CULTURE | 2021/08/20

アフガン情勢は「アメリカ衰亡の象徴」ではなく「中国の野望を封じ込める好機」を示している

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(20)

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アフガニスタンからの米軍撤退に伴って、首都カブールで起きた混乱は世界中の人々に、それぞれの立場なりの衝撃を与えました。

「空港から飛び立つ米軍機にしがみつき続けた人々が結局どうなったのか」などと考えてネット検索するだけで、生々しい現地の映像がいくらでも飛び込んでくる現代という時代の残酷さを考えざるを得ません。犠牲者のご冥福をお祈りします。

ベトナム戦争の最末期の1975年の「サイゴン陥落」を世界中の人に想起させる衝撃的な映像がかけめぐったために、世間の印象としては、これは「アメリカの時代の終わり」を表しており、これからは多極化の時代、特にタリバンとも友好関係を持っているとされる中国をはじめとして、

「欧米社会が提示する価値観と秩序に“挑戦する側”の時代が来る」

という印象を持つ人も多いようです。

さっそく、中国共産党政府傘下のメディアとして知られる『Global Times』が「アメリカはアフガニスタンを見捨てた。次は台湾も見捨てるぞ」という揺さぶりをかける英字記事を配信していたことが話題になっていました。

しかし今回の記事は、色々な理由から考察し、

・今回の事件が「欧米的価値観と秩序の終わり」には“ならない”

・むしろ「中国の野望」を封じ込めるための好機にすらなる

・その「新しい情勢」において私たち日本人の果たす役割は大きい

ということを話したいと思います。

特に最近、中国ジャーナリスト福島香織氏の『習近平 「文革2.0」の恐怖支配が始まった』という本を献本いただいて読んだのですが、

最近の中国政府の強権的姿勢は、毛沢東時代の「文化大革命」と同じようなエネルギーを最新型のITと巨大化した経済の中で再現しているのだ…という見立て

が詳述されており、今まで考えていなかった視点を与えていただいた気がしました。

この記事は、その本を紹介しながら、先程の「サイゴン陥落」を含めた1970年代と現代との類似性を考察し、人類社会における「自由」とは何か?そして「アメリカ」というのはどういう存在なのか?そして「これからの人類社会へ日本が果たすべき責任」とは何か?といって課題について考える記事です。

アフガニスタン情勢はあまりにも状況が目まぐるしく変化し、衝撃的な映像も多数流れてくるので冷静な思考が難しいですが、過去の歴史的経緯も含めて捉えることで見えてくるものがあるはずです。

倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。

1:「サイゴン陥落」はアメリカ時代の終焉を表していたか?

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先程の『Global times』の記事を出すまでもなく、世界中の多くの人が今回の「カブール陥落」の映像から1975年、ベトナム戦争末期の「サイゴン陥落」を連想したでしょう。

必死に脱出する米軍輸送機と、それに追いすがる現地の人々が無下に見捨てられていく構図は、「サイゴン」の時も「カブール」の時も、直感的には「アメリカの時代の終わり」「アメリカの凋落」をイメージさせずにはいられない衝撃があります。

しかしここで考えてみてほしいのは、その「1975年」以降の世界は、

「アメリカ的価値観の終焉と、それに挑戦する共産主義陣営の勝利」

を意味したでしょうか?

確かに、「左翼系の知識人の頭の中」では結構大きな革命が起きて、毛沢東の思想が欧米のインテリの間でもてはやされて「資本主義はもう終わりだ!」という気分だけは広がりましたが、実際のベトナムやその周辺の共産主義諸国の間では、

・ベトナムはカンボジアと、そして後に中国を相手にその後も延々と戦争が続いた

・カンボジアでは世界史上類を見ないレベルで陰惨な粛清を行ったクメール・ルージュの圧政で社会がメチャクチャになった

・中国では毛沢東が「文化大革命」をはじめ、社会を強烈に統制しようとし、こちらも大混乱となった

といった悲しすぎる出来事がいくつも発生しています。

ここで細かく内容には触れませんが、よく知らない人は「クメール・ルージュ」にしろ「文化大革命」にしろ、まずはウィキペディア程度でいいので読んでみると、その強烈な陰惨さに胸が痛むことでしょう。

