CULTURE | 2021/10/27

機内で隣席の黒人が「ボブ・サップに勝った」というのでフェイクニュース流すな!と言ったら…【連載】アクティビスト・小玉直也の「こんな人生があるのか!?」(3)

現在はジャーナリスト活動やさまざまな社会貢献活動を行う小玉直也氏は、戦場ジャーナリストでもないのに、数奇の運命に翻弄され...

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現在はジャーナリスト活動やさまざまな社会貢献活動を行う小玉直也氏は、戦場ジャーナリストでもないのに、数奇の運命に翻弄されるがごとく、ハプニングの連続にさらされてこれまで生きてきた。破天荒な大学時代、金融先物取引の会社でのサラリーマン時代へ。その後、思い立って、イラクへ飛んだり、スマトラ沖地震のインドネシアへボランティアに行ったりNPO法人を設立したりと精力的に活動する、驚愕のハプニング連続のアクティビスト・小玉氏の人生を追う!

小玉直也

特定非営利活動法人アースウォーカーズ代表理事 フリーカメラマン

1971年宮崎県生まれ。大学まで宮崎で育ち1994年大阪で就職。3年後に退職してNPOやNGOに関わり2003年~04年イラク戦争中のバクダットに行き現地病院の医療支援や日本とイラクの学校の橋渡しや平和交流などに携わる。また現地で米軍に拘束され尋問を受ける。その年の朝日新聞広告賞入賞カメラマンに選ばれる。

聞き手:米田智彦 文・構成:神田桂一

隣で格闘技雑誌を読んでいる黒人が「俺はボブ・サップに勝った」と言い出した

2003年のイラクでの支援に行く際に、オランダのKLM航空を使って、アムステルダム経由でイラクに入っていました。ヨーロッパへ行く飛行機は、12、3時間のフライトになるから、リラックスするために、肘掛けがついているんです。でも、たまたま、隣に乗った人が体が凄くデカくて、アフリカ系の方だったんですけど、座った時に腰が収まらなくて、肘掛けを上にあげて座っていたんです。僕も普通の日本人と比べると、かなり体がデカい方なんですけど。

窮屈で、ちょっと勘弁して欲しいと思いながら我慢して座っていたんです。フライト中に、ふと横を見ると、その人が、オランダ語の雑誌を読んでいるんです。オランダ語だからもちろん何を書いているかわからないんですけど、ボクサーがグローブをつけてファイティングポーズをしている写真が掲載されていたんです。

私はボクシングのバンタム級世界チャンピオンの戸高秀樹と知人で兄の伸二と仲良かったので、家に行った際に弟の秀樹も話したりしていたんです。だから、その隣の人に話しかけてみたんですよ。「ボクシング好きなんかい?」って。「俺の知り合いに世界チャンピオンがいるよ」って話しかけたんですよ。当時まさにチャンピオンだったこともあるので。そうしたら、話に食いついてきて、「誰だ!?」って聞いてきたんですよ。だから「戸高秀樹だ!」と答えたんですけど、「知らんなあ、俺はヘビー級にしか興味がないんだ」って言ったんです。

そして、あろうことか、「一昨日の試合で、ボブ・サップに勝った」って言うんですよ。「いやいやいやいや、それはないわ」と思って(笑)。俺が戸高秀樹の知人と言っても、友達の友達の友達のことを友達と言うヤツもいるから、別に信じなくても良いけど、「ボブ・サップに勝った」は、さすがになしだわ!と思って。「そんなフェイクニュース、いらんわ」と言ったら、その人はめっちゃムキになって、上に仕舞ってある荷物を出してきてスポーツ新聞を取り出したんです。そうしたら、その隣の人がK-1でボブ・サップに勝ってガッツポーズしてる一面が出てきて。「うわ、本物やん!」となって。その人、K-1 WORLD GPで3度の優勝を果たした、レミー・ボンヤスキーだったんです。

