CULTURE | 2021/07/14

イラクで両陣営から敵扱いされ怒鳴られる【連載】アクティビスト・小玉直也の「こんな人生があるのか!?」(2)

現在はジャーナリスト活動やさまざまな社会貢献活動を行う小玉直也氏は、戦場ジャーナリストでもないのに、数奇の運命に翻弄され...

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現在はジャーナリスト活動やさまざまな社会貢献活動を行う小玉直也氏は、戦場ジャーナリストでもないのに、数奇の運命に翻弄されるがごとく、ハプニングの連続にさらされてこれまで生きてきた。破天荒な大学時代、金融先物取引の会社でのサラリーマン時代へ。その後、思い立って、イラクへ飛んだり、スマトラ沖地震のインドネシアへボランティアに行ったりNPO法人を設立したりと精力的に活動する、驚愕のハプニング連続のアクティビスト・小玉氏の人生を追う!

小玉直也

特定非営利活動法人アースウォーカーズ代表理事 フリーカメラマン

1971年宮崎県生まれ。大学まで宮崎で育ち1994年大阪で就職。3年後に退職してNPOやNGOに関わり2003年~04年イラク戦争中のバクダットに行き現地病院の医療支援や日本とイラクの学校の橋渡しや平和交流などに携わる。また現地で米軍に拘束され尋問を受ける。その年の朝日新聞広告賞入賞カメラマンに選ばれる。

聞き手:米田智彦 文・構成:神田桂一

報告会で「バグダッドに僕も行きたいんですけど」

2003年にイラク戦争が始まって、私はバグダッドに行くことになりました。イラクへ渡航する約1カ月前に大阪府岸和田市でイラク支援から帰ってきた方の報告会をしていたんです。細井明美(イラクホープネットワーク。1995年頃から戦跡の旅をつづけ、2003年6月イラク入国をきっかけにイラク占領問題に関わる)さんの報告会に私も参加して、質疑応答で「僕もイラクの現状を見てみたいから行けないんですか?」と無茶な質問をしたんですけど、あとでこちらに来てくださいと言われたんです。それを聞いて、もしかしたらこれは行けるかも?!と思って行ったらなんと細井さんと一緒にバグダッドに行けることになったんです。それが2003年の10、11月頃です。関空からオランダのアムステルダム経由でヨルダンへ。ヨルダンのアンマンで細井さんと合流してからは陸路でタクシーを使って12時間。それが120ドルかなんか。そして無事にバグダッドに到着しました。 

着いたら、すでに米軍はバグダッドに入ってサダム・フセインの銅像を倒していたんですけど、空爆は続いていたんです。僕は周りを眺めていたら、米軍の施設を見つけて、写真をカシャカシャ撮っていました。写真を1枚でも多く撮って帰ろうとしたら、「NO PHOTO」と書かれた看板を見つけたんです。すぐさま記憶を消して見なかったことにしました。でも時すでに遅し。すぐに米軍が飛んできて拘束されました。僕は初めてのバグダッドだからとにかく全てを記録に残そうと思ってオラついて撮っていたんですけど、カメラもビデオも全部没収されました。その後、「イラクのことを日本で報道する気か?」と尋問が始まりました。これはちょっとヤバイなと思いました。一緒にいた細井さんは「解放しろ」と外で叫んでいたりしていたみたいなんですけど、無駄でした。僕は中で両腕を後ろで縛られて、「お前、何しにここに来たんだ?」と詰められていました。

米軍の人たちも自分たちを狙うテロリストがどこにいるか分からないし、僕が一味かどうかも分からない。メンタル的にやられている人がいっぱいいたので、非常に攻撃的になっていたんです。どの車が自分たちに突っ込んでくるか分からない不安のなか警備している人たちが外にいたので、そういうとこで写真を撮っていたら、ジャパニーズのジャーナリストなのかNGOなのか、もしくはテロリストと一緒につるんでいるジャパニーズパスポートを持っているヤツなのか判断がつかなかったんでしょう。緊迫していました。

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