そして当時の“左翼的知識人”の少なくない人たちがこうした「反米でありさえすればなんでもいい」的な現象を褒め称える傾向にあったことは、「今後の世界」を考える上で忘れてはならないことだと思います。

一方で、サイゴン陥落以降「もう終わりだ」とされた西側諸国では、

・日本企業が世界の時価総額ランキングをほとんど占めるような経済の絶頂期となり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」時代を迎える

・アメリカのレーガン政権は、ソ連との経済規模の格差が大きく広がったデータを基に勝算を持って軍拡競争を仕掛け、ソ連の疲弊を招き後の共産圏崩壊につながった

結果として、

「アメリカの時代の終わり」と左翼的知識人の間で持て囃された1975年から10年ちょっとも経てば、もう実際には「共産主義圏」全体が崩壊するような結果

になりました。

2:「自由を抑圧」し始めると、もうそれは行くところまで行くしかない

もちろん当時と今とでは状況が違う部分もあるでしょう。しかし、ここで歴史の教訓的に確認したいことは、

「自由」を抑圧し始めると、その「抑圧者」はどこまでも過激化せざるを得ない

という原則です。

アメリカの統治には多少なりとも不正なことがあったでしょう。

そして「革命を目指す正義の俺たち」は、「その許されざる不正を、当たり前の正義で置き換えるだけの、当たり前の行為をするだけなのだ」という思いで革命をやるわけですが、それは「大河の流れの中に柱を立てようとする」ようなものなんですね。

何の激しさもなく静かに流れているように見える大河でも、その中に「硬い構造物」を立てようとすると、巨大な質量の水圧がかかり、それに対抗し続けることが必要になります。

「目の前の不正」を正したいために「他人の自由を無理やり奪う」かたちを取ってしまうと、以降毎日のように発生する、あらゆる問題に関して常にその「権力者」が差配し続けなくてはいけなくなってしまう。

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(Netflixで観れます)』において、人類が地球環境を汚し続けるからと巨大隕石(アクシズ)を落とし、人が住めない状態にすることで環境リセットを仕掛ける宿敵シャアに対峙する、アムロの印象的なセリフを思い出さずにはいられません。

「世直しのこと、知らないんだな。革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない」
「しかし革命のあとでは、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる」

要するに、

「反米勢力」というのは「反米勢力であるうちが花」 

であり、まさに高杉晋作が言う「困難は共にできるが富貴は共にできない」の世界に今後ぶつかっていくわけですね。

「反米勢力」であるうちは、無責任にどこまでも高貴かつ居丈高にアメリカを攻撃していればヒーローになれます。世界中の一部左翼的知識人も応援してくれるし、アメリカと敵対している勢力(昔ならソ連、今なら中国やロシアなど)も支援してくれるでしょう。

しかし、「アメリカはもう手を引いてしまった」状態で、延々と「反米」だけを旗印に掲げ続けることはできません。これから彼らに期待される役割は、400万人もいるというカブール市民に毎日の食料と物資と電力と…を滞りなく届け続けることです。

今はタリバン政権も「穏健な統治」を標榜していますが、今後どうなるかの予想には個人的に非常に暗い予感しかしなくて胸が痛みます。

あの毛沢東ですら、最初は「百花斉放百家争鳴」などと、「みんな好きに批判していいよ。いろんな意見を持ち寄って良い国にしよう」とか言っていたんですよ。

しかし実際にあらゆる「批判」が噴出すると、「他人の自由を強烈に縛って成立している権力」はその「批判を受け止めること」との両立ができなくなって強烈にバグるわけです。

「強烈な弾圧をするか、政権崩壊するかの二択」

となった時に何が起きるか。

「果てしなく内戦が続くよりは弾圧の方がマシ」という状況すらありえそうなのが本当に難しい問題ですね。

特にタリバンの場合、一握りのリーダー層が穏健的な政策を望んでも、血の気の多い「戦闘員」たちの無邪気な正義感の暴走が大変な悲劇を生み出さないか、今から暗澹とした気持ちになります。