隣の席に座っただけなのに、VIP扱いされる

レミーと奥さんと3ショット

私は、格闘技は普段観ないんですけど、そこからチャンネルがガチャガチャと入れ変わって、「残り11時間ぐらいフライトがあるうち、多分この人は5、6時間ぐらい仮眠を取るはずだから、俺に与えられた時間は残りの4、5時間。食事やトイレとか除いて、そのうちの半分の2、3時間は話すチャンスがあるはずだ」!」と計算したんです。その2、3時間でこいつとどれぐらい仲良く慣れるかが鍵だな、と思いながら、さまざまなコミュニケーションをとって盛り上がっていくんです。あと気になっていたことに、周りにも同じような体がデカい人が2、3人いたんです。あの人たちもK-1選手なのかなと思って、全然トイレに行きたいタイミングじゃないのにその人たちがトイレに行ったと思ったら尾行するかの如くトイレに並んで、飛行機のトイレとか食事の後に並んだりするじゃないですか? 並んでいる間に話しかけたんです。そうしたら、やっぱり、K-1 WORLD GP を4度も優勝した、アーネスト・ホーストの代理人の人で(笑)。話がこれまた盛り上がって、オランダに着いた後は、もちろん目的のイラクの首都・バグダッドに子どもたちの支援に行くんですけど、バグダッドの帰りにオランダに経由した際にレミーのジムに行ったり、アムステルダムでアーネスト・ホースト本人と会って、ホテルまで迎えに来てもらって空港まで送ってもらったり、楽しい経験をさせてもらいました。

レミーのジムにて。

レミーは、ボブ・サップに勝った後、その年の大晦日、K-1のタイトルマッチがあって、それまで年末年始を東京で過ごしたことがなかったそうなんですけど、あの時出会ったレミーに会えるんだったら!と思って、彼らが泊まっている品川プリンスホテルの近くのビジネスホテルに泊まったんです。品川プリンスはちょっと高くて僕には泊まれないと判明して。それで、毎朝、品川プリンスに行って、ホテルのラウンジで、一杯1500円くらいするコーヒーを飲みながら、選手たちがラウンジに降りてくるのを待つんです。

しばらくするとレミーやアーネスト・ホーストも来て、話しかけると盛り上がってまた距離が縮まって。選手たちも他の関係者やマスコミも、みんな私がK-1関係者で品川プリンスに泊まっているレミーの知人と勘違いしてて。レミーがチャンピオンになった夜も先にホテルのロビーに帰り待っていると、K-1関係者が戻ってくる。レミーはメディアに囲まれて忙しそうにしている時に、他のレミーのスタッフたちが「お前も行くんだろう?」と声かけられ、よくわからず「オフコース!」とついていくとレミーの優勝祝賀会の打ち上げの会場だったりして!(笑)。たまたま飛行機で隣の席に座っただけなのですが、その打ち上げに参加した日本人は私だけでした。会場は六本木のハードロックカフェで、もちろん優勝賞金を獲得したレミーが全員分ご馳走してくれて。

六本木のハードロックカフェで行われたレミーの優勝祝賀会。左が日本人として唯一参加した小玉さん。

ともかく、そこにいる人たちに僕を覚えてもらうために何が出来るだろう?と、それだけを考えました。祝賀会は2、3時間以内で終わるはずだから、最初の20分ぐらいはツーショット写真をひたすら撮って、50枚は撮りました。その後、速攻でカメラのプリント屋さんに全部2枚ずつ焼いてくれ、集合写真は20枚ぐらい焼いてくれとお願いして、写真をプリントアウトしてもらったんです。30分くらいで出来上がるので、祝賀会場に戻って名刺と一緒に写真をみんなに配ったりすると、「今プリントアウトして来たのかい!?」と言って、みんなびっくりして喜ばれて色んな人に僕の名前を覚えてもらったんです。ちなみにそれまではK-1は観たことすらないんですけどね(笑)。

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