CULTURE | 2020/04/28

事業費を倍増した矢先の大きな誤算。どん底からの再スタートで見えてきた地域活性・観光振興におけるアートの役割【連載】「ビジネス」としての地域×アート。BEPPU PROJECT解体新書(7)

『混浴温泉世界 2015』クロージングの様子
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構成:田島怜子(BEPPU PROJECT)
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『混浴温泉世界 2015』クロージングの様子

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構成:田島怜子(BEPPU PROJECT)

山出淳也

NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事 / アーティスト

国内外でのアーティストとしての活動を経て、2005年に地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指しBEPPU PROJECTを立ち上げる。別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」総合プロデューサー(2009、2012、2015年)、「国東半島芸術祭」総合ディレクター(2014年)、「in BEPPU」総合プロデューサー(2016年~)、文化庁 第14期~16期文化政策部会 文化審議会委員、グッドデザイン賞審査委員・フォーカス・イシューディレクター (2019年~)。
平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞(芸術振興部門)。

新型コロナウイルス感染症により被害を受けたすべての方々へ、心からお見舞い申しあげるとともに、一刻も早い事態の収束を願うばかりです。

感染を避けるため人と人との距離を保ち、いろいろな事が自粛される現在。先行きがまったく見えません。BEPPU PROJECTもリモートワークに入ります。まずはリトリート(退避)しつつも、この先を見据えた想像力の翼をこれまで以上に大きく広げたい。創造力の委縮は絶対に避けなければならない。そんなふうに毎日、自分に言い聞かせています。

みなさん、何よりもお体を大事に。今すべきことに全力で集中しましょう。

事業費を倍増して向かった『混浴温泉世界 2012』の大きな誤算

クリスチャン・マークレー『火と水』

2009年に第1回目を開催した、サイトスペシフィックな国際芸術祭『混浴温泉世界』は、その閉幕とともに3年に1回継続開催することを宣言しました。

『混浴温泉世界 2009』は資金面において苦労はしたものの、広報面においては多くのメディアに取りあげていただき、広告換算すると広報費に対して40倍もの効果が上がりました。また、メディア露出の成果として地域における認知が広がり、初回はNPO主導での開催でしたが、2回目以降は協力者が増え、行政・経済団体・市民が協働する体制が整っていきました。

『混浴温泉世界 2012』を迎えるまでの3年間、僕らはさまざまな準備を重ねました。

まずは事務局となるNPO、BEPPU PROJECTの組織拡大です。『混浴温泉世界 2009』開催時の職員は5人程度でしたが、『混浴温泉世界 2012』は芸術祭を開催するのにふさわしい事務局を組み立てるために、約20名にまで増員しました。また、市民文化祭『ベップ・アート・マンス』の開催や、若年層女性に向けて別府の楽しみ方を発信する情報誌『旅手帖 beppu』、これらをお得に巡るための金券『BP』の発行など、新規事業も多く立ちあげました。さらに、今まで以上に地域の大学とも関係性を深めてボランティアスタッフを募りました。

『混浴温泉世界 2009』同様、総合ディレクターは芹沢高志さん、ダンス部門のキュレーターは佐東範一さんにご依頼し、別府をよく知るお二人とともにサイトスペシフィックな芸術祭を企画することができました。さらに、アート部門は住友文彦さんのキュレーションで、クリスチャン・マークレーさんや小沢剛さんなど、錚々たるアーティストの招聘が実現しました。

『混浴温泉世界 2012』の大きな特徴は、1組のアーティストが1つの作品を制作するに留まらない、1つのプロジェクトを展開したということです。市民のマネタイズによって古い家屋をアート化するなど、後の我々の活動に大きく影響する一過性ではないプロジェクトも生まれました。

事業規模は『混浴温泉世界 2009』が6000万円だったのに対して、『混浴温泉世界 2012』は倍の1億2000円となりました。大きく増額できたことによって素晴らしい作品が多く誕生しましたが、事業費の4分の1は入場料収入で賄う計画だったため、その価値をしっかり伝えるための実行を伴う広報戦略が必要でした。そしてもちろん、運営には多くのボランティアスタッフや市民の協力が必須です。

ところが開幕してみると、前回とは決定的に異なる点があることに気がつきました。それは市民の「関わりしろ」がなくなっていたということです。組織が充実したことによって、僕らは出来る限り自分たちの力で完結させなければならないと思うようになっていました。僕らは芸術祭を作るという観点に囚われすぎて、地域と共創するという意識が欠けていたのです。結果として、地域の皆さんに関わる余地がないと感じさせてしまい、僕らは孤立してしまいました。ボランティアスタッフは慢性的に不足し、事務局スタッフは夕方まで会場運営、夜間は事務作業や作品メンテナンスなどの業務にあたる日々が続きました。事務局の疲弊しきった姿に気づいてはいても、会期終了まで踏んばるしかない。僕はいつしか笑顔を忘れ、お客様をおもてなしするという意識が薄れていったように思います。

来場者数で見れば、『混浴温泉世界 2009』が9万2000人だったのに対して『混浴温泉世界 2012』は12万人と、大きな成果を上げました。しかし、この芸術祭を通して僕らが実現したかったことは一体何だったのだろうと考えずにはいられませんでした。

『混浴温泉世界 2012』クロージングの様子

『混浴温泉世界 2012』を終え、大きな課題としてのしかかったのは、資金計画の無謀さによって収支のバランスが大きく崩れたことです。チケットの売上が当初の目標に達しなかったため、不足分をBEPPU PROJECTが買い取ったことで、我々は多額の負債を抱えました。取り返しのつかないことをしてしまったという自責の念に苛まれ、生きる希望も失いつつあった僕を救ってくれたのは、1本の電話でした。

「人間、死ぬときはプラスマイナス0になる。いい時があれば、何をやってもうまくいかない時もある。お前は今、どん底だろう? いいじゃないか。これからは良くなっていくしかないんだから。とにかく前を向け。絶対に心を折ってはいけない」

僕を勇気付けようと、力強い言葉をくれたのは、別府のまちづくりを長く牽引し続け、僕に地域で事業を展開する意義や考え方を教えていただいた恩人、鶴田浩一郎さんでした。観光やコミュニティビジネスの分野で全国的に活躍している大先輩にも、うまくいかない時期があったのだと知るとともに、彼の激励を受けて僕の意識は大きく変わっていきました。うまくいかないことから目を背けずに、マイナスをプラスに変えるポジティブな発想を取り戻したのです。それからは借金の返済計画を考えることをやめ、収益を上げるための事業計画を考えることに意識を切り替えました。その計画をもとに銀行に融資を交渉すると、負債額よりも大きな資金を得ることができました。

こうして僕らは3回目の『混浴温泉世界』に向けてスタートを切ることができたのです。

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