3:「アメリカの影響の空白」に生まれる「自由抑圧の無間地獄」にすでに中国もハマっている

冒頭で触れた福島香織氏の本を読んでみると、昨今の習近平政権の強権的姿勢は、毛沢東時代の「文化大革命」的なエネルギーとほとんど同じものが、最先端のITと巨大な経済力の中で蘇りつつある現象なのだ…という指摘にはかなりハッとさせられました。

中国の状況に詳しくない日本人からすれば、「中国が言論弾圧するなんて昔からじゃないの?」という印象も持ってしまいますが、しかし習近平政権になってから、特に2018年に国家主席の任期を撤廃し終身リーダーであり続けられる情勢になってからの弾圧の苛烈さは、それ以前とは比べ物にならない状況にあります。

習近平は青年時代の一番価値観を植え付けられやすい時期に文革を体験しており、端々の行動から「毛沢東の再来」を目指していることが伺われるというのはよく指摘されています。

福島氏の本で非常に印象的だったのは、「習近平はこれまでの中国でも失敗事例扱いだった文化大革命の印象自体すら国内で好転させたがっている様子」で、たとえば

・2021年の清明節(中国のお盆)に温家宝(習近平の前の国家主席である胡錦濤時代の首相)が週刊誌『マカオ導報』に寄稿した、文革を批判的に記述する箇所もある記事が習近平の逆鱗に触れ、SNSでの転載が禁止され、事実上の閲覧制限が課された

・中国では長らく「国を間違った方向に導いて大きな被害を出した張本人」という扱いで、墓石に実名も彫られていないほどだった江青(毛沢東の妻)が、習近平政権下で密かに再評価されており、野ざらしだった墓が整備され、墓前の花が欠かされることはない状況にある

…というような細かい事例から、習近平が目指す「国家像」の中には、彼が青年期に体験した文化大革命と毛沢東のイメージが強烈に反映されていることが伝わってきます。

結果として、対外的には「戦狼外交」と呼ばれる高圧的な外交姿勢の印象が大きいですが、昨今は対内的にも、習近平の「政敵」とされた人物が共産党の幹部(習近平以前は幹部は訴追されない紳士協定的なものがあった)であろうと容赦なく排除され、一時期行方不明になって騒動となったアリババグループの創業者、馬雲(ジャック・マー)の事件に見られるように「経済界」への締付けも強烈になっている。

これらの一連の「暴走的な強権化」を「アメリカ的秩序の一時後退による真空空間に生まれる強権的権力の暴走」と捉えるなら、そういう「他人の自由の抑圧」はやりはじめると以下の図のようなスパイラルに不可避的にハマってしまうんですね。

これは日本のネットで流行っている「薬物依存症の図」の応用です。

過去の文革期の中国やカンボジア、それに限らず20世紀のあらゆる共産主義国家、そして太平洋戦争末期の大日本帝国にいたるまで、「アメリカの影響」を拒否するということはまさに

こういう↑「自由への抑圧」の依存症

になっていくことを意味するわけですね。この図は“対外的な戦狼外交”の話をしていますが、中国国内の言論締め付けに関しても同じ現象があるでしょう。

昨今の習近平政権の「常軌を逸した締め付けぶり」を考えると、今の中国はこの「アメリカの勢力の空白」に歴史上常に生まれてきた

「自由を抑圧しはじめると、果てしなくエスカレートして統制を強め続けなくてはならない無間地獄」

に陥っているという見立ては、かなりの説得力があるのではないでしょうか。

では、この「抑圧の暴走」に対して、私たち日本人は、そして国際社会はどう対処していけばいいのでしょうか?

