まれた人の贅沢な悩み」ではなく、現代的かつ普遍的な悩みであるようにも感じました。

清水:確かにそうですね。私なんかも、やりたいことがわからなさすぎて、今年二級ボイラー技士免許を取ってみちゃったりして(笑)。

なんでこんなことをやっているんだと自分でも思っていましたけど、やりたいことがわからないからとりあえず今まで興味がないことに手を出そうと思って、突然勉強を始めたんです。何か直近の仕事につながるような収穫があったかといえば無いんですが、それもある種の苦しんだ証拠なんですよ。