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認知症になって「わかったこと」―貴重な当事者たちの本音―【ブックレビュー】
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  • 2019.04.15
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認知症になって「わかったこと」―貴重な当事者たちの本音―【ブックレビュー】

神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

http://y-jimbo.com/index.html

認知症を取り巻く負のサイクル―話せない当事者、誤解する周囲

奥野修司『ゆかいな認知症 介護を「快護」に変える人』(講談社)は、「認知症とは何か?」を定義することなしに、認知症当事者の取材を12章に分けて紹介していく。

あえて定義しないのは、その必要がないほど認知症は身の回りや自分の身に起きることとして認識されているからだ。しかし、ありふれているがゆえに、私たちは認知症や当事者のことを誤解していないだろうかと、本書は読者に揺さぶりをかける。

著者には若年性認知症と診断された兄がいた。晩年は認知症が進行して言葉を発することができず、呼びかけにも答えなくなり、しだいに会いに行かなくなったという。ノンフィクション作家である著者は、当時終末期のがん患者から話を聞く機会が多くあった。その後兄が亡くなってしばらく経ってから、「晩年の兄は本当に何もわからなかったのだろうか」という疑問が湧き上がった。

冷静に考えたら、「わからなくなった」と判断した理由が、会話できなくなったことと、呼びかけに反応しなかったことだけです。でも、それは終末期のがん患者にも似ています。つまり、僕の中にあった認知症に対する誤解と偏見が、「わからない」と判断させたのではないか。そう思ったのです。(P3)

この自分自身の気づきに著者は突き動かされ、認知症の当事者にインタビューするという試みをはじめた。2011年頃を境に、当事者たちが書いた本が出版されたり、スコットランドの先進的な取り組みがテレビで紹介されたりして、認知症を取り巻く環境は徐々に変わってきたという。

取材を進めていく内に、実名で応じてくれる当事者の数少なさに著者は直面する。そして、人の性格が十人十色であるように、当事者たちは何がわかり、何がわからないのかという線引きも様々であることを発見していく。この多様さもまた「認知症とは何か?」という定義が、本書の冒頭でなされない所以の一つだろう。

「わからなくなってしまう」という恐怖―欠落と不足の違いを知る大切さ

何かがわからなくなるということは、恐怖につながりやすい。ごくごく日常的なことで考えてみよう。

卵かけご飯を作るために卵を割ったのに、それをご飯にかけるということが思いつかない(あるいは「卵を割る」ということ自体を思いつかない)としたら? ひもを結ぶ空間認識能力がなくなってうまく靴ひもが結べない、あるいは靴ひもを結ぶことの意味自体がわからないとしたら? 電車で出かけている途中に、どこに向かっているのかわからなくなってしまうとしたら?

自分がそのように「わからなくなってしまう」ことも怖いが、実際そのように「わからなくなってしまっている人」を目の前にすると、どう接すればいいのか慣れていないと戸惑ってしまい、恐怖や忌避の感情につながってしまう可能性がある。

本書を読むと、周囲の環境が認知症当事者を変え、当事者もまた環境を変えていくというやり取りの積み重ねが、そうしたネガティブな感情を退治してくれることがわかる。39歳の時にアルツハイマー型認知症と診断された男性は、ある時中学・高校の部活のOB会に誘われた。「次会う時に皆のことを忘れていたらごめん」と冗談交じりに彼が言うと、「おまえが忘れても俺たちが覚えている」と友人たちは彼に言葉を返したという。友人たちは「忘れてしまう」ということを「欠落」ではなく、補うことが可能な「不足」であると捉えたのだ。

これから多くの人の顔を忘れてしまうかもしれません。でも、みんなが私のことを忘れないでいてくれるなら忘れたっていいじゃない、そう思ってこれから生活していこうと思えるようになりました。(P22)

やはり人間というのは、文字が示す通り、人の「間」で生きていくものなのだろう。「忘れていい」という発見を周囲が与えることで、伝達手段や意思表示など、当事者の表現はより豊かなものとなる。このように、認知症の人とのやりとりは誰との間でも多彩なものになり得ることを本書は教えてくれる。

「わかるようになる」筋道を、快く共に探っていける環境

携帯電話による連絡や、スマホアプリは認知症の人々の大きな支えとなっている。家への帰り方がわからなくなって電話をかける、約束を忘れないように工夫してアラームをかける、乗り換え案内画面を人に見せて案内してもらうなど、「わからない」なりに工夫をこらして当事者たちは人生を歩んでいる。

認知症になったらお終いだと思う人もいるかと思います。しかし、それでも、認知症になっても人生は終わらないし、まだまだ自分にできることがいっぱいあります。もちろんできないこともいっぱいあります。それでも、腫れ物に触るような接し方ではなく、人は人、私は私だから、自分のことは自分で決めていきたいと思っています。(P163)

「わかるようになる」という体験は、当然なことながら認知症当事者たちにも訪れる(しかし、「何もかもわからない」と認知症の人のことを誤解していたら、そうとは思い至らないかもしれない)。テクノロジーを味方につけて、新鮮な驚きや発見をしていくという点で、認知症当事者と当事者以外の人生は何ら変わりない。

あるとき、迷ったら右や左をうろうろするんじゃなく、元に戻ればいいんだとわかったんです。あとは決めたルートから外れないこと。それからは迷わなくなりました。ときどき知らない道を冒険したくなるけど、ね。(P194)

筆者は本書を読んで、映画監督が脳内で行う「演出する」という思考回路は、認知症の人とのコミュニケーションに一役変えるのではないかと思った。映画を撮っていると、様々な不都合が発生する。引き戸を想定していたのに開き戸のロケーションしかなかったり、快晴を撮りたいシーンで大雨になったり、川をボートで行くシーンを撮ろうと思ったら雨不足で川が干上がっていたり……実に様々だ。そのように何か不都合が起きた時、演出家は「別の方法でそれを表現することができないか」と他の選択肢を模索する。

電気をつけるのは足し算なんです。消すのは引き算。ドアを開けるのは足し算で、閉めるのは引き算です。計算ができないから、電気はつけたらつけっぱなし、ドアは開けたら開けっ放しです。黙っていたらテレビも一晩中つけっぱなしです。(P263)

認知症の奥さんを持つ男性は、このように認知症のメカニズムを語っている。足し算・引き算ではない方法で、電気やテレビのスイッチをオン・オフすることはいかにして可能かと、筆者は想像を凝らしながら読み進めた。

計算については、財布の中の小銭が数えられないという実例も紹介されていた。これについては、キャッシュレス決済が大きく貢献するのではないかと思った。今やカードやQRコードを出せれば、もはや数をカウントする必要はないのだから。

このように、本書は認知症当事者たちの貴重な生の声から、認知症に対する暗いイメージを払拭する足がかりを与えてくれる。認知症を取り巻く環境や、社会全体を明るい方向に進化させていくのに必要な「愉快さ」「快さ」を、ぜひ感じ取ってみてほしい。


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