4:「すべて大日本帝国が悪かった」的な思考停止的懺悔の無意味さが露呈している

先日、NHKスペシャルで、「開戦 太平洋戦争~日中米英 知られざる攻防~」という番組が放送され、蒋介石の日記や最近公開された外交資料などを詳細に調べると、日中戦争の間、中国側がいかに英米を対日戦争に引きずり込むか…という必死の策謀をしていた様子が詳細に描かれていました。

もちろん戦前の日本が全然悪くなかったという話にはなりませんが、当時の国際情勢の中での各プレイヤーによる必死な駆け引きの結果、時代が動いていった状況を「NHKスペシャル」という場で詳述できるようになったことは、米中冷戦時代がもたらすポジティブな変化といえるように思います。

こういう要素を詳細かつ多面的に描くことなしに、「とりあえず戦前の日本の軍部ってやつが全部悪かったことにしておけばいいじゃん、てめーらちゃんと懺悔しろ!」的なザツな総括ばかりを繰り返していても、再発防止に全然つながらないからですね。

たとえば「過激化していく中国サイドにどうやったら思いとどまってもらえるのか?」を考える時に、我々が大日本帝国の記憶に対してやるように、単に「欧米社会の基準から外れた存在」に「懺悔しろ!」というだけで彼らが考えを改めるというのはありえないことでしょう。

当時の日本を考えても、

・地方農民の経済的窮状に何ら有効な手立てを打てず政局争いに明け暮れる政党政治への失望

・その窮状をまっすぐに捉えて解決策を模索した(と見られた)軍部の存在

・その空気を思う存分吸い込んで煽り立てたメディア

・そしてそれを取り巻く国際的利害対立の全体像

といった問題を総体的かつ多面的に考えて、

・その当時の政府は、そしてメディアはどういう行動を取るべきだったのか?

・どのタイミングでどういうメッセージが外国から発せられれば、彼らは暴走せずに済んだのか

を考えないと、ただ単にすべてを

「善なる自分たちとは違う、軍部とかいうわけわからない極悪人たち」にすべてをおっかぶせて「懺悔しろ」的なことを言うような過去何十年にも及ぶ左翼的な物事の総括の仕方が、いざ「本当の国際的対立(特に“欧米世界の外側にある本当の異質”との対話)」にぶつかった時に何の役にも立たないこと

が、昨今の米中冷戦時代、そして今回のカブール陥落などを通じて明らかになったと言えるはずです。

「欧米社会の内輪話」ではない現象を扱う時には、「全部ナチス・ドイツのせいにして切り捨てれば万事解決」的な20世紀的枠組みを超えたところの発想が必要になるわけです。

5:「中国切腹日本介錯論」と「自由で開かれたインド太平洋」構想

外務省HPより、「自由で開かれたインド太平洋」構想の概要

蒋介石が必死の謀略で英米を対日戦争に引き込んだ当時、中国では「日本切腹中国介錯論」という考え方が提唱されていました。

これは要するに、

日中戦争において中国はまずとにかくあえて負け続けるべきだ。負け続けて日本に調子に乗らせれば「国際社会の敵」に仕立て上げることができる。そうすれば最終的に中国が勝つ。

という戦略です。これはまさに日中戦争期に「そのまま」実現したと言っていいでしょう。

一方で過去20年ほどの日本は、この「全く逆」をやり、

中国に負け続けることで調子に乗らせ、結果として「国際社会の敵」に仕立て上げるところまでは来れた

と言えるでしょう。

2012年に発足した当時の習近平政権は、太平洋戦争時のスティグマを日本に貼り付けることで「中国=善、日本=悪」という構図を定着させようとしていたことはよく指摘されますが、そんな「大昔の話」を持ち出すレッテル貼りよりも、現在の振る舞いの方が重要なのは言うまでもありません。

結果として、日本が提唱してきた「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」的な枠組みの中にアメリカや台湾、そしてオーストラリアやインド、そして欧州の国々まで参加し、中国の膨張政策への「国際社会が協調したNO」を突きつけるところまで来れています。

中国国民を悪魔化する意図はありませんが、単純な勢力争いの問題として、「覇権国家」が入れ替わる可能性があるような拮抗状態になれば戦争の危機が増すことはよく知られています。

「イケイケ」状態になっている伸び盛りの国の世論エネルギーをコントロールすることが難しいからですよね。

ヒトラー時代のドイツの対外拡張において「早い時期に英米が協調した抑止政策に出ていれば戦争にはならなかった」と当のヒトラーが述べているのは有名な話です。

「次なる覇権国家を目指す野望」を暴走させつつあるような存在には、まずはちゃんと国際社会が協調して「NO」を突きつけ、「その野望はそう簡単には叶わない、多大な犠牲が伴うのだ」というシグナルを発しておくことは、本当の意味での「平和への責任感」だと言えるでしょう。

過去10年ほど、この「中国の野望」に対抗する国際的協力関係を築こうとする自民党政権の一貫した政策について、

お前は戦争がしたいからそんなことをするんだろう。中国が攻めてきたら俺が酒を酌み交わして止めてやるのに。

みたいなことを言う運動が結構もてはやされていましたが、結果として本当の「戦争を抑止する責任感」がどちらにあったのかについて、私たちは真剣に考えなくてはいけないでしょう。

しかし問題はここからで、「中国切腹日本介錯論」的な一貫した戦略で築いた現状を、単なる日本一国のエゴで使い尽くし、20世紀なかばのように実際に戦争になってしまっては最悪の展開ですよね。

この「現状」を本当の「平和」につなげていくために私たち日本人にできることは何でしょうか?

6:「自由主義陣営のキャスティングボート戦略」

これから日本はどうするべきか?

私は2014年末の段階で『「アメリカの時代の終焉」に生まれ変わる日本』という本を書いてこういう状況をある程度予想していたのですが、「アメリカの一極的支配」が終焉することは、日本にとってある意味で大きなチャンスをもたらすことになります。

これを私は「自由主義陣営のキャスティングボート戦略」と呼んでいます。

キャスティングボートとは、拮抗した2つの大きな勢力がある時に、比較的小さい第3位勢力の発言が強力に作用する情勢になることを表す用語であり、日本人にイメージしやすい例は公明党の役割が典型的でしょう。

対比的に述べると、

・「自民党単独の安定多数」がある時代には公明党の存在価値は小さい=アメリカが単独で世界を支配している時代には日本の存在価値は小さい

・自民党の単独安定多数が崩れた時には、政権維持のために公明党との連立維持が不可欠になり、公明党の発言権が高まる=アメリカ単独の世界支配が陰ってきた時には世界第3位の経済大国の発言権が大きくなりうる

…という状況だと理解して下さい。

2030年あたりを目処に、中国単独のGDPがアメリカを抜くことが予想されていますが、しかし「アメリカ+日本」のGDP総額を中国が抜くのは相当先であり、中国の少子高齢化などの問題を考えると永久にない可能性が高いです。

この状況は、アメリカから見て日本の繁栄を邪魔することはできなくなるし、中国から見てもぜひとも自分の側に引き寄せたい存在となっている、日本にとっての「約束されたボーナスタイム」になりえます。

平成時代の日本は、昭和の終わりに「世界一の金持ちになったのはいいが世界中からバッシングされて引きこもりグセがついてしまった」トラウマの中で右往左往してきましたが、令和の情勢は平成時代と全く違ってきていることに、私たちはまず気づくことが必要でしょう。

「平成時代」の言論は、「アメリカという強大な存在の影に隠れつつ暴発もしない」という非常に難しい情勢を維持し続けることが必要だったために、どこか自家撞着的な、国際的に見れば何の話をしているのかわからないような「空疎な左右対立」に浪費してしまったことは仕方がなかったことだと思っています。

これから先の令和の時代には、「自由主義陣営のキャスティングボート」を握っていける情勢が見えてきます。その時、平成時代に「何もしないということを真剣にやるために空費する議論」に疲弊した私たちの、いろんな学者や思想家、官僚や政治家、いろいろな実務家や、ネットで毎日戦わされる議論たち…の「真価」が問われる状況になります。

「空費する平成30年間」は辛かったですが、これからは、今までの立場の違いの罵り合いを超えた、新しいビジョンを描いていく仕事をそれぞれでやっていきましょう。

勢力均衡的なメカニズムから日本が活躍できる「舞台」は十分すぎるほど今後不可避的に整って行くことになります。1975年のサイゴン陥落以降、日本経済の黄金期が来たことは、単なる偶然ではないと私は考えています。

すでに、アメリカは「あと一歩」踏み込んだ働きかけを日本に期待している状況は明らかにあります。それに応えられるか、私たち日本人の真価が問われます。

「中国切腹日本介錯論」戦略に従い、「今何もしないってのがオレの覚悟だ(ジョジョのブチャラティのセリフ)」的に辛い時期を必死に耐えてきた平成30年間の鬱屈を晴らすような、「約束された繁栄のボーナスタイム」を堂々と演じる覚悟はできていますか?

とにかくまず第一に、その「繁栄のボーナスタイム」を引き寄せるために必要なのは、まずは明確に自分たちは「自由主義陣営」を擁護するのだ、という態度を明確にすることです。

7:旗幟鮮明に自由主義を擁護せよ!

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過去の文化大革命やクメール・ルージュ、そして最近ではISIS(イスラム国)ですら「反米の何かであればどんなものでも褒めずにいられないタイプの左翼型知識人」がそこにユートピア幻想を押し付けて「アメリカの時代は終わった!」と主張しまくっていた現象は今回も起きるでしょうし、その情勢を利用して中国政府が「世論の誘導」を仕掛けてくるでしょう。

しかし、私たち日本人が今大事なことは、そこで絶対に「そちらがわ」になびくことなく、アメリカや台湾、オーストラリアやインド、そして欧州など(可能なら韓国も)と協調した「自由で開かれたインド太平洋」的な国際協調圧力を維持する、

「旗幟鮮明に自由主義を擁護せよ」

という態度です。

前述の福島香織氏の本にも何度か出てきたこの「旗幟鮮明」という四字熟語は中国語圏において非常に政治的な意味合いを持っており、経済の改革開放に伴って言論も自由化に向かうはずだった中国において、中国共産党の機関紙「人民日報」が1989年4月26日に

「旗幟鮮明に動乱に反対せよ」

という社説を出して言論弾圧に舵を切り、それが天安門事件を引き起こすきっかけとなった事件としてウィキペディアに単独の項目があるほどなんですね。

「日本切腹中国介錯論」を現代化し「中国切腹日本介錯論」を基本とするだけでなく、この「旗幟鮮明に動乱に反対せよ」を「旗幟鮮明に自由主義を擁護せよ」に置き換えるのも歴史に学ぶ我々の取るべき態度です。

まずは拡大初期のヒトラー(と熱狂するドイツ国民)を宥和政策で勘違いさせてしまったようなことが決して起きないような「鉄の連帯」を維持し、明確なシグナルを発して戦争で予想されるコストを膨大にしておくことは、戦争回避のための最も重要な最優先事項と言えます。

8:項羽と劉邦作戦

しかし、ここからがもっと「日本ならではの貢献」と呼べる部分があります。

「とにかく戦争を回避」するためには「自由で開かれたインド太平洋」的な国際協調によって「中国の次の覇権を目指す野望」を抑止することは非常に重要ですが、これだけだとそこにある「火種のエネルギー」の圧力を逃がす道が見えてきません。

そこで、日本としては、「陣営的には旗幟鮮明に自由主義側に立つ」ことを明確にしつつも、先程の「酒を酌み交わしてわかりあう」的なレベルにおいて、「欧米側」と「非欧米側」の架け橋となることが求められるでしょう。

なんにせよ、アメリカ型の「政治改革圧力」が、その社会の伝統や人情を「前時代的な抑圧的存在」と断罪しまくるために余計な反発を引き起こしていることは言うまでもありません。これは非欧米国だけでなく欧米諸国内においても同じ現象があちこちで起きています。

「自由主義と人権や平等の制度」を一歩ずつ整備していくことに反対する人は、日本社会にはほとんどいないはずです。

しかし、その過程で伝統的な共同体やそこにおける考え方を「敵視」し断罪しまくるようなモードが過激化すると、社会が真っ二つに引き裂かれてしまい、場合によってはタリバン的反動さえ生み出しうる、という現実的な可能性をちゃんと理解してその上でどうすれば「欧米的理想」と「非欧米社会の実情」を現地現物に溶け合わせることができるのか…がこれからの時代の最大の課題と言えます。

「陣営対立」的には旗幟鮮明に「アメリカ型」に立ちつつ、その「欧米的理想にのしかかられて自分たちの伝統を否定された気持ちになっている層」の「気持ち」もちゃんと理解できることが、これからの時代の日本の重要なユニークネスとなるでしょう。

日本には伝統的に、イスラム社会の奥底まで入り込んで「同じ目線」を共有するような人物が出てくることもよくあります。たとえばまさにアフガニスタンでは故・中村哲医師の例がありましたね。もっと過激な例ではイスラエルで1972年にテルアビブ空港乱射事件を起こした日本人グループの例もあるでしょう。

中村氏は上記リンクの日経ビジネスインタビューの中で、タリバンについてあまり否定的なことは述べていません。むしろそういう「民衆の伝統的なあり方」を否定しないかたちで説得し変化させていくことの重要性について述べており、こういう要素は「欧米人」からは出てきづらい要素でしょう。

ここまで「反米ならなんでもいいという左翼的ロマンチシズムの弊害」について重ね重ね述べてきましたが、しかしこの点においては、「筋金入りの左翼的日本人」の、イスラム社会への共感みたいなものも大事になってくるはずです。

右翼的な人でも、「自分たちの伝統に対して上から目線な欧米人がムカつく」レベルの「感情」を共有することはできるでしょう。

私たち日本人が、自分たちの社会の中で、「欧米的理想の上から目線ってムカつくよね」レベルの感情を無理やり切断することなく、「そういう気持ちってわかるよね」感を維持したまま、実際の細部の制度においては一歩ずつ着実に色々な「欧米的理想」を実現していく道を歩むことは、それがそのまま真っ二つに引き裂かれた人類社会を粛々と縫い合わせていく希望の光となるのです。

そうやって

・「陣営」としては「旗幟鮮明」に自由主義を擁護する「ムチ(ハードな対策)」

と、

・「気持ち」の面で欧米的理想にのしかかられている側の反感と、それゆえの漸進的に両者をすり合わせる重要性について体現していくことを「アメ(ソフトな対策)」とする

…そういう「二正面作戦」のことを、私は「項羽と劉邦」作戦と呼んでいます。

以下の図は香港情勢が緊迫していたころに作ったものですが…

もう香港は取り返しのつかない情勢にまでなってしまっていますが、あくまで国際協調の中で、中国の野望をくじき、新しい国際社会の安定を導いていくために、日本が果たすべき役割は大きいです。

決して政府批判を口に出せないので一枚岩に見えていますが、習近平路線の強権性を快く思っていない中国人は明らかにいます。そして、先進的な民主主義国としてそれに対抗する台湾の例もありますし、国際的な華人ネットワークの中にも習近平政権への反発を強める層がいるでしょう。彼・彼女らとの連携を深めていくことはとても大事なことです。

特に、今まで自由放任されていた経済分野にまで習近平の強権路線がおよび始めた現在、近い将来経済的パフォーマンスが低下すれば、「民衆を食わせられない皇帝に存在価値はない」という彼らの本能的直接民主制みたいなエネルギーが噴出してくることになります。

苛烈な項羽を最終的に寛容な劉邦が下して漢王朝400年の安定を築いた知恵で、中国の「自分でもコントロール不可能な野望」を抑止する情勢を作り出し続けることが、今後日本が「繁栄のボーナスタイム」を引き寄せるために重要な戦略です。

20世紀的な紋切り型の対立を超えて、「平和への本当の責任感」を持って道を切り開いていきましょう。

私たちならできますよ。

その「平和への本当の責任感」を果たすために、今まで繰り返されてきた「全部日本が悪いってことにして懺悔しておけばいいのになんでしないんだ」型のザツな総括を超える、「本来あるべき歴史認識問題の解決」について書いたnote記事がアップされますので、この記事に興味をもたれた方はぜひお読みいただければと思います↓

アメリカのアフガン撤退が日本にとって「繁栄のボーナスタイム」を引き寄せるチャンスを生み出し、アメリカ型の「ヒステリックに全方位を糾弾しまくる型のポリコレ(政治的正しさ)」を終わらせるという話。

今回記事はここまでです。

感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。

連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。

この連載の趣旨に興味を持たれた方は、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、『みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?』」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、「20世紀的な紋切り型の左右対立」とか、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。


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